UA-92533382-1 よつば農場便り: 2020年5月

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2020年5月25日 (月)

京マチ子さん

家で自粛中なので映画を見る機会多くなっています。「芸」の技事も人の世の大切なもののうちの一つです。

京マチ子さんといえば、黒澤明監督の「羅生門」、溝口健二監督の「雨月物語」を見てました。これを見て「恐ろしい」女優さんだなと思っていました。「異様な」迫力があります。そして、同じく外国映画祭でグランプリをとった作品でも、「地獄門」を見て、また別の京マチ子さんの面も見れたと思いました。

「愛染かつら」はいろいろな女優さんで何度も撮られた映画で、この映画で使われた歌も大ヒットしました。京マチ子さんと鶴田浩二さんの主役で撮られた「愛染かつら」でみせた、また別の可憐で素敵な京マチ子さんもまた魅力的でした。

そして、小津安二郎監督の「浮草」。この中で、雨中の道を挟んでの中村雁治郎との対決シーンは、日本映画の中でも屈指の名場面だと思う。「用心棒」の三船敏郎の対決シーンに匹敵すると思う。この映画での、京マチ子さんは、若いころとまた違って何ともいえない魅力を見せている。

 

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2020年5月22日 (金)

将来を失うための選択

学生たちが声を上げたおかげで、学生たちにも金銭の支給が行われることとなった。ところがこの支援策、安倍さんの信任厚い荻生田氏の発表では、日本人学生だけでなく留学生たちにも支援が行くと思われていたが、その裏では留学生への支援は数を絞り選別して与えるようにとの指示を出していたことが分かったと、報道されている。

この報道が事実であれば、差別と分断をもたらすそのような支援策ではなく、日本人学生も留学生も一律平等の支援をしてほしいと私は考える。理由は、留学生たちも、この日本社会に参加し、この社会を支えてくれているという点では日本人と変わらないし、留学生への支援は、日本の未来にとっては大きな意味を持つ支援だと考えるからだ。

外国人を差別し、排除し、社会に分断をもたらす政策は、安倍さんの支持者たちを喜ばせ、人気のある政策だ。政治家が有権者の人気と支持を取り付けて選挙に当選しないといけない体制下では、支援してくれた人に利権を分配したり満足感を与える政策を行うのは必須のことなのかもしれない。しかし、この政策は将来に禍根を残し未来を失う選択だと思う。

日本は、外国の人たちから選んでもらう立場であろう。観光先として、働き先として支持してもらい選んでもらわなければいけない立場なのに、差別的な仕打ちをすれば支持を失い、誰も日本に来てくれなくなる。これから先の縮小日本社会を維持し支えていくには、外国の人も含めて多様な人たちが必要なのに、将来、まわりから見捨てられても、「この国は神風が吹く素晴らしい国だ」と、一人いきがって自己満足に浸っているのだろうか。

資本主義と同じで、勝者が全部成果をいただくというのが、今の日本の選挙制度だ。だから勝者の自民党と安倍さんは何をしてもよい。しかし、彼らの選択の結果をあとで味わうのは、ひとしく国民全体である。原子力政策なども、そういうもので、推進してきて利権にありつくのは少数の勝者だが、被害は国民皆が等しく背負う。今回の留学生差別も、将来の禍根は国民全体が等しく背負うことになる現在の選択だ。安倍さんと自民党の差別主義を何とか撤回させたい。

明治維新期の志士や愛国者だったら『史記』は読んでいた。『史記』を読んでいる愛国者だったら、目先の利益の在りそうなことが将来の禍根になることや、その逆で、今は、誰もが馬鹿にするような小さなことが、将来大きく花開く、そういう大局的な見方を持つことができるのだ。明治維新とかが好きそうな安倍さんやその支持者の「愛国者」の方々は、もう「史記」は読まないのだろうか。『史記』を読めば、これが30年後の歴史には、失敗の始まりとして筆誅されるだろうということが予想できるのに。

 

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2020年5月18日 (月)

「嫌韓」と「親韓」

2019年12月10日付の『河北新報』に掲載されていた伊藤昌亮氏の論考が面白かった。昨年の記事であるが、切り抜きして取っていたので、ぜひ伊藤氏の論考の概要を紹介させてほしい。

隣国である韓国に対する態度で二分される。それは、「嫌韓」と「親韓」だ。伊藤氏は、両派の時代背景や心理を分析する。

まず、「嫌韓」のほうだ。

「嫌韓」の背景は、歴史認識問題だ。韓国が日本の戦争責任追及の姿勢を強めたのに対し、日本では歴史修正主義という動きで対抗していく。この歴史修正主義の動機は、敗戦を受け入れたくないという思いと、「東京裁判」を退け日本の自尊心をとりもどしたい人々にとって、「嫌韓」は日本の戦争責任を免罪する旗印となる。

もう一つの「嫌韓」の背景は、韓国の経済的躍進と日本の沈滞だ。こういう沈滞しているときほど、日本経済を礼賛する本がたくさん読まれた。

まとめると、「嫌韓」は二つの「敗戦」感情に支えられているという。ひとつは、太平洋戦争。もうひとつは現在の国際競争。これらの敗戦を認めたくないというのが、「嫌韓」を支える感情であり、それは、高度成長期への復古的な思いが強い中高年層に見られるという。

さて、もう一つの「親韓」のほうだ。

これは、女性を中心とする若年層に見られ、彼ら・彼女たちは政治的・経済的な文脈から比較的自由にふるまうことができ、文化の領域に密着しながら、両国間の差異をシンボリックにとらえているという。

