UA-92533382-1 人権問題を考える: よつば農場便り

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2021年12月17日 (金)

人権問題を考える

私たちが、世界で起きている人権問題に積極的に関与したり、発言できなかったりする背景の一つには、私たちが過去に犯した人権問題に対して向き合っていない、謝罪していない、解決していないという後ろめたさがあるのではないだろうか。

現在の中国の人権問題を取り上げるとすれば、中国の側から、では日中戦争時の非戦闘員への虐殺行為や、細菌兵器への人体実験、化学兵器の遺棄などを持ち出されたらどうなるのかという遠慮もあって取り上げられないのではないだろうか。

日本は無謬で過去に人権侵害など犯したことはないという人は、中国の人権侵害を非難するだろうが、しかし、それはそれで説得力がない。自国の人権侵害は棚に上げ見ようともしないで、他国の非難をしてみたところで、それは他人が憎いのであってその他人がすることは何でも憎いといった、単なる他人のあら捜しをしているやのように映るからだ。

現在の日本政府も、自国の過去に人権侵害はないとする立場だが、中国で行われている人権侵害に何も申し立てないのは、また別の思惑があるのだろう。

とにかく、自国のであれ、他国のであれ、人権侵害は断固としていけない、侵害されている人たちに援助、救出をというのは、国を超えて市民の立場でとか、非政府組織の立場でとかで申し立て協力していく必要があるのではないだろうか。

そんなことを思ったのは、12月16日付の「河北新報」で安田浩一氏の論考「コリアンガード」を読んだからだ。「コリアンガード」とは、戦前の朝鮮半島出身の方々が、日本皇国民として戦争に取られ、捕虜の監視に当たらされたりした人たちののことだ。欧米人の捕虜などを動員して過酷な工事を行った泰緬鉄道の監視所で働いていた方は、日本敗戦後に捕虜虐待の罪で戦争裁判にかけられ、有罪となった。11年におよぶ監獄生活の後で出所したこの方に、日本政府は冷たかった。日本軍の軍人であれば、政府は恩給や遺族年金などを出し、生活を支えたが、この方は、日本人として戦争に参加し、裁かれたのであるが、戦争が終わってみれば、外国人として放り出され、何の補償も日本からは受けられなかったのだ。

このような不条理があるのだ。まさにこういう不条理は、今ウイグル人の方々が味わっているだろう不条理なのだ。こういう不条理が解決され、世界中で人権が守られてほしい。そこには、国や民族の別はない。

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