UA-92533382-1 経済・政治・国際: よつば農場便り

2022年1月28日 (金)

アメリカ公民権運動

アメリカの公民権運動の英文を読む機会がこのごろ多い。読むたびに、私たちはこの運動から学ぶべきものがあると感じる。抑圧され差別されてきた人たちが、白人と同じ人権上の扱いを求めた勇気ある行動や闘いは、同じように、差別され抑圧されている私たちが、本国の人たち並みの公民権を要求し、さらには独立を勝ち取るために学ぶべきことが多いと思う。

アメリカの公民権運動は1950年から1960年にかけて起こったものが有名だ。特に公民権運動のリーダーのキング牧師の活動や感動的なWe have a dream演説は日本でも知られている。日本であまり知られていない活動家にローザ・パークという女性がいる。

彼女は、当時、白人と有色人種が分かれて座らなければいけないバスで白人席に座り、「どいてくれ」という要求を断り逮捕された。これがきっかけに、平等の権利を求める運動が盛んになった。黒人たちは、連帯してこのバス会社のバスをボイコットするなどして自分たちの要求を通用させようとした。

このローザ・パークが白人席に座った理由は、イメージとして彼女が一日中仕事をしていて疲れていたから、そして、そういうところから彼女は割と高齢なのかなという印象を与えるが、実はそうではなく、彼女は人権運動の活動をしている祖父に育てられ、意図的に逮捕されたということだ。当時、アメリカで公民権運動などをするのは命がけで、ローザ・パークの家にはいつも脅迫電話がかかってきたということだし、彼女の祖父は、家に銃器を備えて白人からのテロに対抗しようとしていたという。

このように、平等な権利を求めて活動し、そして現在でも活動しているアメリカ本国の公民権運動は、私たち、アメリカ本土並みの権利を与えられておらず、本土の住民が享受している安全な暮らしが拒まれている植民地状態の私たちも、そこから学び、本土人並みの平等な権利と、そして独立を獲る糧としたいものだ。

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2021年12月12日 (日)

命の水が民間に売り渡された

宮城県の水道事業が民間に売却された。全国に先駆けて行われた水道事業の民営化を推進した宮城県知事の村井嘉浩氏と議会で同意・推進した自民党と公明党の名前は、後の歴史的検証と責任の所在を問うためにも記録されてしかるべきだろう。

公営はすべて効率が悪く無駄が多い悪で、すべてを民間に委ねれば効率よく運営され経済ばかりでなく行政サービスもよく行われるという「新・自由主義」の信奉者が村井さんだ。村井さんばかりでなく多くの政治家・経済学者がこの「新・自由主義」的経済を支持指示・推進している。

しかし、この「新・自由主義」経済が、どれほど国民の生活をむしばみ、格差が拡大し、対立・分断・排除・差別を生み出しているかには、信奉者の方々は都合よく目を向けない。というよりは、自分の目に入らないことは、この世の中に存在しないのかもしれない。

5年後、10年後に、水という命にかかわることで宮城県民の生活や幸福が損なわれても、もうその時にはこの政策を進めた人たちは安全な場所にいて、また一切は免責され、だれも責任を問われないという不思議な事態になるのだろうか。

苦しめられる私たちの中にも、「新・自由主義」を跳ね返し、自分たち実は多数派の意見が届き反映される力や仕組みを手に入れたい。

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2021年12月 8日 (水)

アヘン戦争

中国が人権問題に対して欧米諸国にかたくなな態度をとる理由というものを、歴史的経緯を考慮に入れて考えてみてもよいのではないかと考える。

中国近代史に大きな事件はイギリスが中国に仕掛けて『アヘン戦争』だ。

世界の海洋帝国として覇権を握っていたイギリスが中国との貿易で利益を上げようともくろんだ。ところが、中国の製品である茶や陶器が売れることから、イギリスは貿易赤字が重なり、国家から銀が流出することとなった。

