UA-92533382-1 日記・コラム・つぶやき: よつば農場便り

2020年11月23日 (月)

女川原発再稼働承認

宮城県美術館移転問題では、村井知事の自論と自政策の勇気ある撤回を称賛したいが、女川原発再稼働承認に関しては、民主的プロセスを装ってはいるものの、その偽りの民主主義を批判したいと思う。

 

民主主義が県民の多数決というのであれば、宮城県民の民意は、女川原発再稼働に反対が、民意だ。しかし、県民多数の願いも、県議会では、自民党と公明党が多数のため、再稼働が承認されてしまった。県民投票で再稼働の意思を表明しようという住民投票の請願は、自民党と公明党により、趣旨説明も行わせてもらえず、否決されてしまった。

 

では、女川原発の事故が起きた時、民意を無視して、再稼働に合意した議員さんたち、村井知事、石巻市長、女川町長が、何か責任をとり、例えば罰せられるとか損害賠償の責を負うかと言えば、決してそうではない。核発電については、法律上、責任を負う人はおらず、現在の日本の法律では罰することはできない。人倫上・人道上・天道上の罪を負うばかりで、現に、福島核発電所事故では、安倍元首相、東京電力の経営責任者をはじめ、誰一人責任を認め、負った人はいない。

 

県民の多数の意思を、議会の議員構成に反映できず、自民党・公明党議員ばかりが多く当選させてしまうのは、私たちの民主主義が弱いからだ。そういう意味では、事故があれば一番多く、痛みを負わなければいけない、私たちそのものも、責を負わなければいけない。ただし、民主主義といえば、政治上だけのものではなく、購買民主主義というのもある。この民主主義は、1票の差は無限に不平等で、お金持ちと貧乏人の1票の格差はとてつもなく大きいが、それでも「民主主義」の名の通り、数が集まればそれなりの効果はある。

 

自分たちだけの利権にこだわる、東北電力の電気を購買したくなければ、他の会社からも購買することができる。この購買権を「清き1票」だと考えれば、多く「票」を集めたものが、民の代表で力を持つ。我が家では、東北電力に「投票」することをやめて、「パルシステム電力」に投票している。再生可能エネルギーで作った電気を中心に販売している会社だ。購買民主主義には、まだ、公職選挙法は適用されておらず、そこで、多くの人に「パルシステム電力」への「投票」を私は呼び掛けたいと思う。東北電力や東京電力など、政府と利権が一致し、少数の者のためだけの電力会社から、多くの人のための電力会社へ投票先を変えるのはとても簡単だ。パルシステム電気のこのホームページを見てください。

 

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2020年11月21日 (土)

宮城県美術館移転問題

村井知事が提起した「宮城県美術館」の移転問題は、村井知事が提案を引っ込めるという形で、現地での存続ということとなった。村井知事としては、施設をまとめて敷地を有効活用するという狙いや、建設費が国から引き出せるというタイミングを見計らっての提案だったと思うが、この提案により、思ってみなかったほどの広範な反対運動や意見が出た。

 

村井知事の提案は、このような提案は反論を掻き立てるという面で、有益だったと私は思う。もしこの村井知事の提案がなかったとしたら、多くの県民は県立美術館の美術的価値や、建築物としての価値を知ることなく、見向きもせずに終わっていただろう。そして、取り壊された後になって、それがいかに重要なものであったかに気づくということになっっていたと思う。

 

村井知事の提案に対して、多くの人が反対し、いかに現在の美術館がそこにあるということが価値ある事かということを、こんこんと訴えた。こういう議論があって、私たちもその価値にあらためて気づくことができたわけだ。初めから「決まったことには口を出させない」「決めたことに対して説明は不要」という非民主主義的な態度を取らず、事を進めたことがよかったのではないかと、私は思う。

 

民主的に物事を進めてもらいたいことは、他にもあるのだが、民主的に物事がすべて運ばれているというわけではないことももちろんある。それは、また別の機会に。

 

