UA-92533382-1 よつば農場便り: 2020年10月

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2020年10月30日 (金)

一度うそをついたら

一度うそをついたら、その嘘につじつまを合わせるために次々とうそにうそを重ねていかなければならなくなる。これは、だれしも経験があることだろう。嘘を重ねていけば、どこかでつじつまがあわなくなり、そうなっては、それを指摘した人に爆発して暴力をふるうとか、嘘でどうして悪いと開き直るしかなくなる。

 

一番いいのは、これも多くの人が経験から知っていることだが、最初にさかのぼって「嘘でした」と認めて正直になることだ。

 

菅さんが、日本学術会議の特定のメンバーを任命しなかったことを、「多様性を考慮して」と強弁しているが、「多様性」を考慮するのであれば、あえて、政府や自民党の考えとは違う人を迎え入れることの方が多様性が確保されると思う。誰にでもわかるこういう嘘をつくから、「やはり、自分の考えと相いれない人を切るためだったのだ」と余計な忖度もされる。

 

個人のどうでもよいウソなら、実害も少ないが、地位ある人のウソとなると、その嘘のつじつまをわせるために、多くの無辜の人が奔走することになる。その奔走や忖度がもたらした不幸せを何ら反省も、責任も、前任者は取っていないし、また菅さんもそれを継承しようとする。

 

ああ、それに「国語」や「読解力」の危機だ。「学術会議の会員の任命権は形式的だ」という文と、「推薦通りに任命する義務はない」という文は、同意なのだろうか。私たちは、子供に教育を施していて、文章を読む力や文章の内容から考える力を養おうとしている。1つの文章が意味することや含意すること、そこから正しく推測できることというのは、この世界の正しい論理構造を支えて、人がこの世界で生きていく上の大事な基盤を作っているが、この全く同意も含意もない2つの文章が同じであるというのであれば、私たちはまるで、アリスの体験した「不思議な世界」で生きているようなものだ。時間が一方向に流れ、地球の重心に向かって重力が働いているというような基本的な物理環境と同じように、思考や論理の世界は普遍的なものだと思うが、いかにもかけ離れた2つの文が「同値」だというのは、詭弁で、この世界を捻じ曲げるものでもある。

 

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2020年10月27日 (火)

あたらないは、あたらない

東京の外環道の大深度工事で、地上にひび割れや陥没の被害が出ているそうだ。大深度工事は、地上に影響が出る懸念が出されているにもかかわらず、そうした心配は考慮や検討されることなく、「当たらない」と退けられ行われ続けているものだ。

 

対案だったり、科学的根拠に基づく問題点の指摘をしているにもかかわらず、話し合われたり、検討されることなく、「当たらない」と退けられ強行されているものは多い。

 

他国軍に供与されるために、国費や美しい国土を犠牲にして埋めたたてが行われている沖縄の辺野古沖の軟弱地盤工事もそうだ。調査の数値を捻じ曲げて政府の意思を押し付けて工事しているのだが、もし軟弱地盤であれば、いくら杭を打っても埋め立てができるほどの地盤は作れず、何十年、何百年とこの馬鹿げた工事と、国富の消尽は続き、美しい国土は蹂躙され、そこに住む大切な生き物たちも死滅する。

 

福島核発電所の汚染水の海洋放水もそうだし、リニア新幹線の工事もそうだ。「当たらない」というだけで、科学も民主主義も少数意見も無視して突き進んでいくやり方は、いつかは天罰が下されるのではないかと恐ろしい。そのやり方で「人」は誤魔化せても、「天」は騙せない。

 

携帯電話の料金を安くすれば、本当に国民は喜ぶと思っているのだろうか。これは、まるで古代ローマ時代の統治方針、「パンとサーカス」を国民に与えるやり方で、本当は、あまりに国民を馬鹿にしたやり方だ。隣国諸国との関係を良くしたり、国家百年の計を立てたいと願っている国民だっているのだ。

 

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2020年10月18日 (日)

仮放免

今朝の7時のNHKのニュースで外国人収容施設を仮放免になった外国人が直面する問題が特集として取り上げられていた。菅政権や自民党の政策に反対する報道が許されるのだろうか?