そこで、中国に対して売れるような製品を持ち合わせていなかった当時のイギリスが、中国へ製品を売って貿易赤字を解消するために思い付いたことが、「アヘン」を中国へ販売することだった。ちょうど、イギリスの植民地にケシ栽培の好適地を持っていたこともあり、製造して中国へ持ち込んだアヘンは、思惑通りどんどん売れた。

今度は、中国政府が国内からの銀の流出に気づき、アヘンの輸入を禁ずる。港湾へ役人を派遣して、イギリス商人の持ち物である倉庫にあるアヘンを没収・廃棄した。

これは国家として当然のことではないか。自国の国民がアヘンによって冒されていくのをみすみす手をこまぬいてみている政府があるだろうか。あるとしたら、国民は他国に売り飛ばしてもいいが、政府とそれにまつわる要人たちだけが繁栄できていればよいと考える政府を持つ国家だけだろう。

ところがイギリスは、財産権や自由貿易の侵害をたてに中国に戦争を仕掛けた。そしてイギリスの思惑通りに事が進んだ。何しろ当時は、自分の主張を通すには、理屈や論理ではなく、力づくという時代だったからだ。

こういうイギリスをはじめとする、欧米諸国のような文明のルールを守らない野蛮な国に人権を語る資格があるのか。そして、こういう欧米、そしてその尻馬に乗った日本などの侵略から国家と人民を守った愛国的行為を成し遂げたのが中国共産党なのだというのが、中国が見ている世界なのだ。

いずれ、人権というのは普遍的な価値があるものだと思う。他国や他民族に対して人権を守らない国家や政府は、その国民の人権も守らない。そういう政府を国民が選択しているとしたら、その国民の人権意識もそれなりのものだ。

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2021年11月16日 (火)

維新躍進

先の衆議院選挙で「維新の会」が議席を伸ばした。『河北新報』11月8日付の記事を参考にすれば、この選挙の結果は、「右翼ポピュリストの躍進」と海外のメディアでは伝えられているそうだ。

「ポピュリスト」とは、大衆受けのする言動を武器に大衆の人気を獲得する政治家のことだ。その手法は「ポピュリズム」である。いずれの語源も「大衆」にあることから大衆を扇動しその潜在意識に働きかけ大衆の欲望に形を与え政治的な運動を引き起こすものだ。

しかし、民主主義的政治が必ずしも大衆政治と一致するとはならないように、「大衆」の意見や考えを実現するとしても、必ずしもそれが、社会にとって良い方向に行くとは限らない。むしろ、社会は崩壊するかもしれない。

思い返せば、維新の会に人気をつけたのは「生活保護バッシング」からだ。確かに生活保護の不正受給をしている人はいたのだろうが、生活保護制度を叩くことで、一生懸命働いても生活が楽にならず、その原因が自分が納めた税金をかすめ取る生活保護受給者であるとのはけ口を与えられた大衆の留飲を下げた。しかし、生活保護制度を叩くことは、大衆自身の生活の基盤を切り崩しているということには気づかずに。

公務員や議員の報酬切り下げも、大衆に人気があるポピュリズム政策だ。確かに一部は無駄もあることは事実なのだろうが、これにより、保健所や保育所など、やはり私たちの生活を支える基盤はどんどん切り崩されてきた。

そして、今度は、国籍の洗濯をするとのこと。国政選挙立候補者は、純粋な日本人に限る、そして純粋な日本人とは、親や祖父やそのまた前から日本国籍を持っている人で、例えば韓国や中国から国籍を変更して日本人になった人はだめだという法律だ。これも、自分たちの満たされない生活は、特権的な甘い汁を吸っている在日外国人のせいだと考えている大衆の気持ちを代弁し、それに暴力的なはけ口を与えるものだ。

日本人の定義はどうなるのだろう。今度震災などが起きたら、私刑を免れるために、お互いがお互いを「あいつは日本人か?」と疑心暗鬼となり、日本人であることを証明するために、言葉をしゃべらせてみたり、何百年前から純・日本人であることを証明するための遺伝子検査証明書を取り寄せてみたりという社会が来るのかもしれない。それを大衆が望み、ポピュリスト政党が乗っかり大きくなるのであれば。

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2019年7月11日 (木)

国民を代表するとは?