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2020年11月17日 (火)

アメリカ副大統領カマラ・ハリス氏の演説

政治の役割のひとつには、理想の行き先を示しそこに人々の努力を向けさせることだ。もちろん、現実の問題に向き合い処理し、現実の利害を調整するという政治スタイルもあるが、政治から「理想」を取り除くことができないだろう。「理想」が、今、実現できていないからと言って、その「理想」をも否定することもできない。

 

アメリカ副大統領カマラ・ハリス氏の演説も、(アメリカ国民にのみ語ったものとは言え)、人を鼓舞する言葉の力があった。アメリカは、もちろん「理想」などが実現されている「約束の土地」でもなんでもなく、世界の中では他国に抑圧的にふるまう国であるが、それでも「言霊」の力をまだ持っている国だと思った。政治の言葉が異常に痩せ細り、「言霊」が死に絶えようとしているところでは、彼女の演説の中にある言葉の力強さに学ぶものがあると思う。

 

彼女の演説からの要点
・「民主主義というのは、当然として保障されているものではなく、自分たちが獲得しなければならないもの。そこには犠牲も伴うが喜びもある。」

 

・「国民がより良き未来を作る力を持っていて、特に女性は、民主主義の重要な利害関係者」

 

・「私は、初めての女性副大統領だが最後ではない。あとに続く女性たちがいる」

 

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2020年11月 7日 (土)

原子力妄想大綱

核発電に関する国家の機密事項ですので、拡散なきようお願いします。

 

1.事故時の地域住民の避難


そもそも事故は起こらないので避難は必要ない。万が一起きた場合は、逃さないようにすること。逃げると、「事故が起きた」もしくは「事故は大きい」という間違った印象を国民に与えかねない。一番よいのは核発電施設内に収容すること。このようにすれば、のちほど電力会社の地元住民への貢献の美談として利用できる。ただし、政府関係者及び、電力関係者にはいち早く通報し、迅速な非難を促すこと。

 

2.核廃棄物の処理


容器に入れて核発電施設の駐車場にでも置いて、空気で冷やしておけば安全である。

 

付録:想定問答集


現在、青森県に置かれている核廃棄物は、必ず県外に運び出すとの青森県との約束はどうなるか?

 

「必ず県外に持ち出す」との答弁は、「10万年は、県内に保管する」との答弁と矛盾しない。理由を聞かれても、「個々の事例については理由は答えられない」と何度も繰り返すこと。

 

「どうして各施設が集中する青森ばかりが負担しなければならないのか」と質問されたらどうするのか?

 

「多様性が必要と判断した」と答弁し、その後は、「個々の事例については理由は答えられない」と何度も繰り返すこと。

 

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2020年10月30日 (金)

一度うそをついたら

一度うそをついたら、その嘘につじつまを合わせるために次々とうそにうそを重ねていかなければならなくなる。これは、だれしも経験があることだろう。嘘を重ねていけば、どこかでつじつまがあわなくなり、そうなっては、それを指摘した人に爆発して暴力をふるうとか、嘘でどうして悪いと開き直るしかなくなる。

 

一番いいのは、これも多くの人が経験から知っていることだが、最初にさかのぼって「嘘でした」と認めて正直になることだ。

 

菅さんが、日本学術会議の特定のメンバーを任命しなかったことを、「多様性を考慮して」と強弁しているが、「多様性」を考慮するのであれば、あえて、政府や自民党の考えとは違う人を迎え入れることの方が多様性が確保されると思う。誰にでもわかるこういう嘘をつくから、「やはり、自分の考えと相いれない人を切るためだったのだ」と余計な忖度もされる。

 

個人のどうでもよいウソなら、実害も少ないが、地位ある人のウソとなると、その嘘のつじつまをわせるために、多くの無辜の人が奔走することになる。その奔走や忖度がもたらした不幸せを何ら反省も、責任も、前任者は取っていないし、また菅さんもそれを継承しようとする。

