トーベ・ヤンソンの半生記
トーベ・ヤンソンというよりも「ムーミン」の作者、という方が圧倒的に多くの人が理解できるだろう。私自身も「ムーミン」の作者だからこの映画を見たいと思った。
子ども時代にアニメで見た「ムーミン」。なんだか不思議な話だったけど、でも子供の時は全く不思議に思わず、そういう幻想が幻想と思えず、ムーミン谷の登場人物全員が身近に感じられて大好きなお話だった。当然、その作者がフィンランドの女性だなんてことは全く分からず、ずっとずっと後になって知識として知ったのだった。
トーベ・ヤンソンの父と母も芸術家だった。特に父とトーベの関係が微妙で複雑でねじれていて、トーベは、イラストや漫画は「芸術」でないと卑下していて、画家という芸術家になりたいと葛藤している。
ムーミン谷の登場人物のイラストを発見して世に出るきっかけを作ったのは、ヴィヴィカという女性だ。(イラストは、あの日本のアニメで描かれていたようなほのぼのとしたものでなく、もっと、魔的で線が細くて何とも言えず引き込まれるような魅惑的なものだ)そして、ヴィヴィカとトーベはやがて恋仲になるが、ヴィヴィカに翻弄されてトーベは苦悩する。
それにしても、こういうことが起こったのが、第二次世界大戦後すぐの時代だということだ。日本でも、敗戦により軍国主義・ファシズムの呪縛から解放されて民主主義が息を吹き返していたが、フィンランドとは民主主義や自由の歴史や積み重ねの重みが違うのだろうか。トーベが最初に恋したのは男性だが、既婚男性だ。そして彼に妻と別れさせて結婚するのだが、その彼に、トーベは女と寝たと告白し、彼女のことが忘れられないという。当然、彼は苦しむが、こんなふうに、皆が個人の意思や自由を尊重し、誰も慣習だからというような理由でこういうことを拒否したりしない。トーベの周りがそういう芸術家の集団だから許されたことなのだろうか、それとも、フィンランドという民主主義が根付く国だからそうであったのか。
映画には、政治的な背景もちょっと描かれる。第二次世界大戦からその戦後にかけて、フィンランドはドイツとソビエトという野蛮で強権的な国家から圧迫を受ける。その中で、苦しみながら独立を維持していく様子が、ほんのちょっとした演出で語られている。同じく、野蛮で強権的な国々に囲まれている日本が、大国にべったりと従属している姿とは対照的だと感じた。
自由と立憲民主主義と共産主義との取り合わせはおかしいものではない。むしろ自由と民主主義と宗教の取り合わせの方がおかしい。自派の勢力拡大だけを願いどのような権謀術数でも行使する宗教は、自由と民主主義をむしばんでいると思うのだが。

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