国会議員は国民を代表するとは言うけど、本当にそうか?ある意味ではそうだろう。参議院の比例代表などは、医師会や連合など業界団体の代表が一人選ばれて名簿の中に入っている。業会及びその背後にいる人たちの多さを考えれば、こうやってある国民の一部が代表されているともいえる。

 

しかし、私が言っているのはこういう形での「代表」というわけではない。これを考えるきっかけとなったのは、国民=有権者側の投票率の低さ、そして訳あって今勉強している「統計」。神林博史先生の「一歩前から始める「統計」の読み方・考え方」という本が面白かった。勘が也氏先生のあとがきを読むと、何と先生は東北学院大学で教えていると言うことで、自宅から見える学院大のあの校舎のどこかで、こんな面白い授業が展開されているなんて、学生さんがうらやましい、と思ったところだ。さて、これから書くことは神林先生とは一切無関係で、私自身の考えである。

 

まず、投票率の低さ。いま国政選挙の投票率は5割前後で、おそらく今回の参院選もそのようなものだろう。しかし、今の選挙制度では、5割の投票率のうち3割を獲得している自民党が全議席の3分の2を確保している。これで、堂々と、わが党は民意を反映していると言えるのだろうか。(もちろん、「立派に反映している」という反論もあるだろう)

 

そこで、よく統計の教科書に書いてある「世論調査」だ。「世論調査」は本当に国民全体の意見を反映しているのか?理論上、「反映している」のだそうだ。それは、「スープ」の理論だそうで、スープの味見をする時に、全部飲み干して味見する必要はなく、よくかき混ぜで、スプーン1杯分取り出してみれば、全体の味の加減もわかるというのと同じことだという。つまり、うまく国民全体を代表するように人を選んできて、その人たちに意見を聞いてまとめれば、それはほぼ国民全体の意見を集約したことになり、その真の意見とのずれは、誤差の範囲なのだ。

 

ということは、「世論調査」で意見を集約してそれを、選挙に反映するようにすれば、うまく国民全体の意見を反映させることができ、そうなれば国会議員は多様な国民の意見を代表する真の代議制民主主義に近づくのではないだろうか。

 

各社の世論調査で少し違いが出るのは、読売新聞が、有権者が「よくわからない」と答えた時は、重ねて質問して自民党や安倍さんに有利になるようにしているといった多少の差はあるそうだが、今の世論調査で支持第1党は、自民党ではなく「無党」だ。有権者が、自分の意見が政治に反映されないからと、無力感を抱き選挙を棄権させないためにも、世論調査で5割を占める無党派の議員を国会の議席の半数近く配してはどうだろうか。この議員たちは無党派なので、当然、どの政党にも所属しない。何かの議題ごとに、例えば「憲法を改正しますか」「消費税を上げますか」「NHKの予算を承認しますか」と問われるごとに、いいと思う方に、あっちについたりこっちについたりして決めていけばいいのではないだろうか。その国会での投票行動は、自分たちを選んでくれた「無党派」の思いや心情を忖度して代表するようにするが、もしかしたら生身の人間に議員さんをやってもらわなくてもいいかもしれない。無党派の考えや気持ちがわかるようにAIを訓練して代表させてもいいかもしれない。

 

このように政治改革をすれば、低投票率も改善されるし、望ましい民主主義にも近づくのではないだろうか。今回は、まじめな提案と受け入れられてもらえないような内容になってしまったが、次回(があれば)、また「統計」と関連させて考察してみたい。

 

 

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2019年7月 1日 (月)

日米安保は破棄すべきだ

アメリカのトランプ大統領から、日米安保は破棄すべきだという提案があった。日本の支配層は、トランプさんは変人なので彼の発言は一端脇に置いといて、日米安保は不変だと、政府間では確認しているなどと極めて冷静を装わないで、いい提案をしてもらったいい機会だと捉えたらいいのではないだろうか。

