2013年4月15日 (月)

桜満開

昨日の日曜日は暖かく、仙台から南の宮城県では桜が満開となった。大河原の一目千本桜にもたくさんのお客さんが詰めかけ、東北本線も満員だった。

桜の花を、見ることができるというのは感慨がある。2年前の春は、不安な生活の中で桜の花を見る余裕はなかったし、昨年の春は、引っ越しのことで悩んでいてやはり花を眺める余裕はなかった。そして、今年も桜の季節がやって来た。この季節に巡り合えたことに感謝しなければならないし、この季節にしか見ることのできない桜を眺めておかなければという気持ちもあり、だから、今年も桜を見ることができたというので、感慨があるのかもしれない。

昨日は、宮城県南で健康調査をしているグループのお手伝いを少しし、自身も血液検査と甲状腺の検査をしてもらった。そして、そのあとそのグループの方たちと放射能と健康への影響についての勉強会に参加した。

このグループの方たちは自主的に検査を企画し、ボランティアで運営している。本来は行政がやるべきことをやらないから、やっているのだ。こういう人たちがいること自体、日本人や日本社会の底力を見る思いで、力強く感じる。そして、協力してくれる医師をはじめ医療関係者の存在もありがたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月13日 (土)

福島原発水漏れ事故

原発事故収束からは、ほど遠い福島原発で汚染すいの水漏れ事故が起こっている。放射能で汚染された水が、どんどん環境中に放出されているということだ。地下水脈で、すべての環境はつながっているのだから、早晩、汚染が事故現場以外のほかの地域にもが広がることは大いにありうる。

事故で溶けてしまった核燃料を水で冷やし続けなければならない。かくも、原子力の扱いは厄介なものだ。燃料格納容器に穴が開いているのだから、どんどん水を注入する。そして、どんどん汚染水が出続ける。事故なんて起こらないと決めていたので、そんな汚染水をためる貯水槽などない。にわかに、貯水槽を作ったが、産廃用の水漏れシートを施工したことしかないゼネコンが作ったそうだ。だから、水漏れが起こるのは当たり前。というか、こんな事故が起こり事故の終息と廃炉への道のりは初めてなので、どれも未経験の未知の技術になるのだ。

さて、この件に関して市民ジャーナリストの方からぞっとするような事故の見方を教わった。ありうる話だと思う。

この一連の水漏れ事故で、東電は激しい非難を浴びて、無能呼ばわりされているが、実は、すべて計算して、情報を出してきているのではないかということだ。東電に勤めている人は、官僚になれるくらい、彼らと同等の「有能」な人であろうから、馬鹿扱いさせて世間や原発反対派には溜飲を下げさせているが、実は彼らの狙いは、汚染水の海洋投棄ではないかということだ。

炉心冷却のために大量に出続ける汚染水。これを貯めとくなんて無理だ。今回の水漏れ事故を巧みに利用して、汚染水の海洋への放出やむなし、という世論を誘導し、政府にそれを承認させようというシナリオではないかということだ。その証拠として、読売新聞の社説が、「海洋放出もやむなし」とさっそく書いてきていることをあげている。

海洋投棄は最悪だ。本当に海がダメになる。東北の人たちが、生活の糧とし、そこから得てきた幸をダメにする。原発を作るということが、どういうことを意味するのか、こういうところまで考えてほしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月 9日 (火)

強い風でした

昨日は強風が吹き荒れた。船が沈没したり、トラックが横転したりしたということが、地元の新聞で報じられていた。もちろん、農家のビニールハウスなども相当被害が出たことだろう。

地球が温暖化すると、台風や嵐がますます強力に発達するといわれている。自分の経験から言っても、規模の大きい台風や突風が増えているような気がする。こういう不安定な気象条件の中で、食糧生産は安定的にできるのだろうか。私としては不安に思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月 6日 (土)

Lovelock氏の原発観

ガイア理論の提唱者Lovelock氏は原発推進派だ。彼ほどの著名な科学者の言動なので、その影響力は非常に大きい。日本の推進派の学者たちにも大きな影響を与えているはずと思う。彼の著作を読んだので、彼の考えをぼくなりの整理してみる。これは、日本の推進派の人たちのことを理解するためにも役立つと思う。

まず、Lovelock氏の考えは、放射性物質は自然にも、人間にも良いものだ言うのがそもそも根本にある。放射能漏れの事故現場で人がいなくなったところでは、生態系が素晴らしく保たれているし、生物には害がないとのこと。また彼は、原発から使用済み燃料をもらってきて、自宅の地下か何かのコンクリートで固めた部屋に保管し、使用済み燃料から出る崩壊熱で暖房を取りたいという。もし、そうしても家族の健康には害は出ないという。

