UA-92533382-1 よつば農場便り: 2020年4月

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2020年4月27日 (月)

新型コロナを考える

新型コロナウイルスの蔓延によって、日本社会は、そして世界は、変容せざるを得ないであろう。私も含めてたぶん人間は、昨日のままに今日も明日も世は続いていくのだろうと何となく考えてすごしてきた。変わるとしても、過去の延長線上に変わるのだろうと考えるので、変化は大したことではないと考える。だが、今回のコロナウイルスの登場で、世界は大きく変わらざるを得ないだろう。コロナウイルスが収束した後で、また元通りの世界が来るのだろうか。とてもそれは信じられない。

今、人間活動が収まっているので、地球環境はとてもきれいだということだ。こんな変化がすでに起きている。コロナウイルスのことで、これを機にどのように考えていけばよいか、識者の言葉を2020年4月21日付の河北新報が掲載していた。私自身大変興味を持った内容だったので、概要を伝える。

批評家の東浩紀氏によると、
・私たちは地球規模のコミュニティーを作ったつもりだったが、それは大変脆弱なものだった。
・不安だから国を頼り強い命令を求める雰囲気があるが、自由を譲り渡すのでなく市民の力で防ぐべき。
・ウイルスは国家が戦う相手出ないし、政治で抑え込めるものではない。
・今回、社会が持っている弱点が明らかになり、事態の収拾後、グローバルコミュニティーに傷を残す。
・グローバリズムは不可欠だが、市民同士の交流が必要。グローバリズムの弱さを知って、身の丈グローバリズムを構築すべき。

医療社会学者の大野更紗氏によると
・コロナウイルスの脅威は、人間を孤立させる大きな力があること。相互不信をあおり、社会的連帯を阻む。
・グローバル社会の仕組み自体がパンデミック(世界的大流行)を速めている。
・パンデミックは、ワクチン開発、治療法の確立、あるいは社会の大部分の人が感染するという惨事によっていつかは収まる。このように出口は確実にあるが、収束に何年かかるかわからない。

こんなふうに、いくつかの言葉が今の社会を言い表していると思うし、こういった言葉を頼りに私も思考していこうと思う。このような「言葉」を掲載してくれる新聞というメディアにも感謝だ。

 

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2020年4月21日 (火)

歌舞伎鑑賞

外出自粛と人の集まりを避けるため、コンサートや舞台公演が軒並み中止となっている。演劇関係者の方の苦悩はいかばかりかと思う。文化的営みが今後も続いていくことを祈る。文学や芸能などは、このような感染症爆発的拡散の緊急事態時には、優先順位が低く考えられようが、しかしこのような分野も深く人間の本性に根差したもので、人が生きるために必要なこと、再び、芸能鑑賞ができる時がやってきてほしいものだし、きっとその時は来る。

国立劇場で行われるはずだった「義経千本桜」の通し狂言も、公演が中止となった。稽古を積まれていた役者さんたちも、準備をしていた関係者の方々もさぞかし残念なことだろう。

緊急事態宣言が発出され、自宅にいる人も多かろうと配慮もあったと思うが、国立劇場の方で、「義経千本桜」の公演の映像を期間限定で、公開してくれている。観客がいない劇場で通しの演目を収録したものだ。歌舞伎は、観客が役者に声をかけたり、その声掛けで、役者の見えが決まったりする。もともとは、弁当やお茶を飲みながら見ていたようなちょっと猥雑した力強さが魅力なのだから、無観客というのは何とも寂しいが、歌舞伎役者さんたちの芸事の凄さは伝わってくる。ぜひ、多くの人に見ていただきたい。

それに歌舞伎というのは、そもそも筋を全部知ってから見た方が、役者の演技の妙やほかの演者や演出の違いに集中できてよい。だから、公開されたこの名高い古典作品を見て筋書きをしておくのもよいと思う。

脚本は江戸時代に書かれたので、荒唐無稽なところや、江戸時代の人々の生活実感にはとても訴えたのだろうけど、現在の観客には果たしてというところもある。しかし、平家の公達が落人となって生きていたというのは、改めて平家滅亡の悲劇を強調するし、やはり幼い安徳帝の入水前の無邪気さや辞世の句には涙が誘われる。

立役の尾上菊之助が見事だ。佐藤忠信を演じ、一方で狐となれば親を慕う無邪気な子狐にしか見えないし、一方で武士を演じれば実直な武士にしか見えない。内面からも醸し出される演技だが、それが見るものが全くいない劇場で行われているとは。

 

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2020年4月16日 (木)

不要不急

不要不急の場合なので「哲学」を考えてみたいと思う。

もちろん、こんな時に「哲学」は違和感がある。しかし、私に「要」「急」で、世の中に貢献できることは、残念ながらない。

2020年4月16日(木)付けの河北新報で、森岡正博氏の論考を読んだ。

大変に哲学的な内容だったので、概要を紹介したい。

森岡氏は、相模原「津久井やまゆり園」殺傷事件を論考の出発点とする。

植松被告に死刑判決が出て、被告は控訴しなかったので、判決が確定した。植松被告の思想は「障害者は不幸を作ることしかできない」というものだが、植松被告は自分の主張の正統性を主張し、その言葉の裏には、「社会全体が本当は自分のように考えているはずだ」というメッセージが隠されているという。

そして、そのメッセージを社会の方でも否定できない事実がある。優生思想に基づく優生保護法は実際1986年まで存在し、その思想は自治体が作っていたパンフレットに「遺伝性精神病の子供は、生まれてくること自体が不幸である」という言葉で書かれていたという。