 

トランプさんが破棄すべきという真意は、日米安保が片務的で、一方的にアメリカが日本を守ってやっているからで、その逆がないという意味だ。日本政府が、いや、そんなことはない、という反論の内容としてあげるのは、基地を差し出しているし、滞在費まで負担してやっている、今後はアメリカの要望に従って、中東などでアメリカが戦争を始める時は、自衛隊が先兵となるというものだろう。

 

私のトランプさんに対する反論はこうだ。アメリカは時代時代に合わせて自国の利益のためだけにやっているのであって、日本は片務的だとかという義務感を感じる必要性はない、ということだ。安保条約を日本に押し付けた時は、アメリカは自国お国益のために、共産主義諸国への防災壁のために日本を軍事利用しただけで、しかも極めて有利に利用している。時代が変わった今も、自国の利益のために日本は利用価値があるし、地位を保証してやっている支配層からの貢ぎ物も入る。中東で、イスラエルの利益を守ってやるためにアメリカが戦争を始める時、日本の自衛隊を先兵にすれば、自国の損害は少なくなる。決して片務的ではなく、一方的にアメリカの国益のために行動しているだけで、そういう意味では、世界には「理想」なんてものはなく冷徹な国益最優先の国際政治があるだけだ。

 

私は、せっかくトランプさんがそう言ってくれるのなら、日米安保はやめた方がいいと思う。国民の立場から言えば、空から米軍の飛行機が落ちてきたり部品が落ちてきたり、米兵の犯罪があれば、安心・安全な暮らしが脅かされる。中国・韓国・北朝鮮の脅威を言い立てる意図がいるが、それを言い立てている、本人がその脅威を作り出しているのであって、私は、周辺国が脅威だと思わないし、多くの人が戦争を望んでいないのは、隣国も日本も同じだろう。もちろん問題もあるが、戦争の脅威は、国民に自由な考えを表明させない、独裁的な政治・政策プロセス、報道管制によって国民に情報が伝わらないと言った非・民主的なことから生まれるのであって、非・民主的なことにかけては、日本社会にだって戦争を推し進める脅威は周辺国と同じくらいある。兵器をそろえて安全を作り出すのでなく、相互理解と民主的なプロセスの広まりで、東アジアが平和的に安定すれば、に日米安保は不要だろう。もちろんそれを望まないのは、アメリカとアメリカによって支配層の地位についていられる日本の人たちだろう。安倍さんが、せっかくイランに行っている間に、日本のタンカーを攻撃する動機と利益が一番ある国と言ったら、アメリカだろう。

 

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2019年1月 7日 (月)

1930年代と重なることはないだろうが…

「わが国独自の文化が認められない…」と言って、国際団体から脱退し孤立的で独善的な政策を推し進める。政府の我が国の文化・歴史が一番という強気な姿勢に国民が鼓舞され、熱狂する。というところまでは、日本国民も行っておらず、冷静な、というよりは無関心な気がするが、政府の強気な姿勢は、中国大陸での画策を環椎するために、1930年代、国際協調から脱した時の日本の姿と重なる気がする。もし、歴史に繰り返しがあるとすれば、今度は大陸の国家との泥沼の戦争に突入ということになる。

 

韓国にも中国にも一切妥協せず、アメリカにはすべて譲るという安倍さんの姿勢は、今、日本国民から支持が高いが、私は安倍さんやその支持者の極右的な考えや姿勢こそが、問題をまったく解決しない一番の根本問題だと思う。そして、そういう人たちを、高く支持している、国民ももう少し勉強して、彼らこそが問題をこじらせている元なのだという自覚をもって、政治的な投票行動などをすべきと思う。

 

