2019年8月28日 (水)

ロイヤル・オペラ・ハウス / プロコフィエフの『ロミオとジュリエット』

英国ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスで上演されたバレエ『ロミオとジュリエット』のライブ公演が映画館で見れる。お手軽な疑似体験かもしれないが、この傑作を見ることができて本当に良かった。

 

まずは、シェークスピアの悲劇である。バレエ作品であるので、セリフ回しはないが、ストーリーはわかる。対立する敵同士一家の、若者と娘が恋に落ちる。ロミオが、キャピュレット家の舞踏会に忍び込み、ジュリエットと運命的な出会いをする。一家どうしの乱闘の場面もある。ロミオの親友が斃れてしまう決闘の場面もある。ジュリエットが「なぜ、あなたはロミオなの」と言ったはずの有名なバルコニーの場面がある。ジュリエットが神父に相談して毒薬を手に入れる場面がある。死んだように見えるジュリエットを囲んで皆が嘆き悲しむ場面がある。ジュリエットは死んだと思い込んだロミオが毒を仰ぐ場面がある。そして、息を吹き返したジュリエットが、死んだロミオを見て、絶望して死に至る悲劇の最高潮がある。偉大な演劇に触れあえる幸せがある。

 

そして、プロコフィエフの傑作の音楽だ。重厚で、そして不安が漂う音楽は、暗い社会主義・独裁体制の抑圧を反映しているのだろうか。いや、むしろ体制を賛美してないと言って、銃殺とかシベリア送りにならなかったのだろうかなんて考えてしまったが、このバレエ『ロミオとジュリエット』にはぴったりの傑作音楽だ。これを全編、聞くことができた喜びがある。

 

そして、傑作の演劇と音楽を上演する、踊り手たちの力量やすばらしい舞台装置や衣装。最高の演技や演出が見れた喜びがある。原作では、ジュリエットは中学生ぐらいの年齢と驚くべき若さというか早熟ということらしいが、ジュリエット踊ったヤスミン・ナグディがその少女像を見事に踊っていた。ロミオ訳のマシュー・ポールは若々しいし、敵役のティボルトの憎々しさは超一品だった。そして、息子を亡くしたキャピュレット夫人の痛々しい心情を、クリスティーナ・アレステスがよく表現していた。ここは、振り付け・音楽とも素晴らしく胸を打つシーンだった。ロイヤル・バレエ団には日本人もいる。彼女たちを見ることができるのもうれしいし、このグローバル時代に地球人として活躍している彼女立ちにエールを送りたい。

 

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2019年8月24日 (土)

『老子―もう一つの道』 六十三 怨みに報ゆるに徳を以てす

【自由訳】
無為(むい)を為(な)し、無事に事(つか)え、無味を味わう。この極意がわかるか。簡単・微細なところで、大きく難しいことをすでに計っているのが、大人(たいじん)たるものである。

 

というのも、大きなことは微細に始まり、天下の難事は易きところから始まる。だから大人は、大きなことは為さない。始原である微細を治めるから、大なることを為すことができる。

 

そもそも安請け合いをするものに、信用できるものは少なく、簡単そうに見えることが多ければ事業は難しい。ゆえに大人は慎重に難しいところを治め、難事を成し遂げる。

 

【解説】
怨みに報ゆるに徳を以ってせよ、は老子のこの章に登場する。しかし、この句、文脈上どのように整合するのだろうか。唐突のように思える。


だが、怨みに報ゆるに徳を以ってせよの思想は深い。実践することがとても困難に思えるほどの思想である。だが、「弱いものが強い」「柔らかいものが強い」「何もしないことですべてを行う」「混沌から道が生じる」などの代表的な逆説と背理の老子の思想と同じく、老子の中核的な思想であり、現代の社会が抱える問題を乗り越える智慧となる可能性がある言葉である。

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2019年8月10日 (土)

『老子―もう一つの道』 六十 人を傷つけない

【自由訳】
大国を統治するにあたっては、小魚を煮る時のようにする。つまり、あまり突きまわしてはいけないということだ。
「道」によって政治を行えば、祟りをする悪霊はいないし、目に見えない精霊たちは人を傷つけることをしない。理想の大人(たいじん)たるや、人を傷つけない。うまく国が治まっているのはなぜか。聖人も精霊たちもその功績を互いに譲り合っているからだ。

【解説】人を傷つけない、功を誇らない、それが老子の教え。

 

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2019年7月17日 (水)

『老子―もう一つの道』 五十八 光をつつむ

【自由訳】
政治家がうすぼんやりしていれば、かえって人民は純朴で、逆に、政治がやたら黒白を付け、はっきりしていると、人民に不満が高まり、人民どうしで争いだす。


不幸のどん底に幸いがすでにきざしているものだし、幸福の絶頂に不幸はすでに存在している。幸福と不幸と、禍(わざわい)と幸(さいわい)と、その変転を人の目で見極めることはできるのだろうか。どこに変転のない常道を見出すことができるのか。正は邪となり、善は悪となる。そこで、理想の聖人は突出しないこと、極めないことにした。方直・廉直であっても、その角で人を傷つけたりしない。

内面に光があっても、それを隠し外へは現わさない。

【解説】
ここでまた、光をつつみ隠すことの重要さを強調。また、幸・不孝の変転をどう見極めるか、どう人生に処するかを指南。

 