伊藤氏が出していた日韓のアイドルの差異が興味深かった。日本のアイドルは、かわいさが偏重され、韓国では美しさや力強さが志向されるという。

この両者の差異を基に、「親韓」の若者たちは、閉塞的な日本のシステムに対して、どこか違うところ、別の価値観や生き方を求めているのではないかという、伊藤氏の分析は、なるほどと思わせるものがあった。

「嫌韓」と「親韓」の2つの態度をまとめると、

ひとつは、「復古的な思いから、自らの在り方をどこまでも肯定しようという態度」

もうひとつは「進取的な思いから、隣人の在り方に学ぼうとする態度」、

ということだ。

伊藤氏の論考、読んで自らの思考の糧となった。伊藤氏に感謝申し上げる。

さて、考えさせていただいたので、自分の考えも。私は、韓国や台湾やほかのアジアの先進国からは学ぶべきところがあれば学んだほうが良いと思う。それほどお堅く考えないとしても、韓国のエンターテイメントと作品は面白いし、確かに日本にないものがある。それは、韓国人の性格にも言えて、面白いいい隣人なのだから大切にすべきだと思う。一方で、日本にもいいところはあるのだから、それはそれで大事にすべきと思う。私は、年齢だけは立派な「中高年層」の人だけど、政治的・経済的にそっちの立場にいる人でないから、割とこだわらない立場で考えられるのかと思う。やはり、そっちの立場に入れない人が多いだろう、若者や女性のこだわりなくアンチテーゼを求めることを支持・応援したいと思う。

 

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2020年5月12日 (火)

懐かしい「そこ」

5月10日付の河北新報1面の下段大広告に、ハート出版から出版されている書籍の案内が出ていた。それは『初等科 修身』と『初等科 修身 ヨイコドモ』だ。東大名誉教授・矢作直樹氏の推薦文付きだ。『修身』は太平洋戦争敗戦前まで使用されていた国定の道徳の教科書で、国民の意識を形成するのに大いに役立った。

現在は使用されていないものだが、この教科書が体現しているあの懐かしい素直で、なおびやかな時に戻りたいと思っている人たちはたくさんいる。あの懐かしい良き時代に戻りたいと思うそういった人たちの心情を如実に代弁しているのがこの広告のコピー文だ。引用する。

「皇室や氏神様、ご先祖様を大切に、家族仲良くみな助け合い…当時のはつらつとした子どもの姿が目に浮かびます」

「偉人の物語を通して「忠義「孝行」「勇気」「誠実」「勤勉」「慈悲」等の徳目を、生きた形で学べるようになっています」

彼らの懐かしい「そこ」とは「家父長である男性を中心に、その中心から恩恵が下され、その恩恵に包まれた家族も同然の人々が、その恩恵をありがたく受け取って、決してそれに対して不満や批判を漏らさず、ありがたく恩恵を頂戴し、その恩恵に対してご恩返しをする」という共同体のことだろう。

もし、この『修身』の世界がこのすさんだ現生に現出したら、安倍首相から下賜されるマスクは、ありがたく頂戴し、誰もそれに不満を漏らす人はいないはず。ましてや、そのマスクの利権に絡んだ怪しいお友達企業の素性をかぎつけようと動き回ったりするやつはいないはず。さらにましてや、国家の番人である検察の定年延長に異議を唱えるものなどいないはず。懐かしい「そこ」は、みながニコニコ笑っている家族共同体で、上長から下賜された恩愛に皆がひたり(もちろん、家族の一員である「日本人」だけが)、恩を受けたら義理で上長に奉仕して一身を奉げる、うるわしい世界なのだから。

 

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2020年5月 3日 (日)

新型コロナから考える その2

識者が、このコロナウイルス感染症の時代を通して思考する観点を与えてくれる特集記事を、引き続き紹介したい。2020年4月22日付の河北新報には与那覇 潤氏と、将基面貴巳氏の論考が掲載された。

与那覇氏は、オリンピックについて、このように論考している。

オリンピックというのは基本的に「新興国型」の催しだという。それはなぜかというと、自国の外に広がる世界に一握りのエリートスポーツ選手が活躍するのを、銃後の私たちが前線にいる兵士をあおる構図になっているからだという。日本は、新興国ではなく、「老熟国」。外に向かうのではなく、うちに受け入れていくというポジションになるのに、オリンピックに熱狂しているのは、「途上国」のままでいたい国民の心性があるからだと指摘する。

私も前から思っているのだが、「老熟国」の民だってそれなりに幸せになれるし、老熟国にふさわしい幸福を追求した方がよいし、それを示すことがまた、世界に対する貢献だと思う。伸びあがって、ここにないものを探し、それで虚栄心を満足させることはないと思う。

将基面氏は、日本の同調圧力の強さを指摘する。また、日本人であれば危機を乗り越えられるという愛国主義の発露が、海外から見て取れるという。ウイルス拡大と関係があるのは良き市民としての個人のふるまいであり、そこに日本人というアイデンティティは関係ないという。非常時とはいえ、全権を政府に預けてしまう危険性を指摘する。

今回のコロナウイルス蔓延での、私の社会的な気づきは、やはり日本人は、江戸時代と同じ、相互監視の五人組的精神を保持していて、いともやすやすと翼賛体制に、自らが参与していくのだということだ。コロナウイルスに感染したものは村八分になり、自粛を守らないものをお上に告げ口し、相互に政府の言いつけを守っているか監視する。「欲しがりません勝つまでは」精神を発揮して、どんな理不尽なことにも進んで我慢して、悪いのは我慢できない自分だと自分を責めたてる。緊縛すればするほど、もっと縛ってくださいと懇願してくる。

変化しないこういう精神的側面も、コロナで変わるのか、それとも、緊急事態条項が常態となって、ずっと自虐の喜びの中に浸り続けるのだろうか。

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