しかし、その優生思想が、植松被告の弁護団の主張「植松被告は犯行時、心神喪失か心神耗弱」という思想とぶつかってしまった。心神喪失の大麻精神病であれば、障害者に等しく、意思表示ができない、よって、植松被告の優生思想によれば、「死刑」に値するということになり、自らを死地から救うことができなくなってしまったという。

さらに、哲学的な考察に私が値すると思ったのは、「死刑」制度だ。森岡氏によれば、社会にとって不要な人間は殺されて当然と考えた植松被告自身が、国家から不要な人間と判断され、合法的に殺されようとしているという状況は、大変皮肉的だという。

植松被告と社会の優生思想と、日本の死刑制度は「生きる価値のない人間は殺されて当然」という共通の基盤に立つと、森岡氏は考える。だとすると、私たちが「優生思想」を批判するためには、死刑制度の見直しをすることが必要だと、森岡氏は主張する。

読後、重い論考として心に残った。

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2020年4月11日 (土)

マスク2枚

国民が望んでいるのは本当にマスク2枚なのだろうか。

 

安倍さんの確固たる支持者さんたちも、本当にマスク2枚の配布でいいのだろうか。でも、いいのだろう。この強力な対策がまた多くの国民から支持されて、次回の選挙でも安倍さん率いる政権党は圧勝だろうし、もう永遠に総裁としてこの国を統治してもらわなければ困る、というところまでにも行くのだろう。こうなればもう安倍さんは、習近平も、プーチンも、キム・ジョンウンも超えた世界で最高の政治家になる。

 

私が思うに、安倍さんは、忖度で人を死に追いやる人であるし、公職選挙法に違反して観桜会に支持者を招待する人だし、民主的なプロセスを無視して物事を進め、民主主義の土台となる記録文書をすぐに廃棄してしまう人だし、こういうことはこのような感染症の爆発を防ぐ重大局面でも、「頑張っている安倍さんを邪魔するな」「コロナ以外の余計な批判をする人は非国民」では、済まされないことだと思う。指揮する人に、この人ならついていこうとは、決して思わせない人だ、安倍さんは。

 

さて、私のような批判ではなく、漫画を使った風刺やパロディーは、民主的な社会では本当に尊いものだと思う。もし、これがなくなれば、息ができない社会になってしまう。ある新聞に掲載されたやく みつるさんの4コマ漫画は本当に傑作だった。著作権の関係でそれをここに転載することはできないから、私が言葉で要約する。

 

1コマ目:安倍さんが自宅で新聞を読んでいると、(新聞の見出しが小さく「産経新聞」となっているのも、やくさんの芸の細かさでいい)昭惠さんが部屋に入ってきて「マスクが2枚郵送されてきたけど何かしら」と尋ねる。

 

2コマ目:安倍さんが経緯を説明すると昭惠さんが、そのマスクをして、これで安心して出かけられると喜ぶ。(やはりめでたい、と字幕が挿入されているのが、やくさんの傑作だ)

 

3コマ目:安倍さんがどこへ行くのかと呼び止めると、昭惠さんが、次は八重桜を見にレストランへと言って、いそいそと出かけようとする。

 

4コマ目:安倍さんが、政府のマスクは小さいから顔が隠れない、市販の大きなマスクをしていきなさい、とマスクを着け変えさせる。昭惠さんは、大きなマスクで顔を隠して、ピースサインをして桜を見に出かける。

 

言葉では、面白さも半減だ。やくさん、ぜひ、自宅にいる人も多いので、この傑作マンガどこかで無料公開してください。漫画の持つ、風刺やパロディーの強さが死んでしまわないように。健全な社会のためにも。

 

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2020年4月 7日 (火)

立ちどまって考えてみたら

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これは「ひま、家にいてもやることないし」の画像ではなく、「いや、ちょっと立ち止まって考えてみようよ」の画像だ。「政府が頑張っているのだから、ケチをつけるようなことは言うな」「指示に従わない人は非国民だ」でいいのだろうか、ということだ。

知らないものに人間は恐怖心を感じる。新型コロナウイルスは、古代日本人が感じた「穢れ」のようなものだろうか。このウイルスに触れたらいっさいが終わりだと。

だんだんコロナウイルスについてわかってきたこともある。そもそもインフルエンザよりも致死率が低いのだから、インフルエンザ予防のためにいつも励行してきたように、うがい・手洗い、人込みを避ける、かっかたら治るまで人と会わないというような、ことをやりつつ、このウイルスと共生していくしか人類に道はないのではないのだろうか。

でも、戦って相手を滅ぼすまでしないと、気が済まない人もいるのかもしれない。そういう人は、戦って終わらせようとしているが、きっと「終わり」は来ないと私は思う。そして、そもそも私は「戦う」のは好きじゃないし「勝つ」のも好きじゃない。

戦いたくなるのは「恐怖心」が原因だ。「恐怖心」があるからこそ、進化論的には、人類は、他の種もしくは、他の集団に対して団結して内部の結束を固め、優位を作り出し繁栄を勝ち誇ってきたのだろうけど、しかし、この状況を見ていると、いとも簡単に、挙国体制というのが作られるものだなということがわかった。

新たな発見は、スポーツ選手、芸能人、有名な事業家などがやすやすと政府に協力して粛々とファシズム体制が作られていくのだということ。特に、あるスポーツはこういう挙国一致的、異論を許さない体制作りに親和性が高いということを感じた。ふだんから、そのスポーツがナショナリズムの高揚と、異種排除に利用され親和性が高いのと何か関係があるのだろうか。

 

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