UA-92533382-1 現代アラブ小説全集1「不幸の樹」(ターハー・フセイン)・河出書房新社: よつば農場便り

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2021年1月19日 (火)

現代アラブ小説全集1「不幸の樹」(ターハー・フセイン)・河出書房新社

エジプトのターハー・フセインが書いた「不幸の樹」という小説は、1800年代の末から1900年代の初めころのエジプトを舞台として、3代にわたる家族の物語だ。ちょうどこの時代は、日本でいえば明治から大正にかけて、いわゆる「近代化」が進んだ時期だ。だが、日本がそうであったように、「近代化」が一直線に続くものではなく、そこには古い因習も残り、「近代」と摩擦や齟齬を引き起こすのだ。

 

日本では、この「近代」の西洋化の時代にあって、夏目漱石のような知識人が苦悩した。ターハー・フセインの「不幸の樹」で苦悩するのは知識人ではない。変貌を遂げつつある近代的な大都市カイロではなく、ナイル川沿いの小都市・農村に暮らす普通の家族だ。

 

エジプトでは、近代化の波の中にあって、イスラム教とその因習に縛られた生活が問題となる。「不幸の樹」に象徴される不幸が体現するのは、主人公ハーレドの妻ネヒーサだ。ネヒーサは、抑圧された結婚生活の中で、精神に変調をきたしてしまう。男女関係、結婚生活が、あまりにも抑圧的なのだ。

 

作者ターハー・フセインは、誰かや何かを批判するような筆致では決してない。ゆったりと平明な記述の中で、時が過ぎていく。苦悩するのはネヒーサだけではない。精神に不調をきたさないとしても、多くの女たち、男たちが、進んでゆく時代の中で、流れに乗ろうとして、あるいは流れに取り残されて苦悩する。

 

西欧人が、西洋紀元1500年ごろから世界に進出して、どれほどの不幸がこれまで世界にまき散らされてきたことだろう。日本の明治以降の現代にまで続く歴史の苦悩・不幸についても、その多くが西欧との接触によってもたらされたものだ。ただ、西欧人も人間である。だから、西欧人の活動によって世界にもたらされた苦悩は、人間種が人間種にもたらした不幸である。だから、西欧人を排斥して済むものではなく、人間種全体で苦悩し、克服しなければならない。

 

西洋文明は、すぐ明日にも終わらないとしても、100年、200年後になれば、必ず振り返られて大いに否定される。自然破壊・環境破壊・温暖化・資本主義・核兵器など、あらゆる害悪をもたらした。その西洋文明が否定されるときに、日本は自分自身を持っていて、西洋文明にとって代われるものを提出できるのだろうか。西洋文明にただ追随していて、最もできの良い生徒のうちのひとりという今のままでは、新たな価値観創造には参加できないだろう。

 

アラブ世界の苦悩も深い。その苦悩を知るいい手掛かりは、このターハー・フセイン著の「不幸の樹」だ。

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