UA-92533382-1 よつば農場便り: 2020年3月

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2020年3月28日 (土)

全共闘VS三島由紀夫

一般的に「全共闘」は左翼だ。そして三島由紀夫は右翼だ。左翼と右翼では考えが違う、話が通じない、対立する、憎みあうと考えるのが自然だろう。70年代安保で全共闘の学生たちが東大の安田講堂に立てこもったとき、三島由紀夫が、東大全共闘に呼ばれて、1000人の学生と対話をしに行った。その時の記録映像をTBSがとっていて、その貴重なフィルムをもとに、その時の全共闘側の学生や内田樹さんなどの現代の思想家たちの証言やコメントを入れながら作った映像作品が「全共闘VS三島由紀夫」だ。

 

ぼくは文学者としての三島ファンなので見に行ったのだが、三島の肉声やポーズを生身で見れた気がしてとてもうれしかった。それだけでなく、三島の「言葉」のすごさと、そして三島がこれほど敬意をもって学生たちに接している真摯な姿に感動した。そして、この三島さんの姿を見て、「言葉」をこれほど軽んじる安倍首相と彼に象徴される現体制は、絶対に許してはいけないと、改めて思った。三島さんが生きていれば、当然、安倍首相は軽蔑の対象であり、偽の「右翼」で、絶対に安倍首相と現体制を許さないと思う。まあ、こんな日本を見たくなくて、三島さんは自決してしまったのだろうけど。

 

三島さんは超一流の文学者だ。だから「言葉」がすごいのは当然だ。それを政治家の安倍さんの「言葉」と比べると、安倍さんもかわいそうだが、安倍さんは、本性なのか、それとも体制全体の策略なのか、相手の話を真摯に聞かない、同じことを何度も言い募り相手をあきらめさせ無力化する。そこには当然相手に対する敬意は感じられないし、「言葉」に対するものすごい冒瀆がある。安倍さんは、三島さんのように「右翼」でもなければ「保守」でもないし「愛国」でもない。

 

三島さんは左翼の全共闘学生に対して、きちんと話を聞き、自分のことをわかってもらおうとする。そこには学生に対する愛情すら感じさせる。討論しているうちに、共通の基盤も見えてきて「共闘」しようという話にすらなる。そう、全共闘と三島さんはつながっているのだ。どうつながっているのか映画を見て初めて分かったのだが、それは「自主・独立」で日本を守るというところだ。ただし、三島さんはその守るべき「日本」として「天皇」という言葉を使った。この「天皇」とは何だったのかということが、映画の中で平野啓一郎氏らが解き明かしてくれていたが、それは決して「ヒロヒト」というわけではない。もっと複雑な守るべき日本の文化というようなものだった。三島は、全共闘の学生に「天皇」と言ってくれれば一緒に闘えると呼び掛けたが、全共闘の学生たちは当然、拒否する。しかし、この決裂は決して悲しい物別れではなく、見ている私にはどこか心温まる情愛深いものに感じた。

 

全共闘も三島さんも、闘って勝ち取り守ろうとした「自主・独立」を、切り売りしているのがまさに安倍首相と現体制だ。安倍首相の祖父が60年安保を締結し、その安保を破棄しようという運動が70年安保だったというのもまさに象徴的で、現在アメリカに日本人の命まで差し出しているのが安倍さんと現体制だというのも、本当に象徴的だ。岸さんや佐藤さんに全共闘運動は「負けた」とことになっているが、この映画を見ると決して「負けた」わけではないということが分かる。全共闘世代が、引っ張ってきた自主・独立運動はまだまだ命脈を保っているし元気だ。本物の「右翼」や愛国者たち、文化防衛論者たちだって、安倍さんと現体制を決して許さないのだ。

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2020年3月25日 (水)

物語

「物語」は、人類が所有する独特のものだ。「物語」をもつからこそ、現生人類(ホモ・サピエンス)は、アフリカから全地球上に、他の種を圧倒して、これほどまでにはびこることができたと、主張する歴史家もいる。

「おれは今腹がへっている。お前が持っているバナナを、おれによこせば、お前はその善行により死後天国に行ける」

これを、人類の仲間である霊長類のチンパンジーに言っても相手にされないが、それを信じてバナナをよこすことができる能力を獲得・進化させてきたのが現生人類である私たちだ。「会社の大事なカネを落として困っている。期限までに返さないと大変なことになる。300万送ってくれ」という偽の孫からの「物語」を信じてしまうのも、人類の「物語」能力のおかげだ。

