UA-92533382-1 2.5流の人間の幸せを考える: よつば農場便り

« 現代アラブ小説全集1「不幸の樹」(ターハー・フセイン)・河出書房新社 | トップページ | ムソルグスキー作曲・歌劇『ボリス・ゴドゥノフ』(1954年映画版 ネボルシン&ボリショイ劇場管弦楽団) »

2021年1月21日 (木)

2.5流の人間の幸せを考える

どこの会社、どんな分野でも、1流の技能を持ち1流の仕事をする人がいる。そして、どこの会社、どんな分野でも、それ以外の大勢の人がいる。

プロ野球は、プロになれるだけでも、野球という競技の分野では抜きんでたエリートで1流だが、しかし、プロの世界に入ったならば、その世界でまた1流となるのはほんの一握りの人だ。打者でいえば3割の確率でヒットを打つ選手だが、去年のパリーグでは、それは10人もいなかった。そういう一握りの選手はとてつもない高額の年俸をもらう。そうでない2軍の選手や、レギュラーとベンチを行ったり来たりと言った選手は、それなりの金額の年俸しかもらえない。(もちろん、それでも、一般の会社員よりは高額なのは、彼らがすでに、この分野ではエリートで選ばれた才能のある人たちだからであろう)

恐らくどこの会社、どんな分野でも、同じ風潮が強まっていると思うのだが、今、1流の人だけが、利益を総取りして、2流以下への分配は少なくしようとしている。自由競争経済を考えた時、1流の仕事人が仕事をする方が、2流以下に仕事をさせるよりも、1流の結果が出るし、効率もよいし、最大限の利潤が生み出せる。

ある会社やある分野では、そのようなやり方もよいのだろうが、(それでも、長い目で見たら、そういうやり方は持続的なやり方ではない)、社会全体がそのような流れに向かっているとしたら、一握り才能や技能の優れた人以外の、いわゆる普通の人たちの居場所がなくなる。普通の平均的な人たちこそが、まじめに働いて世の中を支えていると思うのだが、こういう大多数の人たちの幸せが、だんだん浸食されているのではないかと思うのだ。ただ、まじめに働いているだけでは報われてはだめなのだろうか。

 

こんなことを考えたのは、私が、特に、結果重視で1流の人が総取りをする傾向が強い業界とかかわっているからだ。もちろん、1流の人が1流を維持しているその努力や豊かな才能には十分敬意を払いたいと思うし、素晴らしい。それにしても、私のような2流どころか、2.5流の人間には、居心地が悪い。

にほんブログ村 政治ブログ 社会制度へ
にほんブログ村

|

« 現代アラブ小説全集1「不幸の樹」(ターハー・フセイン)・河出書房新社 | トップページ | ムソルグスキー作曲・歌劇『ボリス・ゴドゥノフ』(1954年映画版 ネボルシン&ボリショイ劇場管弦楽団) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 現代アラブ小説全集1「不幸の樹」(ターハー・フセイン)・河出書房新社 | トップページ | ムソルグスキー作曲・歌劇『ボリス・ゴドゥノフ』(1954年映画版 ネボルシン&ボリショイ劇場管弦楽団) »