UA-92533382-1 失敗の本質: よつば農場便り

« 県民の命を守る | トップページ | 人権問題を考える »

2021年12月15日 (水)

失敗の本質

福島核発電所爆発事故の後から、失敗の本質を見極めよう、そして失敗の教訓から次の事故を防ごうという動きや機運が高まったことは良いことだと思う。「失敗学」は、核発電所事故以前から奇特な方々が行い切り開いてきた分野だ。例えば、日中戦争や太平洋戦争の失敗の本質はどこにあるのかというような振り返りが行われてきた。私たちにとって重要なのは、さまざまな失敗の本質をつかんでそれを生かし、「失敗」の苦しみを繰り返さない、味あわないということだろう。しかし、「失敗」は繰り返される恐れはある。「女川核発電所」再稼働を始め、全国の核発電所、さらには、威勢の良いことをいう人が戦争・紛争をあおり、自分は特権を利用していち早く安全なところを退避することなど。

「外環道建設のための大深度トンネル工事」でも、失敗の本質が繰り返されている。工事は「絶対に安全」という喧伝のもと行われたが、実際は、調布市の住宅街で陥没事故が目に見える形で起きてしまったので「失敗」が露呈し、もはや覆い隠せなくなっている。この件で、「失敗の本質」が繰り返されているなと思うことは、「計画や工事は、理想の形でのみ想定されていて、そこに齟齬や、行き違い、想定外のことは起こらない」ということになっている点だ。政府や事業者がこうなってほしいという願望のみに基づくシナリオしか存在しない。計画や想定に、「それは違うのではないか」というクレームは、ありえないことなので聞く必要もないし、そもそも批判ばかりしている奴は生産的でないので、対案を出さない限り相手にしない。

この「大深度トンネル工事」では、さすがに道路に穴が開いてしまったので、事業主体の高速道路会社が、調査をしたが、その調査結果は、「トンネル工事の真上ではその影響はあったが、真上から離れたところには影響はない」というものだ。これも見事に「失敗の本質」が繰り返されている。

核発電所事故と同じく、事故は本来あり得ないという政府と事業者のシナリオなので、事故の被害はなるべく小さく想定する。事故を小さく想定するかもしくは「ない」とすることで、避難する住民を少なくし、住民を逃さない。じっさいこの「大深度トンネル工事」の真上から15メートル離れたお宅でも、家のひび割れ等は起こっているが、事故を少なく見積もれば「補償金」も節約できるし、「事故」を騒ぎ立てる人を減らし「風評被害」も防げる。

真上から15メートル離れたお宅の人々の苦悩と、「事故」を認めさせる闘いが、フクシマ核発電事故の場合と同じように続くだろう。裁判という手段で司法へ訴えるというような動きへとなっていくだろう。もちろん、司法の対応は、政府の後押しなので、住民に有利な判決や判断が出ることは少ないだろう。

しかし、「失敗の本質」は学ばれていないようでいて、少しずつ市民側の力が伸びている。フクシマ核発電事故後の住民訴訟もはかばかしくないが、それでも1000分の1ミリずつくらいは、司法を動かしている。フクシマ核発電事故後の住民や市民たちの運動や行動の蓄積は、「大深度工事」で苦しんでいる人たちの学べる教訓や力になることがいっぱいある。そして、手を取り合って「失敗」をなくす方向に進むことができる。

市民や住民が、少しずつ「失敗の本質」を学んでいる間に、私たちの大好きな政府・自民党だって、1000分の1ミリずつくらいは変わっていくかもしれない。私たちの大好きな大企業さんも、変わっていくかもしれない。

今後も「辺野古の米軍基地建設」「リニア新幹線」など、「失敗の本質」がもう露呈されつつある政府や大企業の事業・計画が目白おしだ。フクシマで「プルサーマル計画」受け入れを拒否した佐藤知事が冤罪をかぶせられたという「失敗の本質」から学ぶ事例がある。静岡県の知事の「リニア新幹線」に慎重な姿勢を住民・市民が後押ししないと、また大規模に「失敗」が繰り返されるかもしれない。

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

|

« 県民の命を守る | トップページ | 人権問題を考える »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 県民の命を守る | トップページ | 人権問題を考える »