政府が、大学に向けて、文系学部は役に立たないので廃止するようにとの通達を出したことがあった。あの深い意図は、「物語」を廃止することではなくて、政府が「物語」を独占することなのではないかと、そんなことを薄々感じ始めた。

人間は「物語」が好きだ。先日、オリンピックの聖火が来たとき仙台駅には5万人もの人が見にやってきた。「原発事故と津波から復興を象徴する平和の祭典オリンピック。そしてそれを唱道する力強いリーダーの私」という物語に人々は酔いしれる。

こういう力強い物語がなければもっと他に復興の道はあったかもしれない。人口減少と高齢化の中でも、人々が幸せに暮らせる暮らしの仕方や産業や働き方。そして何より、いつも暮らしの安全を脅かす核発電所の廃止。そういう復興に代わって、高い防潮堤とコンクリートに囲まれた醜い街区には、人影はまばら、人の活動も人の気配もあまり感じられないという復興が、大きな「物語」に組み込まれて見えなくなっている。

今朝の新聞報道によれば、「物語」の完成は1年後ということになった。この1年の間にさらに「物語」は荘重になり精度を増してくる。「人類史上初の、大感染症を見事に乗り切ったすばらしい日本人の勤勉さと能力。そしてそれを力強く唱導した私」という新たな物語だ。この大感染症時代も、本当はもっと違った立ち直り方や、人類が行くべき方向があるはずだと思う。大きな「物語」に収斂(しゅうれん)させられないように、私たちは「物語」の真偽を見極める「物語リテラシー」を身につける必要がある。

 

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2020年3月18日 (水)

豊饒の海

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牡鹿半島にあるワカメ養殖場へ行き、加工体験をしてきた。岩手県や宮城県に住んでいる人なら「メカブ」は大好きな郷土食だと思うが、そのメカブがどうやって海で養殖されているのか、食卓に上る前にどうやって人の手を経て加工されているのかを知れた貴重な体験だった。

牡鹿半島は宮城県石巻から太平洋側に突き出た半島。半島は険しい山におおわれていて、半島の各浜に行くのは結構大変であるが、それだけ自然が豊かであるということで、半島の湾では、養殖がおこなわれていて品質の良いワカメなどが取れる。半島の先は金華山で、この金華山沖の漁場は世界一豊かな漁場だと言われている。それは、この地の豊かな山や自然のおかげだと思う。

一方で、女川核発電所とも距離が近く、半島の一本道を車で行きながら、発電所の事故が起これば、この半島に住んでいる人たちはどうにも逃げ場がないと思った。核発電所の事故を想定した避難計画は非現実的で、現実的なのは事故が起これば「棄民」されるということだ。自然豊かなこの地に事故をもたらし生活を破壊する核発電は本当に罪深いと思う。

豊饒の海のワカメやメカブはどれもおいしかった。しかし、漁業者さんたちの心配は尽きない。

彼らは海の変化が気になるという。もちろん温暖化のせいで海水温も上がっていて、漁獲高も減っていて、持続的に海の資源に頼って生活していけなくなるのではないかと憂えていて、何か漁業以外の別の生活手段もと考えている。

ワカメの養殖と出荷は、季節労働で海水温が上がらないこの冬場が勝負だという。だから、人手が欲しいが、なかなか人手が集まらないという。「体験」とはいえ、作業を手伝った私たちは感謝され、お土産もたくさんいただき申し訳ない位だった。

人手は、「年齢不問」ですか?と尋ねたら、そうだという。これはありがたい。「年齢不問」で歓迎されるところは、私にとっては嬉しい。リストラされたら、ここで短期間住み込みで働かせてもらって、という生活もいい。

 

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2020年3月14日 (土)

種子法を考える

TPP交渉差し止め・違憲訴訟の会が発行している「TPP新聞」の記事から、種子法について考えてみたいと思う。

安倍自民党政権の政策推進により「種子法」が廃止された。「種子法」は国など公的機関が責任を持って種子を供給することを義務付けたもの。なぜ、これがなくなってしまったかというと、自由貿易協定を各国と結ぶため(特にアメリカと結ぶため)に、国内の保護的な政策をなくし、自由交易で活躍するグローバル企業の足かせをなくすためである。

同じく、亡くなった保護的な政策は除草剤のグリサポートの残留基準値の高いレベルでの規制や、遺伝子組み換え表示の厳格化など。

「保守」や「愛国」を標榜する人たちは、なぜこういうときだけ保護的・保守的な政策が廃止され、「自由」が到来すると喜ぶのだろうか。彼らは「リベラル」だったのか?

