UA-92533382-1 新型コロナから考える その2: よつば農場便り

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2020年5月 3日 (日)

新型コロナから考える その2

識者が、このコロナウイルス感染症の時代を通して思考する観点を与えてくれる特集記事を、引き続き紹介したい。2020年4月22日付の河北新報には与那覇 潤氏と、将基面貴巳氏の論考が掲載された。

与那覇氏は、オリンピックについて、このように論考している。

オリンピックというのは基本的に「新興国型」の催しだという。それはなぜかというと、自国の外に広がる世界に一握りのエリートスポーツ選手が活躍するのを、銃後の私たちが前線にいる兵士をあおる構図になっているからだという。日本は、新興国ではなく、「老熟国」。外に向かうのではなく、うちに受け入れていくというポジションになるのに、オリンピックに熱狂しているのは、「途上国」のままでいたい国民の心性があるからだと指摘する。

私も前から思っているのだが、「老熟国」の民だってそれなりに幸せになれるし、老熟国にふさわしい幸福を追求した方がよいし、それを示すことがまた、世界に対する貢献だと思う。伸びあがって、ここにないものを探し、それで虚栄心を満足させることはないと思う。

将基面氏は、日本の同調圧力の強さを指摘する。また、日本人であれば危機を乗り越えられるという愛国主義の発露が、海外から見て取れるという。ウイルス拡大と関係があるのは良き市民としての個人のふるまいであり、そこに日本人というアイデンティティは関係ないという。非常時とはいえ、全権を政府に預けてしまう危険性を指摘する。

今回のコロナウイルス蔓延での、私の社会的な気づきは、やはり日本人は、江戸時代と同じ、相互監視の五人組的精神を保持していて、いともやすやすと翼賛体制に、自らが参与していくのだということだ。コロナウイルスに感染したものは村八分になり、自粛を守らないものをお上に告げ口し、相互に政府の言いつけを守っているか監視する。「欲しがりません勝つまでは」精神を発揮して、どんな理不尽なことにも進んで我慢して、悪いのは我慢できない自分だと自分を責めたてる。緊縛すればするほど、もっと縛ってくださいと懇願してくる。

変化しないこういう精神的側面も、コロナで変わるのか、それとも、緊急事態条項が常態となって、ずっと自虐の喜びの中に浸り続けるのだろうか。

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