日本でも、原発事故後に、放射能は体にいいんだといった学者がいたが、Lovelock氏と共通する考えだ。Lovelock氏は、放射能は自然や生物たちには無害だというが、いま、福島の飯館村の牧場では馬が変死しているということだ。獣医さんたちがきっちり調べて、放射性物質は本当に生物に無害なのか記録を残してほしい。なお、Lovelock氏の名誉のために言うが、彼が原発を推奨している理由は、地球温暖化こそが、地球生命体であるガイアを殺してしまうからという、危機感からだ。人間活動こそが、自然に最悪だということは、ぼくも彼に共感する。

原発推進派の人に共通するのは、チェルノブイリ事故の評価の低さだ。Lovelock氏も、チェルノブイリ事故で死んだ人は、爆発時に駆け付けた消防士など70数人だけだという。また、チェルノブイリ事故で人間の死亡率がどれくらい上がったかということに関しては、例えばヨーロッパでは、人間の平均寿命がほんの数分短くなっただけで、70何歳の寿命が数分短くなっても、なんら恐るるに足りないということだ。

平均寿命の話は、ぼくに統計学のことをまた考えさせた。確かに、科学的には、Lovelock氏の言うとおりだと思う。だが、普通の人の考え方・感じ方とは大きく離れている。素人は、事故や災害の時にパニックになるのだから、Lovelock氏のような科学者の科学的な考え方こそが、素人のパニックを防ぎ、冷静に行動させるというのが、日本の原発推進派にも共通した考えだ。だが、前にも書いたが、素人は科学的・統計的見方はせず、違う風に感じる。自分が病気になれば、100パーセントの確率であり、ならなければ0パーセントの確率だ。原発事故も、統計学者は飛行機事故よりも少ないというが、普通の人にとっては、自分の周りで起きれば100パーセントだし、起きなければ0パーセントなのだ。

どちらが正しいかと争えば、もう決着はつかないだろう。二つの違う発想があり、それを認めてその上に新しい学問領域を作るのが一つの解決法だ。また、科学とは違う政治の分野では、人の気持ちに寄り添う、つまり「共感」から入っていく方法を取るべきだ。現今の、科学的・統計学的発想で、人々にアプローチしていくのでは、普通の人は納得できない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月23日 (土)

妹の誕生日

P3231003_640x480


妹の誕生日だったので、お姉さんが1日がかりでケーキを作りました。スポンジから焼いたのですよ。直径20センチくらいでしょうか。お店で売っているショートケーキが10個くらいとれるやつです。正面についているのは、妹の好きなキャラをチョコレートで作ってやったものです。「マギ」という漫画のモルジアナだそうです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年3月16日 (土)

ガイア

James LovelockのThe revenge of Gaiaを読んでいる。Lovelock氏は「ガイア」という発想の生みの親だ。ガイアとは、生命体としての地球ということで、地球全体を自律性・恒常性を持ったひとつの生き物のようにとらえる思想で、環境問題を考えていくには重要な発想になっていく。もともと、東洋や日本には、自然すべての命を尊ぶという発想はあったが、西洋で発達した科学―これは物質と心を分離し、対象を客観的に細かく分析していくことで発展してきた―の中に、科学の新しい発想としてガイアという概念が受け入れられるのはとても意義あることだと思う。

さて、このLovelock氏は、原発も核融合にも賛成している。この著作が福島原発事故の前に書かれているということもあるのだが、ガイアを提唱する人なら原発も核融合にも反対するだろうというのは、私の先入観だった。氏の意見として印象に残っている個所は、「どうせ人間は3分の1ががんで死ぬのだから、放射能で多少がんのリスクが上がっても、くよくよするな」ということだ。

これは、先日引用した読売新聞の社説と同じであるし、福島県の医療アドバイサー山下氏や宮城県の医療アドバイザー川島氏とも同じ意見である。というか、Lovelock氏の影響力を考えると、原発推進派の意見は、彼から大きな影響を受けているということだ。

素人としては、彼らの意見は部分部分はあっているが、(例えば「3分の1の人ががんで死ぬ」とか)、だが全体としてはどこかおかしいと直感的に感じる。しかし、数学や統計学に通じていない悲しさ、それを同じ学問的な土俵に立って科学的に反論することができない。(やはり、数学や統計学といった大事な学問を昔サボったことは後悔される。その時にならないと、なぜこの勉強が大事なのかというのが分からないのが、人間の悲しいところだ)