 

ああ、それに「国語」や「読解力」の危機だ。「学術会議の会員の任命権は形式的だ」という文と、「推薦通りに任命する義務はない」という文は、同意なのだろうか。私たちは、子供に教育を施していて、文章を読む力や文章の内容から考える力を養おうとしている。1つの文章が意味することや含意すること、そこから正しく推測できることというのは、この世界の正しい論理構造を支えて、人がこの世界で生きていく上の大事な基盤を作っているが、この全く同意も含意もない2つの文章が同じであるというのであれば、私たちはまるで、アリスの体験した「不思議な世界」で生きているようなものだ。時間が一方向に流れ、地球の重心に向かって重力が働いているというような基本的な物理環境と同じように、思考や論理の世界は普遍的なものだと思うが、いかにもかけ離れた2つの文が「同値」だというのは、詭弁で、この世界を捻じ曲げるものでもある。

 

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2020年10月27日 (火)

あたらないは、あたらない

東京の外環道の大深度工事で、地上にひび割れや陥没の被害が出ているそうだ。大深度工事は、地上に影響が出る懸念が出されているにもかかわらず、そうした心配は考慮や検討されることなく、「当たらない」と退けられ行われ続けているものだ。

 

対案だったり、科学的根拠に基づく問題点の指摘をしているにもかかわらず、話し合われたり、検討されることなく、「当たらない」と退けられ強行されているものは多い。

 

他国軍に供与されるために、国費や美しい国土を犠牲にして埋めたたてが行われている沖縄の辺野古沖の軟弱地盤工事もそうだ。調査の数値を捻じ曲げて政府の意思を押し付けて工事しているのだが、もし軟弱地盤であれば、いくら杭を打っても埋め立てができるほどの地盤は作れず、何十年、何百年とこの馬鹿げた工事と、国富の消尽は続き、美しい国土は蹂躙され、そこに住む大切な生き物たちも死滅する。

 

福島核発電所の汚染水の海洋放水もそうだし、リニア新幹線の工事もそうだ。「当たらない」というだけで、科学も民主主義も少数意見も無視して突き進んでいくやり方は、いつかは天罰が下されるのではないかと恐ろしい。そのやり方で「人」は誤魔化せても、「天」は騙せない。

 

携帯電話の料金を安くすれば、本当に国民は喜ぶと思っているのだろうか。これは、まるで古代ローマ時代の統治方針、「パンとサーカス」を国民に与えるやり方で、本当は、あまりに国民を馬鹿にしたやり方だ。隣国諸国との関係を良くしたり、国家百年の計を立てたいと願っている国民だっているのだ。

 

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2020年10月18日 (日)

仮放免

今朝の7時のNHKのニュースで外国人収容施設を仮放免になった外国人が直面する問題が特集として取り上げられていた。菅政権や自民党の政策に反対する報道が許されるのだろうか?

 

と、このように書いては見たが、私は、単に政策や考えを批判するのではなく、そもそも問題があるのかを検証したり、問題がどこにあるのかを指摘することは、結局この国を良くし、国際的な関係の中で「名誉ある地位」を占めるためにはよいことだと思う。菅さんや自民党政権は、「国」や「公」を自分たちが独占していると考え、自分たちの考えに逆らい批判することを許さないが、「公」はそんな次元の低いものではないはずだ。

 

さて、報道は次のようなものだ。日本では難民申請をしても、認められる割合は、ほかの先進国と比べても異常に低く、国際的にも批判されている。認められない人は、母国へ送り返されるわけだが、出発前に、入国管理局の収容所に収容される。この収容所における人権を無視した人間の取り扱いそのものも問題だが、コロナウイルスの感染が広まったことから、密集状態を解除するために、収容所から外国人を退去させる「仮放免」が始まった。コロナウイルスのため、もしくは、母国で迫害を受けていたため母国に帰れない外国人は、日本社会にただ放置されるわけであるが、労働することも、医療保険に入ることも許されない。これでどうやって生きていくのか、という当たり前の問題と痛ましさを伝える報道特集であった。

