えん戦
戦争の抑止力に「えん戦気分」がある。ロシアの兵士もウクライナの兵士も、本当はそんな苦しいことも怖いこともしたくなくて、サッカーの試合でも見ていたいはずだ。人々の暮らしが豊かになればなるほど、馬鹿げた戦争になんて行きたいとは思わない。理不尽な独裁者の野望になんて付き合っていられず、さっさと持ち場に割り当てられた戦場から、背中を向けて立ち去るはずだ。
だとすると戦争に近い国とは、貧しい国だ。格差があって、生活に苦しい人が多い国こそが、戦争に近く、そして苦しむ人が、その苦しみのはけ口に、政治指導者たちの扇動に乗り、戦争へと参加していく。そういう意味で日本は戦争に近い国なのではと憂慮する。いざ戦争になり動員された時に、「さんざん隣国への憎悪を煽り、今自分は安全なところにいて命令を下しているあの指導者の命令に従うなんて馬鹿げていますから、持ち場を放棄して帰りましょう、上官殿。私は、家に帰って好きなスポーツ番組を見たいんです」と言えるだろうか。いや、ぜひ言って「えん戦」を貫きたいが。


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