原発事故後は、推進派の学者も数多くマスコミに登場したが、そういう専門家の罪深さは、数学や物理といった、素人が最も苦手な分野をたてに、議論の方向を見えなくしようとしたことだ。もちろん、今回の事故で痛切に思うのは、専門家にお任せして騙されないだけの科学的リテラシーを、市民側も身につけなくてはいけないということだ。

さて、数学と統計学はいずれ勉強しなおすとして、彼らの意見の変だと思うところを、素人の直観で述べると、病気になるかならないかは、本人にとってはなれば100パーセントだし、ならなければ0パーセントなのではないかということだ。自分の子供のことを思う時も同じで、病気になれば100パーセントだし、ならなければ0パーセントで、つまり、普通の人はなるか、ならないかでしか考えない、ということで、これが多くの素人=非専門家の感じ方だ。

例えば、ポリープが見つかって、医師から何センチのポリープであればがんになる確率が何パーセント、と言われても、それが本人にとって意味があることなのだろうか。本人にとっては、なるか・ならないか、100か0でしか考えられないと思う。

例えば、病院で、こういう100か0でしか考えられない、素人一人一人を本気で対応していたら、とても手間がかかり大変だと思う。やはり、確率何パーセントで考えて、流れ作業的に対応していくのが楽であろう。医療関係者でありながら、原発擁護の福島県の医療アドバイサー山下氏や宮城県の医療アドバイザー川島氏の発想はこういう発想なのだろうと思う。

それに対して医師の鎌田實氏などは、彼の著作を読むとわかるのだが、100か0でしか考えられない患者に対し、患者の発想に寄り添って対応した。こういう対応では、医療従事者も体が持たないほど大変だと思うが、これが鎌田氏が長野の傾いていた病院を建て直したやりかただっだ。そして、鎌田氏が原発に批判的なのも偶然ではないと思う。

さて、考えるとこの問題は難しい。午後は、町に出て意思表示のためにウォーキングをしてこよう。今日は仙台で大きな集会とデモが予定されている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月14日 (木)

製造物責任

ガス湯沸かし器の会社が、不完全燃焼による死亡事故を起こした自社責任を問われたことがある。最近では、長崎の老人ホームで火事になり死亡事故が起こった件で、加湿器の製造メーカーが責任を認め謝罪した。こんなふうに、メーカーは道義的にも法律的にも、自社製品に対して責任を負う。

だが、唯一事故の責任を問われないメーカーは、原発製造会社だ。日本では原発を作っている大手が3社あるが、法律的には事故については免責になっている。というか、事故の責任など、単なる1メーカーで負えるものでないのが、原発事故であり、日本では原発製造会社の責任を追及する法律はない。

だが、法律的にないといっても、果たして道義的に許されるのだろうか?しかも、この3社は、原発部門で海外展開を積極的にしていく予定で、売上高大幅アップの計画を立てている。

インドで化学工場が爆発し、たくさんの人が被害にあった事故を覚えているだろうか。事故を起こしたアメリカの会社は、事故後さっさと逃げてしまい、地元の人に対する賠償に応じていない。さすがに、インドはこの件に懲りて、海外企業に製造物責任を負わせる法律を導入しようとしているらしい。インドも原発大国を目指していて、原発関連の海外企業が進出を目指しているが、本当に責任を負おうとすれば、企業としてはとても採算が合わないと思うのだが、インド人の命の値段を値切るつもりなのだろうか。

インドのほかにタイやベトナムにも日本の原発の輸出が行われようとしている。ベトナムなどでは、言論の自由がなく、政府が決めた計画に批判が許されないような状況だそうだ。ベトナムの漁民たちは、知らないうちに立ち退かされたり事故の被害にあっても、ろくに保障もされないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月12日 (火)

2年

震災と原発事故から2年がたった。先日NHKで福島の除染について報じていたが、私が興味を持ったのは、山の除染だ。福島でも、宮城でも、岩手でも豊かな山林や里山が広がっていて、私の大好きな風景だった。そこに、放射性物質が降り注いでしまった。広大な山林を除染することが果たして出来るのだろうか、山とかかわり薪をもらったり山菜をいただいたりする生活が果たして再びできるのか、というのが私の関心事だ。

