UA-92533382-1 『夜と霧』(V.フランクル・池田香代子・新訳): よつば農場便り

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2022年5月 8日 (日)

『夜と霧』(V.フランクル・池田香代子・新訳)

心理学者のフランクルが、ナチスの強制収容所での体験を、自らの心理学者という立場で分析した著作。本題は、『心理学者、強制収容所を体験する』というものだそうだが、日本でも、霜山徳爾氏の旧訳がたくさん読み継がれてきた。本屋さんでは、旧訳版と新訳版が並んでいたが、私は池田香代子氏の新訳版を手に取った。

フランクルは、自分を被験者としながら、被収容者が、突然日常生活から切り離され、収容所へ集められ、これまで背負ってきた名前、職業などすべてを捨てて番号で管理される初期の心理、そして、強制労働に従事しながら碌な食べ物も与えられず飢餓に苦しむ、過酷な生活を送る心理、そして、ついに解放されることになる心理、などを分析している。

分析や描写はどれも斬新だが、私は特に、収容所生活の苦しみにどんな意味があるのかを考察している後半部分からの叙述に考えさせられることがあった。生きるか死ぬかの常にギリギリのところで、暮らしていた被収容者たちの過酷な生には、もちろん私のような生ぬるい生き方は当てはまらない。しかし、苦しみの中に意味を見つけることという、フランクルの考え方は、普遍的だと思う。つまり、収容所の中にいても、他の世界にいても人の生に共通のことだと思う。

それに、収容所は、遠い過去にあるのではない。私は自分の過去の言動から言っても、政府が推し進める戦争に反対した非・愛国者として収容所に収容されるそんな近未来がこの日本にもすぐそこにせまっているという感じがする。そして、現にこの日本には、外国人を収容する収容所がある。今も、入管職員の恣意のままに拘留されている人たちがいるのに、今後、戦争便乗で、外国人排斥の機運がますます高まり「外国人だから」という理由で、収容所に収容される人も増えるのではないか?

フランクルは、監視者側の人間の心理や、そして被収容者の中で取り立てられて、被収容者を監視する側へと協力するようになった人間の心理も分析している。もちろん、自分が絶対的に有利な立場にあるとわかっていて、相手が無力であれば、いくらでも人間はむごい仕打ちができるようになる。日本の入国管理所で収監されたスリランカ人女性をむごく取り扱った職員の人たちもそうだろう。しかし、それは個人を責めることはできない。人間の性、人間のむごさだ。

だが、限界状況の収容所の中でそこを踏みとどまった人が少数だがいるという証言をフランクルはしている。そういう人間性の気高さを聞かされると鼓舞される。私も勇気をもって踏みとどまりたい。そんなことを思わせてくれるこの本は、フランクルという人がこの記録を書いてとどめなかったなら、この世には存在しなかったはずだ。そう考えると、運命や偶然の尊さに頭が下がる思いがする。

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