UA-92533382-1 よつば農場便り: 2020年12月

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2020年12月31日 (木)

核発電に脅かされず暮らす権利

今年、一番残念だったことは、宮城県の村井知事と宮城県議会とが、女川核発電所再稼働に同意を与えてしまったことだ。県民の願いは、もっと違ったところにあるはずだが、現在の議会制民主主義制度のもとでは、県民の思いとは別に、自民党の勢力は強いのだから、自民党の政策が粛々と実現されていく。民意が反映されないと言って、制度の欠陥を嘆いても、しかたがない。民意を実現する方の政治勢力は確かに劣勢で、自民党の強い政治力に対抗するほどには全く育っていないからだ。

 

村井知事はこのように発言したと、報道されている。
「核発電所の再稼働は必要だ。核発電がある以上、事故が起こる可能性はある。事故があったからダメとなると、すべての乗り物を否定することになる。技術革新をして人類は発展してきた。フクシマの事故を教訓として、さらに高みを目指す」

 

車の事故や飛行機の事故と核発電所を比較するのは、核推進派が用いる論法の常套手段だ。車の事故や飛行機の事故が起きないように、そして事故による不幸な人が増えないように、事故の原因を究明し、事故防止策を必死に考えてきた。核発電事故は、まだ原因も究明されてもいないし、事故を収束できるかも判明していない。それなのに、もう、次の事故の可能性ある施設を早々に再開するのだろうか。

 

そもそも、核発電を続けるためには、(そして今まで続けてきたことは)データのごまかしだったり、一部の人に被ばくを押し付けたり、過疎地の人だけに被害を押し付けたりと、人倫に関する不正義や社会に対する不正の上でしか成り立たない。これを車や飛行機の事例と一緒にすることなどはできないはずだ。

 

300年前には、人が何の制限もなく、自分の考えを述べたり、一般人が政治に関して投票権を持ったり、女性が男性と同じ権利を有するなどとは考えられもしなかった。しかし、人々の努力によって、そのような権利は、今日、当然のものとみなされて、誰も不思議に思うものはない。核発電に脅かされず暮らす権利も、これからの努力によって、5年、10年後には、そしてもっとのちの時代には、誰も当然に思って疑わない、基本的な人間の権利になる。

 

核発電所がなくなることが、一番、安心して、幸せになれることだ。核発電がある限り、常に私たちの生活は脅かされ、平穏は訪れない。

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2020年12月13日 (日)

外からの目

外国語を習うことは、もう一つの物の見方を与えてくれる。自国や自国の文化を相対化してくれる。つまり、自分の考えやモノの見方は、絶対ではないのだということを教えてくれる。自分や自国に囚われることから解放されたいのであれば、外国語を習ってみるというのはお勧めだ。

 

そういうわけで、私はインターネットのホームページを外国語のホームページにしていて、時に、世界の様子は、外国語でどのように報じられているのかなんてということを見ている。

 

日本のことを伝えた記事があったので要約してみる。

 

 

日本の草津町というところで、女性議員が町民投票によって解職された。町長や解職の先頭に立った町会議員の男性たちは、「これで町の名誉が守られた」と言っている。事の起こりは、解職された女性議員によるとこうだ。町長室に呼ばれた女性議員は、そこで、性暴力を受けた。女性は、そのことを訴え出たことにより、逆に、町長や町議会を侮辱していると激しく抗議され、ついには、冒頭で述べたように、男性町会議員が中心になった解職請求を起こされ、町民投票で解職されたというわけだ。

 

この経緯の考察として、これは、日本で性被害にあった女性が置かれる立場の典型的なものであるということ、つまり性被害にあった方の女性が激しい攻撃にさらされることは、伊藤詩織さんの例とも重なることや、そもそも、町政のトップや議会に男しかいないということの問題点が指摘されていた。全男性町議会議員たちが、結束して一人の女性に対し「トラブルを引き起こした」かどで糾弾したのは、本当はもっと深刻なこと、すなわち町政のトップによる性暴力があったかもしれないという可能性を調査することを放棄してしまった、ということを、識者の言葉を印象深く引用している。

 

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