UA-92533382-1 よつば農場便り: 2020年8月

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2020年8月29日 (土)

アベ政治を許さない

安倍首相の体調が悪くなったことは気の毒だ。同情申し上げるし、体調の回復をお祈り申し上げたいと思う。

 

油断はできないが、安倍さんの念願の憲法改変も一時遠ざかったと思う。時機の悪さに安倍さんは歯噛みをして悔しがっているかもしれないが、運・不運はいずれにもあり、むしろ、安倍さんや自民党政権が仕掛けておいた核発電所の事故が、ちょうど民主党政権時代に重なり、「最悪の政権だ」と批判の根拠にできたことは、安倍さんの運の強さを物語っているのかもしれない。

 

安倍さんの健康状態とは別のこととして、民主政治を無視した手法は厳しく糾弾されなければならないし、格差や差別を助長して社会に分断をもたらし、その分断による悪気に乗り政権の人気を浮上させた手法や、弱者や被害者に目を向けない原子力政策を含め、批判すべきだと思うこと、私にはたくさんある。

 

民主的なプロセスである、決定事項の証拠である公文書を速やかに破棄したり、法令にのっとらない、憲法を順守しない姿勢は、この国の民主主義を大きく後退させ、破壊したものとして、厳しく糾弾されるべきだ。法令に乗っ取らないとなると、首相を批判しただけで「不敬罪」だとか、そんな荒唐無稽と思える、恣意的な施策が実現可能になるし、そうなれば、自由で民主的な社会は崩壊する。

 

ヒットラーの演説にかの国の国民は熱狂し、軍国日本の勇ましい虚報にかつて国民は熱狂した。安倍さんは、意味のない虚しいことを何度も繰り返し、批判に対しては「当たらない」と退け論理的な討論を拒み、自分の主張を言い募るだけだった。「言霊」の存在しない虚しい言に、多くの国民は熱狂的に・好意的に応えた。安倍さんにこれだけ多くの国民が応えていることが心配だ。今の日本社会が、やはり同じくらい内に空虚を抱えているのではないだろうか。その表れとしての安倍政権の長期の人気だったのではないだろうか。

 

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2020年8月22日 (土)

記録と文明の崩壊

なにかと記録が失われ、なかったことにされる国なので、ここに記録をしておけば何かの一助になるかも知れない。

 

女川原発の再稼働に賛成した女川町の議員の方の名前:
隅田 翔氏
鈴木良徳氏
佐藤誠一氏
阿部薫氏
平塚勝志氏
木村公雄氏
鈴木公義氏

 

反対した議員お方の名前:
高野晃氏
阿部美紀子氏
安倍律子氏

 

委員長・議長のため賛否に加わらなかった方の名前:
宮本潔氏
佐藤良一氏

 

賛否を表すのは、わたしには、これは重い決定に思える。というのは、将来事故があれば、それは決定に加わった人にも責任はあると思うからだ。だが、核発電については、だれも責任をとらなくてもよいという不文律があるからか、ここで将来の責任を問おうと思っても、かなわぬことになるのだろうか。

 

ちかごろ、私の頭にしきりに浮かぶのは、「文明の崩壊」ということだ。人類の歴史1万年ぐらいを振り返ってみても、これまで突然の文明の崩壊はしばしば起こっている。繁栄していた文明が、突然、失くなり、人々がかき消すようにいなくなる。あとには、住居跡や神殿跡など、文明の廃墟だけが残される。気候変動、食糧危機、感染症の流行、文明が滅亡した原因は謎に包まれている。だが、事実として文明の崩壊は繰り返し起こっている。

 

静かにこの繁栄した文明が幕を閉じればいいだろうが、核分裂の崩壊熱はだれが管理するのだろうか。文明の器である核発電施設は、文明の人間たちが管理し続けなければならない、巨大神殿だが、文明の方が先に崩壊し、熱を放つ神殿だけは、ジャングルの奥深くから何百万年と熱き放射線を射出し続けるという終末絵巻が、頭に思い浮かぶのだ。

 

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2020年8月14日 (金)

釜石市の放射性廃棄物拒否条例

北海道のある自治体が核発電で出た放射性物質を受け入れると手を挙げた。人口減少に悩まされ、調査に協力するだけで20億円というおいしい条件に、その自治体の長は将来の安定を考えて受け入れるということだ。以前、政府の人が、最後は「金でしょ」と言っていたが、まさにその通りだ。

 

しかし、核発電で地元経済が発展するというのは「神話」なのだ。様々な神話を含めあらゆる物語を動員しないと続けられない核発電は、残念ながら、経済的発展をもたらすどころか、経済的な衰退をもたらす。日本各地の過疎の自治体に住むあらゆる人たちが、日本に住むすべての人と同じ条件で持続的に平和に幸せに暮らしていける方策を考え、協力するのは全国民の義務だと思うが、核発電については、推進して利得を得たものが、苦しい時に逃げ出すのではなく、率先して責任を取り罰せられるのが、倫理的には正しいと思うが、残念ながらそうはなっていない。

