「ひまわり」
ロシアの侵略に苦しむウクライナを支援するため「ひまわり」のチャリティ上映が実行されている。このような企画を立てた映画人に感謝したい。
「ひまわり」が選ばれたのは、あの有名な一面の揺れるひまわり畑の撮影がウクライナで行われたから、ということだ。
ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが主演の「ひまわり」を見るのは2回目だ。初めて見たときは、あの情緒的な音楽やひまわり畑や鉄道の美しくも切ない場面に感情を流されてしまったが、今回は冷静に見ることができたので、前回気づかなかったこともいろいろ気づくこともできた。(だがそれにしても、ソフィア・ローレンのきつめの強い表情は美しくも印象的だった)
この映画はイタリアだけでなくソ連も含めた合作映画なのである。第2次世界大戦中、ロシア戦線で行方不明になってしまったマルチェロ・マストロヤンニ演じるアントニオを、ソフィア・ローレン演じる妻ジョアンナが、ソ連に探しに行く。そのモスクワの場面などが、大変活気のあるまるで西側の都市のようなのだ。そして、エスカレーターや地下鉄、労働者のための住宅がそろっていて、イメージの中の落ちぶれた社会主義とは全く違うのだ。おそらく、こういう場面を撮らせることを許可してそれをソビエトはプロパガンダにも使ったのだろう。
そして、ジョアンナがソ連に行ける理由が「スターリンが死んだから」というのも驚きだった。スターリンが死んで、鉄のカーテンが少し開いて、人の行き来もできるようになったという意味なのだろうが、よくソ連がこういうセリフを許可したなとも思った。これは例えると、「安部元首相が亡くなったので、日本がよくなった」というようなセリフを映画にさしはさむようなもので、自国誇り一色の政府なら許可しないだろうと思うからだ。
とはあれ、ジョアンナとアントニオは、もう変えようのない事情や運命に翻弄されて、結ばれることはない。そこは本当に切ない映画で、ヘンリーマンシーニの音楽とひまわり畑のシーンは何度も頭の中を駆け巡る。とにかく、戦争はいけないということだ。

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