原爆を投下した側のアメリカ国の大統領が、広島を訪問して、被爆者と語りあった。被害者である被爆者の方々は、アメリカを憎んでもおかしくないと思うが、大統領の訪問と語り合いは、彼らの心の傷を癒す行為であったし、被害者が望んでいることはそういうことであったと思う。韓国で人権を踏みにじられた人たちが望んでいることもそういうことであり、なぜ、アメリカ国の大統領のように、彼らの心の傷を癒しに行かないのだろうか。

 

私企業が過去に行った不法行為にたいして、私企業としての補償を中国では行い、それはある程度うまくいった。韓国でも同じように行おうとしたときに、そういうことは絶対にするなといったのは、安倍さんたちだ。私企業は、私なんかと違って、政治的なことに興味があって活動しているのではない。経済合理性に基づいてだけ行動している。だから、「良い政府」とは、私企業が一番活動しやすい政府だ。もう、安倍さんたち極右には、経済的な合理性はない。経団連も、もう安倍さんたちを見限ってもいいのではないか。


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2018年12月 6日 (木)

福島第一の事故 津波予測の甘さ

12月5日付の『河北新報』を見て、おやっと思った記事があった。

 

見出しが「福島第一の事故 津波予測の甘さ 東電副会長が、英で講演」とある。ついに、あの天下の東京電力が、自らの罪を認めたのか?これは、犯罪として刑事告訴された事案や、まだ未解決の多数の民事裁判にも大きな影響があるのでは?と思ったら、内容は反対だった。

 

東京電力の副会長がロンドンで講演し核発電所の事故について言及したことは事実であり、「想定する津波の高さが低すぎた」「非常用電源はもっと高いところに置くことができた」ことは認めたものの、安全策の向上を絶えず追求し、どんどん対策していけば、核発電は安全であり、さらには核事故以降の日本政府の規制対策は十分で、これで事故は起こらなくなった、という核発電再開と輸出に向けての、アピールというのがどうやら本音であったらしいというのが、私の記事に対する深読みだ。

 

ちょっと、待ってくれと言いたい。核発電は「安い、安い」というのが政府、自民党、官僚・財界の言い分のはずだが、どんどん安全策を施していけば、安くなくなるのではないか?まあ、いくら経費がかかってもどうせ、国民に転嫁するのだから、自分達の懐は痛まないし、そういう意味で「安い」ということなのだろうか?

 

まともに考えればおかしい気がするが、「朝、パンは食べだが、ご飯は食べてないので朝ご飯は食べてない」という論法を毎日聞かされ、そしてそれを拡張・伝達する国営・国策放送網のせいで、頭がおかしいのは自分の方なのだ、という気がしてくるから不思議だ。


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2018年11月15日 (木)

外国人労働者受け入れ

いよいよ日本は外国人労働者受け入れ政策へと、公式にかじを切ることになった。実は今までも、隠然と、外国人労働者を受け入れてきたが、知らんぷりをしてきただけだ。

現代の「人身売買」とも称される「実習生制度」などがあり、建前上、彼らは「労働者」でないから、人権や保護に値しないとして見捨てられてきた。しかし、多くの人が外国人が身近に働いていると実感してきているのではないだろうか。外国人労働者は、私たちの社会に確実に増えている。

外国人に接する機会がある私は、この時代の証言として、思ったことをここに書いておくのも価値があることではないかと思う。労働者の隠れ蓑は「実習生」だけでなく「留学生」もだ。

私たち多くの日本人にとっては「海外留学」は夢をかなえるもので、外国の大学で学び、より良いキャリアを切り開くものだ。ノーベル賞を受賞した科学者も、多くが若い時に海外留学を経験している。しかし、ここで言う「留学」は、「出稼ぎ」のことだ。日本で正式に「労働ビザ」が出ないから、「留学生」というビザを取得して、日本で働くのだ。

「実習生」ほどではないのかもしれないが、「留学生」の境遇も大変だ。搾取もあるし、日本語もわからないし、日本での生活を支援してくれる人たちもいない。企業ももちろんしない。企業は、利益を上げることが目的であって、福祉やボランティアで、彼らに接しているわけではないからだ。かくいう私も、彼らの力に十分なってやることもできない。住む場所ひとつとって見ても、外国人お断りのところも多いし、日本独特の「保証人」という制度もある。