 

この報道の中で、政府の外国人政策に対してこのようにすべき、このような問題点があるというコメントを引用されている大学教授がいたが、この人も、将来、菅政権と自民党政権が永遠に続く限り、学術会議の任命を理由なしに拒否されるのだろうか。もしくは、政権の顔色をうかがい忖度する大学から、雇い止めされたりするのではないかと、この教授のことが心配になる。

 

安部さんも菅さんも、国内に敵を作り敵をたたくことで、支持を浮揚させ人気を得てきた。その敵としての格好のターゲットが「外国人」だ。強硬な難民政策や厳格な出入国管理、抑圧的な収容所運営は、政権を支える人気のある施策だ。だが、菅さんが独占している「国」や「公」を超えた、「国」や「公」のためには、決して良い政策だと思わない。

 

暗い話ばかり書いてきたが、こういう憎しみや分断をあおる人たちばかりではなく、それを乗り越え、融和や友好や連帯を望む人がいて、そういう人たちの力だって、侮れないほど大きくなり、歴史を進めていくと、私は信じている。「頭の中にお花畑が咲いている」と、馬鹿にされても、そういう希望があるから生きていける。

 

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2020年10月15日 (木)

弔意の強制

自民党菅政権が、中曽根元首相の葬儀に当たって、弔意を強制している。

 

弔意というのは、真心から出るもので、強制すれば、人は面従腹背になるだけであり、そもそも、良心や信仰への侵害である。

 

中曽根さんは、総理大臣まで務めた国家の公人なのだから、国家に従うものは、弔意を表明して当然だと、菅さんは考えるのだろう。(私自身は、100歳近くまで生きた人に対して、そして大きな影響力を国家に与えた人に対して、何らかの敬意を抱いているが、それを人から強制されたくはない)それに、中曽根さんは、自民党の政治家だ。自民党イコール国家イコール「公」なんだろうか。

 

もう一度「公」とは何かという議論もするべきだと思う。

 

そして、政治家の評価は、後世を待って決まるものでもないかと思う。慰安所の開設や、今でも多くの人が被害に苦しんでいる核発電の導入など、功績や論考は客観的に、歴史がもっと明らかになってからだってできるだろう。しかし、これも「異論は許さない」「検証もさせない」という、菅さんの政治スタイルなのだろうか。しかし、それは許さなれないし、私は「反対する」。(たとえ、あとで、何かの委員会や会議のメンバーの就任が拒否されようとも)

 

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2020年10月 7日 (水)

異論は許さじ

菅首相が、何の理由もなく学術会議での任命を拒否したことに、民主主義の危機を感じて強く異論を唱えたい。

 

菅さんは安倍さんと同様に、「言葉」を軽んじる流儀だ。「当たらない」と問いを退けるだけで、そこからは議論が生じない。今回の学者の任命拒否についても、こういう理由で拒否することが望ましいと個々の事例で説明すればすれば、そこから、議論は、行政と公務員との関係や、さらには根本的に学術の自由と政治との関係で、討論ができ、いろいろな立場の人が自分の気づかなかったことをその討論から知り、相手の考えもわかり、話し合いを進めて、望ましいあり方を模索し、その望ましい在り方に一歩でも近づけたのかもしれない。民主主義というのは、独裁はや強権政治と違って、効率的に一人の意思を実現するには向かないかも知れないが、こうして一歩一歩、行ったり来たりしながら少しでも最適解に近づき、そして、その決定のプロセスに多くの人がかかわるので、なるべく最大の人が納得する政治システムだ。

 