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2019年7月10日 (水)

『老子―もう一つの道』 五十七 技巧を捨てよ

【自由訳】
戦の時になれば奇抜な作戦で相手の裏をかき勝ちさえすればよい。だが、国を治めるには正道が必要だ。私の言ふ正道とは「無為」のことだ。なぜ、何もしなくても国が治まるのか。天下に禁止事項が多ければ、それだけことは煩わしく民は貧しくなる。武器を貯え軍備を増強すれば国家は傾く。小賢しい知恵を働かせ、小手先の技巧を操れば、珍奇なものがたくさんできあがるが、人々の生活必需品はなくなる。法律・規制でがんじがらめにすれば、その法を破ろうと盗っ人が増える。

 

「無為」とは、為政者が何もせずとも人民が自然と教化され、為政者は静かに動かないのを好んでいても、人民の行ひが正しく、上はやることを少なくして下々が富み、上に立つものの貪りの心がなく、人民の心が素朴であるということだ。これが、理想の政治だ。

 

【解説】
国家が何にも介入しない政治というものが果たしてこの現代に可能なのだろうか。物資の絶対量が乏しかった古代中国では、王朝の専横により人民の物質的窮乏がはなはだしかったことは確かである。老子が反対したのは、このことだ。

 

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2019年7月 8日 (月)

『老子―もう一つの道』 五十六 和光同塵(わこうどうじん)

【自由訳】
本当に知恵あるものは誇らしげにしゃべったりしない。よくしゃべる人にはほんものの知恵はない。ほんとうの智者は、外からの騒々しさにかかずらわず静かに目を瞑(つむ)り、鋭くぎすぎすした感じはなく、それでいて物事のもつれを解決する。人の目にまぶしい光をつつみ隠し、衆人の中にまぎれ住む。そういう衆人の中で人がほんものの知者に出会ったとしても、親しむこともできず、かといって疎んじることもできず、利することも害することもできず、尊くすることも卑しくすることもできない。こうなってこそ本当にこの人は貴いのだと言える。

 

【解説】
本当に偉い人はこの世の人々の中にまぎれ住んで光を包み込んで生きる。

 

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2019年7月 4日 (木)

『老子―もう一つの道』 五十五 長生

【自由訳】
徳を厚く積んだ人は、赤子のようだ。何物もその人を害することなどできない。柔らかくしなやかな体でありながら、力が強く、精が充実し、一日中声を出していても嗄れないのは、和の至りだからである。和を知れば心身が常体を保ち、この常なるものを体得する人こそがほんとうの智者である。


この生に余分なものを付け加えるな、それは不吉になる。心が気を使い果たせば柔らかさは失われ、盛んなものほど衰え老いる。道に沿って生きていないのだ。こういうものは天寿を全うできない。それでは、いけない。

【解説】
盛んになればなるほど衰え老いるのも早い。長く生きて、生を全うするための老子の戦略は、柔弱に生きるということ。柔弱と言っても、その中には老子の考える本当の強さがある。長く全き生を生きるための老子の智慧を聞くべきである。

 

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2019年6月28日 (金)

『老子―もう一つの道』 五十四 一身から初めて天下に徳を広める

【自由訳】
しっかり建てたものはぐらぐら抜け落ちたりしない。それと同じように個人として大事なことは、祖先をまつり一身を修めることだ。そうしてその徳は真のものとなる。このようにして徳を家全体で修めれば余りがあるし、村全体で修めれば、徳はますます豊かになり、天下で修めれば、徳は普く広がる。徳をどの程度修めているかは、天下全体、国、村、家、個々人、それぞれを見ればわかる。

 

【解説】
修身治国平天下の思想に近い。だが、老子の言う「道徳」は、「悪に報いるに善をもってせよ」という類のものであることを忘れてはいけない。

 

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2019年6月26日 (水)

『老子―もう一つの道』 五十三 政治批判

【自由訳】
知恵があれば、ただ大道を行くことを望むはず。大道は平らかであるのに、人々はわざわざ小道・脇道を行く。上に立つものだけが、衣服を着飾り、飽食しているのは盗っ人と同じだ。

 

【解説】
大道とは老子の言う知恵。だが、光のあたった大道だけを歩むのを人は好むのだろうか。矛盾や陰影のある道を好むものが後を絶たないからこそ、人間のドラマは尽きないし歴史は動く。

 

ここで、例の老子の政治批判が出てくる。当時の王侯の横暴さ、人民を搾取しての豪華な暮らしぶりを舌鋒鋭く批判している。

 

 

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2019年6月 6日 (木)

『老子―もう一つの道』 五十一 道と徳と万物と

【自由訳】
道が万物を生じさせ、万物が存在していられるのは徳に養われているからである。茫漠として形なきものに形を与え、意志力を与えて勢いを有らしめた。それゆえ、万物は徳と道を敬い従ふのである。


道と徳のその高貴なありかたは、万物を生み養っていても、決して万物に命ずることがない。だから万物は万物本然のままでいられる。道と徳は万物を所有しようともせず、万物からの見返りも期待しないし、万物を支配しようともしない。これが道と徳のありようだ。

 

【解説】
本章と、たとえば、進化論との関係はどうだろう。進化を推し進めた力とはなんだったのか。それは老子の言う「道」「徳」のように、進化を推し進めていながら、それを外部から統御しようとはしないものだったのだろうか。

 

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