番組では、山の杉を1本倒していた。そして、上・中・下と高さに応じて分けて、杉の葉を採取して放射線の高さを調べていた。その結果、杉の木のてっぺんにある方の葉の放射線量が依然として高い、だから山林の放射線量もあまり下がっていないということが分かった。

ここから分かることは、なにかというと、山林に降りそそいだ放射性物資が、山林の床土に落ち、そして再び根から吸収されて木に入り、循環を始めているのではないか、ということだ。杉の木はかなり背が高い。でも、驚くべきことに何十メートルの高さまで植物は、水や養分を吸い上げるのだ。てっぺんは生長点だから、優先的に栄養分等が送られる。だから上の方の葉に放射性物質が濃くたまる。

こうして放射物質の循環が山で始まってしまったら、長い年月の間、山の放射線は下がらないだろう。だが、逆にこうして山や森が放射性物質を捕まえてくれているから、里の方(人が住むところ)に放射性物質が拡散しないで、人が住んでいられるのかもしれない。まさに『風の谷のナウシカ』の世界だ。

人類が経験したことがない原発事故で、その後放射性物質がどのようにふるまっているのかをしっかり研究すべきだ。(あってほしくはないが、その経験やデータが第2、第3の事故にも役立つ)。だが、そういう地味だが、大事な研究は、民間人・市民放射能測定室や篤志の研究者が、ボランティアでやっている。山の科学的な状況がどうなっているのかを確かめもしないで、除染を行えば、大事な復興費用がゼネコンの餌食になるだけだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月 8日 (金)

タイマグラ それぞれの旅たち

タイマグラに行ってきた。タイマグラは岩手の早池峰山のふもとにある。そこで民宿をやっている奥畑さんと知り合い、行くたびにいろいろなことを教えてもらい考えさせる材料をもらう、ぼくの原点のような場所だ。久しぶりだったので、何だがとても懐かしく、いるだけで心癒される場所だ。奥畑さんは、この地でついに25年も宿をやっている。僕らが知り合い付き合った年月も、それと同じだけたったのだ。

奥畑さんのおうちの子供たちも、そして近くに住む弟さん夫婦の家の子供も、大きくなって、それぞれ4月から新しい生活を始める。みんな小さいころから見て知っているので、感慨深い。

M君。今度高1である。隠岐の島に国内留学する。親元を離れての一人暮らしだ。背が高くなり、とても大人っぽい。「お湯かげんいかがですか」とちゃんと宿の番頭さんのお仕事をこなす、しっかりした青年だ。

S君。あんなに小っちゃくて、丸っこくてかわいかったのに、こんなに大きくなり、大人っぽくなり驚いた。今度中1。おかあさんから早く寝なさいと怒られていたが、大人っぽい雰囲気なので、遅くまで起きてて全然違和感なし。

Yちゃん。きれいな御嬢さんになっていてびっくり。今度高1。顔が小さくて背がスラリ。どうして、今の若い人はこんなふうに、モデルさんみたいなんでしょう。Yちゃんも親元を離れての生活とのこと。

タイマグラの子は、みんなしっかりしている。でも、4月からは子供が少なくなって、少しさみしいかな。こうやって、皆も生活上の変化があるのである。ちょっと静かになるかもしれないタイマグラにまた行って、奥畑さんと話をしてきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月 5日 (火)

先祖になる

岩手県陸前高田氏の津波被災地で、家を建て直した佐藤直志さんを追ったドキュメンタリー映画「先祖になる」を桜井薬局ホールで見ました。陸前高田市は、かつて私が住んでいた住田町の隣なので、まず言葉が懐かしかった。改めて、仙台や宮城の言葉とはまた違った気仙地方の言葉の良さを思い出した。そして、佐藤直志さんは、私がお世話になったおうちの爺ちゃんとも風貌が似ていた。映画に出てくる人たちの風貌も何となく懐かしかった。やはり、その土地土地で、特徴的な顔立ちというのはあると思う。

佐藤さんは半農半林業の暮らしをしていて、自分で山から杉を切り出してくる。家を建てるのは気仙大工さんたちだ。陸前高田あたりでは腕のいい大工職人集団がいて、それが気仙大工だ。木の刻みや軸組工法が映画でうつされていたが、職人技の良さが伝わってくる。工場で組み立てられる近代住宅にはない良さだ。

佐藤さんの自給的な暮らしをうらやましいと思う。今、仙台に暮らしていてなんでも金で買ってくる生活は、やはり疑問に思う。原発さえなければ、東北は食料も住宅も全部自前で賄える、豊かなところなのだが。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