現代アラブ小説全集『アヘンと鞭』(マムリ)・河出書房新社
マムリが書いた『アヘンと鞭』は、アルジェリア独立戦争が舞台だ。アルジェリア独立戦争が舞台ではあるが、そこに描かれた断片的な人間の姿から、全体的な人間の姿を浮かび上がらせているために、すぐれた文学に昇華していると私は思う。
マムリは、アルジェリアの作家だ。であれば、独立なり革命戦争の勝利を大々的に祝福してもよいはずだが、しかし、そのような政治的なプロパガンダ小説が優れた文学になりうるはずがない。そのような政治的な宣伝からは遠く離れていることで、文学的傑作の位置を保つことができている。
この小説を読んで感じることがいくつかある。
ひとつは、侵略者、抑圧者、植民宗主国は残酷だということだ。この場合は、フランス軍だ。独立運動に投じる者たちに「テロリスト」のレッテルを張り、拷問、殺害、そしてあぶり出しを行う。マムリは、それを淡々とした描写で描く。フランス軍の行為を声高に告発するのではない。だから、あらゆる歴史的な時間において、侵略者、抑圧者、植民宗主国は酷薄で卑劣で情け容赦がないということがわかる。そして、私には日本軍の中国や朝鮮半島での行為に思いをはせる。
被支配層の人民にも、植民地支配はむごさをもたらす。現地の人の中には、支配者層におもねり、取り入って、抑圧側に加わり、独立遊撃隊との連絡員を暴き出し密告するものも出る。ここではタイエブという人物がそうだ。しかし、タイエブは、村の中の最底辺として村人たちから馬鹿にされていた者だ。そういうタイエブが、フランス軍の権威を盾に、村人たちとの立場を逆転し、村人たちを抑圧しむごたらしい暴力を振るうようになる。彼のような人は、独立後に、祖国への裏切り者として、人民裁判でリンチされることになるはずだ。しかし、アムリはそのような結末を描かず、この裏切り者のタイエブの苦悩を描く。そこがこの小説の優れた文学たるゆえんだ。現代の日本でも、宗主国の意向を汲んで宗主国の方に顔を向けて政治をしているものは祖国を裏切っているのに、タイエブが感じた苦悩を彼らが感じているとは思えない。
苦悩は、この小説の主要人物と言ってもよいバシールを通しても描かれる。宗主国のパリで医学を学んだアルジェリア人という設定のバシールには、作者の体験が投影されているのかもしれない。バシールは、パリや「文明」が好きだ。しかし、彼は祖国に戻り、いきさつから独立運動に巻き込まれ、ゲリラ隊の軍医として活動するようになる。彼にはフランス人の恋人がいる。バシールが、独立や革命の大義を信じて行動しているかどうかはわからない。インテリらしく、抽象的に何かに悩んでいる。
そのバシールには、独立運動の闘士アリという弟がいる。アリは、フランス軍との戦闘中に捕らえられ、故郷の村で、村人たち全員の前で銃殺される。アリを思うサダディトという娘が、彼の死体を抱いて、彼は独立の日を見ることができなかったが、彼の思いは、皆の中に受け継がれていくと涙する。個を超えた生命の連続をここに見ることができ、感動する場面だ。

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