理由はおそらく何を保護してきたかということに関わる。種子法や厳しい残留農薬基準は、アメリカやアメリカを中心とする多国籍企業から「日本人の生活」を守ってきた。それは憲法が保障する健康で文化的な生活を保障する権利を守ってきた。だから、自称「保守」「愛国者」などは、日本人の生活や憲法で保障された権利が崩壊していくことを喜んで見ている。

だが、これは(こういう言葉を使いたくないが)「売国的」行為ではないのか。種子を多国籍企業に抑えられれば、命の命脈である食料を自由に作れない。一身・一国が独立しない状態になるのに、なぜ喜んでこちらから手もみして、頭を下げて相手にすり寄っていくのだろう。アメリカや大企業は自由交易協定を結べば、「自家採取禁止」を打ち出してくる。命のもとを、頭を下げてどうぞ、わたくしめにお売りください、なんでも致しますからと、物乞いしなければならなくなる。プライドだけは高い「保守」「愛国者」はなぜ、これを安倍さんに許しているのだろうか。

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2020年3月 7日 (土)

藍の効果

藍は植物だ。日本でも古くから染料などとして活用されてきた。しかし、化学染料などに押されて天然藍のものは私たちの生活の場で使用したり見ることも少なくなってしまった。

そんな時に弘前大の研究を『河北新報』2020年1月9日付の記事で紹介していた。

「あおもり藍」は高い抗菌性が認められ、宇宙飛行士の船内服にも使用されているのだという。その「あおもり藍」がインフルエンザウイルスを抑制する効果があると弘前大などが実証したという。

実験は以下のように行ったという。藍の葉からエキスを抽出する。インフルエンザウイルスとエキスを混ぜて感染させた細胞と、エキスを混ぜずにインフルエンザウイルスのみを感染させた細胞の2種類で比較する。前者にはインフルエンザウイルスは検出されず、後者にはウイルスが多数検出されたという。これにより、藍の抗ウイルス効果が検証されるとのこと。

この研究の良いところは、藍による抗菌・抗臭スプレー・お茶・マスクの開発を視野に入れているという点だ。地場産業の活性化につながればいいと思うし、昔から人がやってきたことが、迷信でないという証左になるのも私はいいと思う。昔の人は、布を植物性染料で染色しようと考えた。そして、そういうものを身に着けるのは、守護になると直感的に考えた。身に着けるもので身を守るというのはあながち迷信ではないということだ。コロナウイルスも数の増殖が減って、何とか人類と共存していってほしいが、傲岸な人間がそんなこと自体を祈ることが傲岸なことなのだろうか。

このコロナウイルスの騒動に紛れて、カケ学園の入試で人種差別的な対応があったことや、韓国憎しの安倍さんの支持者を満足させるために入国拒否をして、将来の隣国との関係に禍根を残さないようにしてほしい。その一方で、韓国から帰国する米軍部隊の検疫を行わない。過去にも、米軍から感染症が広まった恐れはあるのに、米軍に対しては主権を返上して卑屈になる。こういう未来への展望のなさが一番この国に対してがっかりすることだ。

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2020年3月 3日 (火)

フクシマフィフィティ

フクシマ核発電所の壊滅的爆発を防いだ英雄たちの映画が放映中である。過酷な状況で、核発電所にとどまり破滅的状況を救ってくれたのは、現場の作業員の方々だ。彼らの勇気ある行動や決断に感謝する。彼らがいなければ、文字通り日本は壊滅的な状況に陥り、誰も国土には住んでいないだろうと思う。

その一方で、そもそも彼らをそんなに苛烈な状況に追い込むようなことがなければ、彼らはそんな体験をせずに済んだのではないか。津波に対して大して何も対策を取る必要がないとした安倍首相の責任や、東京電力の失敗やミスも誤魔化しも、すべて断罪せずに、英雄のおかげで今の日本がある、感謝すべきで終わらせていいのだろうか。軍部の指導者の責任や無謀な作戦は一顧だにされず、「散華」という美名のもとで、特攻攻撃の責任があいまいにされた対米戦争と同じ構図なのではないだろうか。