 

と、このように書いては見たが、私は、単に政策や考えを批判するのではなく、そもそも問題があるのかを検証したり、問題がどこにあるのかを指摘することは、結局この国を良くし、国際的な関係の中で「名誉ある地位」を占めるためにはよいことだと思う。菅さんや自民党政権は、「国」や「公」を自分たちが独占していると考え、自分たちの考えに逆らい批判することを許さないが、「公」はそんな次元の低いものではないはずだ。

 

さて、報道は次のようなものだ。日本では難民申請をしても、認められる割合は、ほかの先進国と比べても異常に低く、国際的にも批判されている。認められない人は、母国へ送り返されるわけだが、出発前に、入国管理局の収容所に収容される。この収容所における人権を無視した人間の取り扱いそのものも問題だが、コロナウイルスの感染が広まったことから、密集状態を解除するために、収容所から外国人を退去させる「仮放免」が始まった。コロナウイルスのため、もしくは、母国で迫害を受けていたため母国に帰れない外国人は、日本社会にただ放置されるわけであるが、労働することも、医療保険に入ることも許されない。これでどうやって生きていくのか、という当たり前の問題と痛ましさを伝える報道特集であった。

 

この報道の中で、政府の外国人政策に対してこのようにすべき、このような問題点があるというコメントを引用されている大学教授がいたが、この人も、将来、菅政権と自民党政権が永遠に続く限り、学術会議の任命を理由なしに拒否されるのだろうか。もしくは、政権の顔色をうかがい忖度する大学から、雇い止めされたりするのではないかと、この教授のことが心配になる。

 

安部さんも菅さんも、国内に敵を作り敵をたたくことで、支持を浮揚させ人気を得てきた。その敵としての格好のターゲットが「外国人」だ。強硬な難民政策や厳格な出入国管理、抑圧的な収容所運営は、政権を支える人気のある施策だ。だが、菅さんが独占している「国」や「公」を超えた、「国」や「公」のためには、決して良い政策だと思わない。

 

暗い話ばかり書いてきたが、こういう憎しみや分断をあおる人たちばかりではなく、それを乗り越え、融和や友好や連帯を望む人がいて、そういう人たちの力だって、侮れないほど大きくなり、歴史を進めていくと、私は信じている。「頭の中にお花畑が咲いている」と、馬鹿にされても、そういう希望があるから生きていける。

 

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2020年10月15日 (木)

弔意の強制

自民党菅政権が、中曽根元首相の葬儀に当たって、弔意を強制している。

 

弔意というのは、真心から出るもので、強制すれば、人は面従腹背になるだけであり、そもそも、良心や信仰への侵害である。

 

中曽根さんは、総理大臣まで務めた国家の公人なのだから、国家に従うものは、弔意を表明して当然だと、菅さんは考えるのだろう。(私自身は、100歳近くまで生きた人に対して、そして大きな影響力を国家に与えた人に対して、何らかの敬意を抱いているが、それを人から強制されたくはない)それに、中曽根さんは、自民党の政治家だ。自民党イコール国家イコール「公」なんだろうか。

 

もう一度「公」とは何かという議論もするべきだと思う。

 

そして、政治家の評価は、後世を待って決まるものでもないかと思う。慰安所の開設や、今でも多くの人が被害に苦しんでいる核発電の導入など、功績や論考は客観的に、歴史がもっと明らかになってからだってできるだろう。しかし、これも「異論は許さない」「検証もさせない」という、菅さんの政治スタイルなのだろうか。しかし、それは許さなれないし、私は「反対する」。(たとえ、あとで、何かの委員会や会議のメンバーの就任が拒否されようとも)

 

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2020年10月 7日 (水)

異論は許さじ

菅首相が、何の理由もなく学術会議での任命を拒否したことに、民主主義の危機を感じて強く異論を唱えたい。

 

菅さんは安倍さんと同様に、「言葉」を軽んじる流儀だ。「当たらない」と問いを退けるだけで、そこからは議論が生じない。今回の学者の任命拒否についても、こういう理由で拒否することが望ましいと個々の事例で説明すればすれば、そこから、議論は、行政と公務員との関係や、さらには根本的に学術の自由と政治との関係で、討論ができ、いろいろな立場の人が自分の気づかなかったことをその討論から知り、相手の考えもわかり、話し合いを進めて、望ましいあり方を模索し、その望ましい在り方に一歩でも近づけたのかもしれない。民主主義というのは、独裁はや強権政治と違って、効率的に一人の意思を実現するには向かないかも知れないが、こうして一歩一歩、行ったり来たりしながら少しでも最適解に近づき、そして、その決定のプロセスに多くの人がかかわるので、なるべく最大の人が納得する政治システムだ。