しかるに、菅さんは、はなから説明も議論もする気がなく、対話のチャンネルを閉ざす。これでは、「自民党の政策に異を唱えた学者に対する意趣返し」と、いわゆるケツノ穴の小さい理由で、そうしたのであろうと邪推されても仕方ない。

 

そして、そもそも異を唱えることが悪いことだろうか。いま、安倍さんの時代から「国税を払ってやることは、国に異を唱えてならない。なぜなら、国のお金がでているのだから」というテーゼがまかりとおっているが、まず違和感を覚えるのは、国=自民党だったり、国=安倍さんや菅さんなのだろうか。むしろ、私は異論があってこそ、国全体の利益だろうし、国益を増すと思う。ゆえに、異論を許さない、菅さんは、国家にとってもマイナスなのだ。

 

この道しかないと、異論を排除して突き進んだのは、中国との15年戦争だったり、満州の侵略だったり、鬼畜米英との開戦だったであろう。こうした歴史の教訓からでも、異論を重視して、全体の意思決定が変わっていたら、もっと違った歴史的結果に出会っていただろうということだ。もちろん、100年後に生まれた私たちが、歴史の結果を知っていて、当時の指導部を批判するのは簡単だ。だが、これから100年後の人たちが、今の私たちをどう判断するかだ。異論を許さず、この道しかないと進んでいった先に、全体の破滅が待っているかもわからない。異論を許容して、少しでも最適の解が見つかるようすべきだ。それを拒否する菅さんと自民党を強く批判したい。

 

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2020年10月 3日 (土)

強権・恐怖政治

菅首相が、学術会議のメンバーとして自民党の政策に反対の立場をとった識者を拒否した。菅さんからは、なぜ拒否したのかの説明はないが、「当たらない」という短い言葉だけで、説明や対話を否定する政治姿勢をお持ちのような方なので、国民に対する説明はないだろうし、なくて当然だと思っていらっしゃるのだろう。

 

私はこれは憂慮する事態だと思っている。「学問」の自由がこの国から失われていく。政府や時の権力者に追従する御用学問しか、存在が許されなくなる。「学問の自由」なんて、自分には無縁のものだと思っている国民の方も多いだろうが、真綿で徐々に首を絞められていくとそれに気づかないように、失われていく「学問の自由」は、私たちの「思想・信条の自由」にまで下りてきて、気づいたら、菅さんの考えに反対したばかりに、収容所に送られる(一般の市民までが)「収容所列島」にならないとも限らない。

 

やくざ映画ややくざ漫画の「組長」に私たちが投影したり、「蛇」に投影したりする、敵対するものは絶対に許さない酷薄さ、昔の瑕疵は絶対に忘れずに覚えていて掘り起こす執念深さ、そういうものを、菅さんに感じて、背筋が凍る思いがするのだ。

 

日本を批判したり、日本を貶めたりする言動は一切許さないという考えの方々が、安倍さんや菅さんの政治的な勢力として大きな支えとなっている。そのような方々からは、私のようなものは非国民になるのだが、しかし、国を思う心情は人一倍あるのだということをしっていただきたい。国民の財産が、無残にたたき売りされて国民に損害を与えるのであれば、それはおかしいと声を上げて、どうしてそのようになったのか、公文書を確かめて検証しようと主張することの方が、必ずこの国のためになることで、もしそれを拒否して、公文書は速やかに廃棄したなどと述べて、国家財産を不当に安く売りさばいたりすれば、そちらの方が国家に害を与えることになるはずだ。

 

このように批判や権力に対する監視があってこそ、全体や公共の利益も守られ「日本」のためにもなる。批判や権力に対する監視が許されない、世界の強権国家(たとえば、敵対者や批判者を安易に毒殺したり処刑したりするような国や、強制収容所に人々を閉じ込めているような国)が、健全な発展をするような国だと思うだろうか。健全な発展をする可能性をこの日本の国に保証したいので、私は民主的な批判や権力の監視、学問の自由と独立などを支持したいのだ。

 

 

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