UA-92533382-1 よつば農場便り: 2020年7月

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2020年7月27日 (月)

プラド美術館

いま、「プラド美術館」に行くことはできないが、「プラド美術館」という映画を見に行くことはできる。

 

この映画は、名画をたっぷり見させてくれるわけではない。

 

美術館の設立された経緯や、スペイン王室のコレクションとの関係、スペイン王室の庇護を受けたティッツアーノら歴代の画家たち、内戦中の美術品の疎開、共和国政府の教育政策と美術館との協力関係、修復作業員たちの丁寧な仕事や情熱、館長や学芸員たちのコレクションや美術館に対する熱い語り、美術館にそれぞれ思い出やかかりわりを持つスペインの女優さん、フラメンコの踊り手、写真家などの語り、などで構成された映画だ。

 

映画の中では、コレクションの名画は、じっくり見ることはできないが、ぜひともじっくり名画を見にプラドまで行きたいと思わせる映画だ。映画中で、ちらちらと名画の断片を見せてくれるのだが、それだけでも名画は本当にすごいし、これだけの名画の集積ということが信じられないことだ。

 

画家たちの生き方や個性もすごい。なんていってもゴヤはすごい「変人」だ。これだけの絵を残した人は、ちょっと尋常じゃないところがあったのだろうと思うのは私だけではないだろう。ゴヤのお墓には頭蓋骨が残ってないそうだ。熱心な骨相学者が、持ち去ったのではないかということだ。その気持ち、わからなくもない。ああ、プラドのすべての名画、目の前で見てみたい。

 

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2020年7月26日 (日)

仙台フィル特別演奏会

コロナ感染症拡大の影響で、演奏会が中止されていた仙台フィルが、4か月ぶりに特別演奏会を開催した。山形交響楽団との合同演奏会で、指揮は飯森範親さん。

 

地元の芸術活動を応援したいという気持ちと、チャイコフスキーの第5番が聞けるというお目当て演奏会に行った。

 

演奏会自粛を受けて、再開ということで今回の演奏会は特別なものがあった。それは、プログラムに表れていた。「祈り」「未来」「希望」と3部に分かれたプログラム。

 

「祈り」では、地元プロサッカーチームで用いられているファンファーレ曲が演奏された。そしてブルックナーの宗教曲。この「祈り」部門は、金管のみの演奏だ。

 

「未来」部門は、エルガーの弦楽曲が演奏された。これは、なかなか聞く機会のない曲だが、飯森さんが「いい曲で、聴きどころが多い」と事前に解説してくれて、本当にその通りで盛り上がった。これは、弦楽器のみで演奏された。

 

どうしてこういうプログラム編成なのだろうと思ったが、金管と弦楽器が見事に融合、爆発したのが「希望」部門のチャイコフスキーの交響曲第5番だった。金管セクション、弦楽セクション、それぞれが音出しをして、今日の会場や天候具合に慣れたところで、このチャイコフスキーの交響曲が来た。そういうねらいだったのか。

 

チャイコフスキーの第5番は、どんなメレディーで、次はどんな展開になるというところまで知っているほど聞き込んだ曲だ。でも、生の演奏はCDやインターネットで聞くのと全然違って、いい。チャイコフスキーの素晴らしいオーケストレーションの妙がよくわかる。いま、オーケストラのどの位置の楽器の人たちが演奏しているのか、どこから音が出てくるのかというのが視覚でも聴覚でもわかるから、主題がここからここへ引き継がれているということや、主題がこことこことで違った形で繰り返されているとか、きれいなメロディーを今、ここが奏でているということがとてもよくわかり、本当にオーケストラのだいご味が味わえる。

 

楽団員の方々もとてもいい音を出してくれて本当に熱演だった。わたしたち聴衆も目いっぱい楽しませてもらい、惜しみない拍手を送った。

 

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2020年7月16日 (木)

Japanese lives matter

不条理な仕打ちに対して「我々の命は大事だ」と、同じ扱い、基本的人権の保障を主張してもよいのではないかと考えさせることがあった。

ひとつは、米軍海兵隊の2018年高知県沖での墜落事故報告書が発表になったことだ。それによると、戦闘機のパイロットは訓練を終えると9割がアメリカ本土に配属され、1割が岩国基地に送られる。岩国基地のパイロットは戦闘訓練中に自撮りや読書を楽しんでいたことが判明がしているが、今回の報告書では岩国に送られるパイロットは成績平均以下のものが送られているとのことだった。