 

しかるに、菅さんは、はなから説明も議論もする気がなく、対話のチャンネルを閉ざす。これでは、「自民党の政策に異を唱えた学者に対する意趣返し」と、いわゆるケツノ穴の小さい理由で、そうしたのであろうと邪推されても仕方ない。

 

そして、そもそも異を唱えることが悪いことだろうか。いま、安倍さんの時代から「国税を払ってやることは、国に異を唱えてならない。なぜなら、国のお金がでているのだから」というテーゼがまかりとおっているが、まず違和感を覚えるのは、国=自民党だったり、国=安倍さんや菅さんなのだろうか。むしろ、私は異論があってこそ、国全体の利益だろうし、国益を増すと思う。ゆえに、異論を許さない、菅さんは、国家にとってもマイナスなのだ。

 

この道しかないと、異論を排除して突き進んだのは、中国との15年戦争だったり、満州の侵略だったり、鬼畜米英との開戦だったであろう。こうした歴史の教訓からでも、異論を重視して、全体の意思決定が変わっていたら、もっと違った歴史的結果に出会っていただろうということだ。もちろん、100年後に生まれた私たちが、歴史の結果を知っていて、当時の指導部を批判するのは簡単だ。だが、これから100年後の人たちが、今の私たちをどう判断するかだ。異論を許さず、この道しかないと進んでいった先に、全体の破滅が待っているかもわからない。異論を許容して、少しでも最適の解が見つかるようすべきだ。それを拒否する菅さんと自民党を強く批判したい。

 

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2020年10月 3日 (土)

強権・恐怖政治

菅首相が、学術会議のメンバーとして自民党の政策に反対の立場をとった識者を拒否した。菅さんからは、なぜ拒否したのかの説明はないが、「当たらない」という短い言葉だけで、説明や対話を否定する政治姿勢をお持ちのような方なので、国民に対する説明はないだろうし、なくて当然だと思っていらっしゃるのだろう。

 

私はこれは憂慮する事態だと思っている。「学問」の自由がこの国から失われていく。政府や時の権力者に追従する御用学問しか、存在が許されなくなる。「学問の自由」なんて、自分には無縁のものだと思っている国民の方も多いだろうが、真綿で徐々に首を絞められていくとそれに気づかないように、失われていく「学問の自由」は、私たちの「思想・信条の自由」にまで下りてきて、気づいたら、菅さんの考えに反対したばかりに、収容所に送られる(一般の市民までが)「収容所列島」にならないとも限らない。

 

やくざ映画ややくざ漫画の「組長」に私たちが投影したり、「蛇」に投影したりする、敵対するものは絶対に許さない酷薄さ、昔の瑕疵は絶対に忘れずに覚えていて掘り起こす執念深さ、そういうものを、菅さんに感じて、背筋が凍る思いがするのだ。

 

日本を批判したり、日本を貶めたりする言動は一切許さないという考えの方々が、安倍さんや菅さんの政治的な勢力として大きな支えとなっている。そのような方々からは、私のようなものは非国民になるのだが、しかし、国を思う心情は人一倍あるのだということをしっていただきたい。国民の財産が、無残にたたき売りされて国民に損害を与えるのであれば、それはおかしいと声を上げて、どうしてそのようになったのか、公文書を確かめて検証しようと主張することの方が、必ずこの国のためになることで、もしそれを拒否して、公文書は速やかに廃棄したなどと述べて、国家財産を不当に安く売りさばいたりすれば、そちらの方が国家に害を与えることになるはずだ。

 

このように批判や権力に対する監視があってこそ、全体や公共の利益も守られ「日本」のためにもなる。批判や権力に対する監視が許されない、世界の強権国家(たとえば、敵対者や批判者を安易に毒殺したり処刑したりするような国や、強制収容所に人々を閉じ込めているような国)が、健全な発展をするような国だと思うだろうか。健全な発展をする可能性をこの日本の国に保証したいので、私は民主的な批判や権力の監視、学問の自由と独立などを支持したいのだ。

 

 

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