UA-92533382-1 異論は許さじ: よつば農場便り

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2020年10月 7日 (水)

異論は許さじ

菅首相が、何の理由もなく学術会議での任命を拒否したことに、民主主義の危機を感じて強く異論を唱えたい。

 

菅さんは安倍さんと同様に、「言葉」を軽んじる流儀だ。「当たらない」と問いを退けるだけで、そこからは議論が生じない。今回の学者の任命拒否についても、こういう理由で拒否することが望ましいと個々の事例で説明すればすれば、そこから、議論は、行政と公務員との関係や、さらには根本的に学術の自由と政治との関係で、討論ができ、いろいろな立場の人が自分の気づかなかったことをその討論から知り、相手の考えもわかり、話し合いを進めて、望ましいあり方を模索し、その望ましい在り方に一歩でも近づけたのかもしれない。民主主義というのは、独裁はや強権政治と違って、効率的に一人の意思を実現するには向かないかも知れないが、こうして一歩一歩、行ったり来たりしながら少しでも最適解に近づき、そして、その決定のプロセスに多くの人がかかわるので、なるべく最大の人が納得する政治システムだ。

 

しかるに、菅さんは、はなから説明も議論もする気がなく、対話のチャンネルを閉ざす。これでは、「自民党の政策に異を唱えた学者に対する意趣返し」と、いわゆるケツノ穴の小さい理由で、そうしたのであろうと邪推されても仕方ない。

 

そして、そもそも異を唱えることが悪いことだろうか。いま、安倍さんの時代から「国税を払ってやることは、国に異を唱えてならない。なぜなら、国のお金がでているのだから」というテーゼがまかりとおっているが、まず違和感を覚えるのは、国=自民党だったり、国=安倍さんや菅さんなのだろうか。むしろ、私は異論があってこそ、国全体の利益だろうし、国益を増すと思う。ゆえに、異論を許さない、菅さんは、国家にとってもマイナスなのだ。

 

この道しかないと、異論を排除して突き進んだのは、中国との15年戦争だったり、満州の侵略だったり、鬼畜米英との開戦だったであろう。こうした歴史の教訓からでも、異論を重視して、全体の意思決定が変わっていたら、もっと違った歴史的結果に出会っていただろうということだ。もちろん、100年後に生まれた私たちが、歴史の結果を知っていて、当時の指導部を批判するのは簡単だ。だが、これから100年後の人たちが、今の私たちをどう判断するかだ。異論を許さず、この道しかないと進んでいった先に、全体の破滅が待っているかもわからない。異論を許容して、少しでも最適の解が見つかるようすべきだ。それを拒否する菅さんと自民党を強く批判したい。

 

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