 

岩手県釜石市も新日鉄の高炉の火が止まってからは、経済的には決して楽ではないし、東日本大震災では様々な被害も受けた。その釜石市は、放射性廃棄物拒否条例を制定した。市長の野田氏のインタビューが7月9日付の『河北新報』に掲載されていた。心に残った野田氏の発言を以下に引用する。

 

「国は無理矢理に計画を進めることはないだろうが、市民はそうは思っていない。最初の段階で歯止めをかけるべく市の立ち位置を明確にした」

 

「国の原子力政策には性善説で臨みたいが、我々の思いとは違う形で動くという不信感が消せない」

 

「電気を使う以上、一人一人の問題だと、一国民や小さな自治体に責任を考えさせるのはずるいやり方だ」

 

「国は原発を作るのなら、廃棄物処理まで国民の理解が得られるシステムを確立させるべきだった。途中で何とかなるという発想が過ちだった」

 

「交付金などで歓心を買うのではなく、国民の信頼を着実に取り戻すことが重要だ」

 

「事故をきちんと処理できる国だったら、処分地に協力しようという地方が出てくるかもしれない。現状はその域に達していない。コントロールできていない以上、原発はやめるべきだろう」

 

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2020年8月11日 (火)

見たい映画

河北新報、2020年7月23日付の記事を見て、見てみたい映画だなと思ったものがある。

 

河北新報では、東京オリンピックにまつわる特集記事を連載している。その中で、1964年の東京オリンピックについての市川崑監督の記録映画「東京オリンピック」が紹介されていた。この映画は国内だけで約2000万人の人が見て、カンヌ映画祭などでも賞を取り、国外でも評価か高かったという。しかし、この映画は「問題作」なのだという。

 

なぜ「問題作」かというと、国家は威信と国威発揚を目指して、記録映画を撮るようにと予算を渡して市川監督に映画を作らせた。ところが、市川監督は、日本選手の活躍を網羅することもせず、競技の結果を詳しく伝えることもなく、ボクシングをモノクロ映像で撮りジャズを流し、東京の街の喧騒を映し出すなど、前衛的な芸術作品に仕上げてしまったのである。

 

河野さんという大臣は当然「記録性を全く無視したひどい映画」と批判する。それに対して、高峰秀子さんは、個性の強い市川監督を指名したのに批判するのは不勉強であり、映画監督は単なる編集者ではないと擁護したという。「芸術か?記録か?」ということが論争となり、それもあって、映画館に多くの人が見に訪れたという。

 

私が面白いと思ったのは、これらのことを現代の視点から見て何が言えるかを考察したところだ。多くの人が映画を見に行ったというのは、自分はどう思うのか、自分の目で確かめようとしたことであり、それはとても健全なことであり、もし今なら、映画を見に行きもしないで、税金を使ったのにそんな映画を作るのはけしからんという炎上が起こっただろうというくだりだ。

 

以下は、記事を引用。とてもいい言葉だ。
「表現されたものがそのまま観客に届けられ、見た人が自分自身の感想を言う―。作り手と受け手のそんな関係は今、ゆがめられていないだろうか」

 

わたしも自分の目で確かめるためにぜひ見てみたい映画だ。

 

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2020年8月 1日 (土)

特急ひたち

常磐線の全線開通は東北人にとってはうれしいものだ。東北地方の真ん中を縦貫する東北本線に加えて、太平洋沿岸を走る常磐線の両方が、東北のかなめの交通だ。

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車両は新しく、中はきれいで快適であった。残念ながら、このご時世で、乗客は少なかったが、またたくさんの人を乗せて活躍してほしい。

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東北をはじめ、人が幸せに暮らしていくことの最大の不安や妨げは、核発電所や核燃料再処理工場だ。人々が大事にしてきた暮らしを根本的に壊してしまう。壊してしまったうえで、放射能汚染など全く大したことがないのに、騒ぎ立てて風評被害をもたらしているというような詭弁や強弁で、被害者を糾弾し、その一方で自己の責任者は一切罰せられることがないという矛盾の上にしか、核発電は成り立たない。

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出張先のいわき市では、核汚染水に海洋投棄に反対する人たちに協力して署名をしてきた。汚染などされてもいない水を海に捨てるのに何ら問題がない、その海で採れたものを食べなかったり輸入を禁止する国は、そっちの方が誤っているのだという、詭弁と強弁の上にしか、この海洋投棄は成り立たない。ああ、ちゃんとした「ことば」をききたい。

 

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