UA-92533382-1 不要不急: よつば農場便り

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2020年4月16日 (木)

不要不急

不要不急の場合なので「哲学」を考えてみたいと思う。

もちろん、こんな時に「哲学」は違和感がある。しかし、私に「要」「急」で、世の中に貢献できることは、残念ながらない。

2020年4月16日(木)付けの河北新報で、森岡正博氏の論考を読んだ。

大変に哲学的な内容だったので、概要を紹介したい。

森岡氏は、相模原「津久井やまゆり園」殺傷事件を論考の出発点とする。

植松被告に死刑判決が出て、被告は控訴しなかったので、判決が確定した。植松被告の思想は「障害者は不幸を作ることしかできない」というものだが、植松被告は自分の主張の正統性を主張し、その言葉の裏には、「社会全体が本当は自分のように考えているはずだ」というメッセージが隠されているという。

そして、そのメッセージを社会の方でも否定できない事実がある。優生思想に基づく優生保護法は実際1986年まで存在し、その思想は自治体が作っていたパンフレットに「遺伝性精神病の子供は、生まれてくること自体が不幸である」という言葉で書かれていたという。

しかし、その優生思想が、植松被告の弁護団の主張「植松被告は犯行時、心神喪失か心神耗弱」という思想とぶつかってしまった。心神喪失の大麻精神病であれば、障害者に等しく、意思表示ができない、よって、植松被告の優生思想によれば、「死刑」に値するということになり、自らを死地から救うことができなくなってしまったという。

さらに、哲学的な考察に私が値すると思ったのは、「死刑」制度だ。森岡氏によれば、社会にとって不要な人間は殺されて当然と考えた植松被告自身が、国家から不要な人間と判断され、合法的に殺されようとしているという状況は、大変皮肉的だという。

植松被告と社会の優生思想と、日本の死刑制度は「生きる価値のない人間は殺されて当然」という共通の基盤に立つと、森岡氏は考える。だとすると、私たちが「優生思想」を批判するためには、死刑制度の見直しをすることが必要だと、森岡氏は主張する。

読後、重い論考として心に残った。

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