今度、公式に「外国人労働者」を受け入れるにあたって、受け入れ企業に日本語教育などの外国人への支援を義務付けるということだが、私は、そんなことやる企業などいないと思う。まず、企業は、労働者を利益を上げるために使うのであって、労働者の福祉を増進するために彼らを雇うのではないから、おのずから彼らに接する態度は決まってくる。

さらには、人手不足で外国人労働者が欲しいのは中小企業だ。中小企業に、労働者支援などやるほどの財政的余裕や人材的余裕があると、制度立案者の人たちは、本当に思っているのだろうか?現場のことを知らなすぎるのではと思う。

国連難民高等弁務官フィリッポ・グランディ氏のコメントが配信され11月14日付の『河北新報』で読むことができた。彼のコメントを引用する。「外国人が増大する状況に付け込み、不安をあおる政治家は欧米にもいる。だが、国境を閉じたり、壁を作ったりするのは法的にも道義的にも間違っている。目先の選挙の票になるかもしれないが、結局は密入国などの犯罪を生むだけで、問題解決には役立たない」

「外国人の増加自体が摩擦の要因ではない。彼らが社会に溶け込めず、隅に追いやられ、排除されたと感じるときに問題が生じる。職業や語学訓練を通じ、社会の一員として定着すれば、日本の発展にも寄与できる」


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2018年11月 1日 (木)

知らずしてわれも撃ちしや

歌人の永田 和宏氏が今上天皇の御製を解説してくれている。私の場合、『河北新報』に配信されている新聞記事を読んでいる。永田氏の意図のひとつは、今上天皇の御製を通じて平成という時代を振り返ろうとしていることであろう。

 

10月16日付の記事は美智子妃の「知らずしてわれも撃ちしや春闌(た)くるバーミアンの野にみ仏在(ま)さず」という御製の解説だ。

 

この歌の背景を簡単に要約する。バーミアンの石窟仏教遺跡はアフガニスタンにある。偶像崇拝を否定するイスラム教徒により顔をそがれた大仏像が残っていた。昭和46年皇太子・皇太子妃はアフガニスタンを訪問しこの顔のそがれた仏様を見て、歌を残されている。

 

そしてそれから30年後の平成13年に、タリバンによる大仏の爆破は私自身も記憶している、世界中に衝撃を与えた事件であった。

 

表出の美智子妃の歌は、この事件直後に読まれたものと思われるという。

 

永田氏のこの歌の解釈が大変優れていて、私は教えられること大であった。

 

「タリバンを批判することはたやすい。しかし、一方で自分たちはアフガニスタンの民のために何をしてきたのだろう。子どもを含め飢えに苦しみ命を落とした大勢の人々がいるが、世界はそれらに対して十分な援助をしてきたと言えない。仏像破壊に世界は騒いでいるが、その破壊に手を貸したのは、一人一人の「無関心」ではあるまいか、と美智子皇后はこの歌で自問されたのではないか」

 

 

政府主催の明治150年記念式典に出席しなかったのは、天皇ご夫妻と共産党の志位委員長だったというのは、この時代の象徴的な出来事だと思う。靖国神社の宮司もくしくも今上天皇を批判して、「天皇が慰霊の旅を続ければ続けるほど、靖国はダメになるんだよ」といったのは本当に的を射ていると思う。

 

 

戦争で亡くなった人たちというのは、アジアで日本軍の犠牲になった人、そして沖縄で日米両軍の犠牲になった人も含めて、こういう人たちが「お国のために犠牲になった人たち」だ。無謀な作戦を命じて、部下や民間人を死に追いやった人ではあるまい。「寄り添う」ことを考えている今上陛下と、安倍さんや自民党政治のやり方は、まったく正反対のところにいると思う。安倍さんや菅さんが押し進める強権を押し付ける政治に反対の声を上げ続けなければいけないと思う。

 


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