さて、ここからは下衆の勘繰りであるが、植民地の人民、二等国民、有色人種である日本人なら、飛行機が墜落しようが、住宅地ぎりぎりに飛ぼうが、多少危険な目に合わせてもかまわないというのが、本国・宗主国の判断なのだろうか。それなら、私は、私たちだって、Japanese lives matter主張して、自分たちの権利を認めてもらい、本国の人たちと同等の権利を勝ち取る運動をしてもいいのではないかと思う。

もう一つの出来事は、こちらからは立ち入ることができず、あちらからはいくらでも自由に出入りできる米軍基地内で、コロナ感染が広がっている(らしい)ということだ。そこは、治外法権の場所だから、我が国の行政や対策本部は、実態する把握できない。感染者が自由に基地外に出て、そしてアメリカ本国との人のいききに、何ら日本政府は検疫的な行動をすることはできないのだ。コロナ感染が爆発的にならないように、日本の市民が努力をしていても、それに忖度などしてくれるべくもない人たちが、感染を広げるかもしれないのだ。感染した人をもちろん責める気はない。感染予防のために、患者の把握や病院体制の整備など一貫した政策を行うためには、こんなふうに政府の対策の及ばないところがあっては困ると思うのだ。そもそも、アメリカは感染防止対策に失敗している国なのだから、基地が感染源になって日本の感染増が止まらないということもあるのではないだろうか。

そこで私が思うのが、「独立・自立」だ。治外法権を無くして、自分たちの自治を取り戻すには、本当の意味で「独立・自立」が必要だ。世界一の暴力的な国家であるアメリカのくびきから独立することは容易ではないだろう。彼らは強大な暴力だけではなく、心理戦にもたけている。独立運動のリーダーが出てこようものなら、あちらはインターネットの通信記録などは全部持っているだろうから、そこから「この人物はこれほど卑劣な人間なのですよ」というようなスキャンダルも容易に捏造して独立運動を妨げようともするだろう。

だが、今の国際社会は、人間社会と同じで、暴力をふるって自分の主張を押し通そうとする人が、やがては社会のメンバーの信頼を失って、社会的地位を保てないのと同じように、国際社会だって、支持や信頼を失って誰も支援しなくなれば、超大国だってその威信をいつまでも保てるものではない。

 

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2020年7月 2日 (木)

国家保安法

香港で「独立」の旗を所持していただけで、逮捕されたというニュースを聞くと、胸騒ぎがする。中国のやり方を、ひそかに効率的で有効であると称賛している為政者も多いのだろうから、「彼から学べ」という指示も広がりかねない。

「政治哲学」的に考えてみると、「独裁国家」においては、独裁国家の意に染まない言論の自由は当然、許されないだろうし、「独裁国家」という「国体」を否定する動きはすべて国家転覆罪として重罰の対象だろう。

では「民主国家」では?「民主国家」自体を否定する言論や民主国家を否定する動きは許されるのだろうか。「共謀罪」や「治安維持法」に当たるような法律があり、国家転覆を図ったり、外国勢力と結託するような動きを罰することはできるのだろうが、いまのところ「言論」については、たとえそれが、民主主義を否定するようなものであっても、大目に見られている。ある政治哲学者の見解によれば、否定的な言論であろうとも、言論の自由があること自体、「民主主義」の概念を発達させるものであるし、そもそも「民主主義」が究極の到達点であるかもわからないのだから、言論の自由は、進歩を促すためにも必要である、ということだ。もちろん、「民主国家」でも、どこまで言論の自由が許されるのか、例えば「ヘイトスピーチ」まで、言論の自由に含めるのかということは、常に意見を出し合い、検討し合う問題であるが、「言論の自由」を封殺してしまえば、そういった否定的な意見すら知ることができなくなり、検討することが不可能になる、だから、「民主国家」では、「民主国家」自体を否定する言論でも、自由が認められるべきだというのは、私も同意する。

わたしは、宗主国のアメリカに対して従属することをやめて自立した方がよいという日本の「国体」を否定するものである。そんな私も、お目こぼしをもらって大して見ている人もいなだろうこんなブログで「言論の自由」を謳歌している。しかし、それも、時の政権の思惑次第ということを思うと、少し空恐ろしい気がする。だから、香港の人たちに共感し、連帯し、民主的な価値を守りたいと思うのだ。

 

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