そんなことを考えさせられたのは、「みやぎ脱原発・風の会」の、事故の状況を推測・検証している記事を読んだからだ。十分に論理的・科学的な論考だと思う。「科学的」ということは、反論しようと思えば、これもまた論理的・科学的に反論できるからだ。資料や証拠を隠匿や消滅させてしまえば、もう賛成・反対の両者から検証できる余地はなくなる。東電や政府のやり方はあまりにもそのようなことが多い。政治的に優位な力で結論をもぎ取るのだ。そういうことに対抗して「みやぎ脱原発・風の会」は、資料や発表を細かく検証している会員がいる。東電や政府の方では、そのような検証はせず一方的にプロパガンダ(宣伝)の形で、結論を得ようとしているのに対し、本当に科学的・良心的だ。こういう会は、天下りも高給取りも誰もおらず手弁当で運営されている。市民や志のある人たちの善意の支援だけが頼りだ。ぜひ、心ある支援をお願いしたい。

さて、事故の原因についての検証であるが、まず『事故時運転操作手順書』では責任者は、「各号機の当直長」であって所長の吉田氏ではないということに注意してほしい。吉田氏の超人的働きばかりに注目が行くが、事故当時の1・2号機の当直長が通常の当直班の当直長ではなかった。このようなトップ交代は、事故の処理に大切な意思疎通に影響を与えたものであると思われる。しかも、1号機と2号機では非常時の炉心冷却システムが全く異なるのに、東電は、1・2号機をまとめて同時に操作させている。そうしたのは、東電の経済的観点からの政策である。

「みやぎ脱原発・風の会」の研究班が、事故は防げた、事故は人災だという根拠に1号機の非常用復水器がある。核発電は、核の崩壊熱を利用するものだから、核反応が止まらなくなればどんどん高温になってしまう。それを防ぐために、電気で冷却するというとても無駄なことをしているのであるが、事故時、全電源が喪失して、原子炉の冷却が不可能になった。そのような緊急時にどうやって炉心を冷却するかと言えば、炉心から出てきた水蒸気を水の中を通すことでまた水に戻し、炉心の水が減って空焚き状態になるのを防ぐ。非常用復水器は、電気の力で起動するのではなく、自然な力で動くので、この非常用復水器を使い続けていれば炉心の冷却に成功し事故を防げたはずである。

実際に非常用復水器は、地震のあとに自動起動した。それは東電も認めている。しかし、なぜ非常用復水器を閉じてしまったかというと、東電は、冷却により原子炉圧力が急激に減少し、「保安規定」を守るためとのストーリーを主張している。しかし、この一号機の非常用復水器が作動したのは運転開始約40年で初めてのことであった。東電は、定期検査のときにも、非常用復水器の運転員の操作・訓練もしないままに、ついに本当の事故で初めて非常用復水器が作動するという状況を招いた。運転員が「操作経験ゼロ」では、訓練通りの事故対応ができるはずがなく、止めることができた事故は操作ミスだったということになる。

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2020年3月 1日 (日)

寄生虫(パラサイト)

カンヌ映画祭のパルムドールを受賞した話題の韓国映画「寄生虫(パラサイト)」。

格差社会を描いたという社会的側面についても言われる映画であるが、ぼくには純粋にエンターテイメントとして面白かったし、優れた映画だと思った。よく言われるように脚本がとてもよく書けている。金持ち一家の家政婦さんを評して、その家の主人で会社の社長でもある人が「問題なくいい人なんだが、ひとつだけ欠点がある。二人分のご飯を食べる。」というのが、あとでとても重要な伏線だったということがわかる。でも、丸々太った家政婦役のアジュマ(おばさん)を見て、観客はなるほどと、ユウモラスに思ってしまう。

おそらく韓国の映画や音楽にせよ、すべては素晴らしいエンターテイメント性が含まれていて、観客を夢中にさせるのだろう。これが韓国の文化の今の強みでもあるし伝統にもなっていくのだろう。日本では、政治的な思惑なんて無視して、面白いから、いいからと言って韓国のテレビドラマ、歌、映画を、人々がどんどん受け入れてきている。とてもいいことじゃないかと思ったし、韓国の文化にはまって、言葉を習いたいと思う人たちの気持ちがわかった。

映画を見ていても登場人物は全員日本人そっくり。韓国語を話しているとは思えない。日本語を話していると錯覚してしまう。金持ち一家の若奥さん、確かこういう美人の女優さんが日本にもいたと、名前がのどまで出かかる。昔、韓半島から天孫降臨族を含めて人がたくさん日本列島に渡ってきた。日本が、このまま少子高齢化で人口が激減するのであれば、また民族の活力を注入するため、韓半島からたくさん来てもらわなければならない。そのためにも、隣国韓国は大事にしなければならない。韓国も、厳しい競争社会で若い人たちが結婚しにくく、子どもを持ちにくいとも聞く。日本・韓国ともに、人が暮らしやすく生きやすい国となるように知恵を出し合い協力すればよいと思う。

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