UA-92533382-1 よつば農場便り: 2020年2月

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2020年2月28日 (金)

生活よりもイベント優先

安倍首相が全国の公立小中高等学校の一斉休校を呼び掛けた。これは非常に社会的に大きな影響を持つ政策で、感染対策の自分のミスを国民に転嫁するものであろうし、国民の生活を犠牲にしてもオリンピックさえ開催できればそれでよいとする政府の思考が露骨に見えるのだ。

しかし、私が心配するのは、多くの日本国民が「自己責任」を刷り込まれているので、感染が広まったのは自分たちが対策を取らず軽率だったと自己を責め、どこにも外に出ずに内に閉じこもり、逆に安倍さんが、感染症対策も先頭に立って指揮した英雄となり、オリンピックを熱狂的に迎え、その後夏あたりに「憲法改正」がいつの間にか成就していることだ。

安倍さんの運の良さや政策や世論誘導の巧みさというのは、ものすごい力量である。フクシマ核発電の事故では、自らが津波対策を怠ったのにもかかわらず、全部事故を民主党のせいにして、国民に「悪夢のような民主党時代」という確固としたイメージを増殖したし、今回の感染症対策も、決して政府を責めず、全部自分が悪いと思ってくれる国民から厚く支持されて、感染症を克服した英雄になろうとしている。

もう私にはこうなると神頼みしかなくなる。核発電事故を完全に遮断したと嘘で誘致したオリンピックなのだから、天罰が下ったっていいでしょうと。天罰が下らないようでは、神も仏もどこにいらっしゃると嘆きたくなる。さらには、国民ももっと我慢せず、わがままになって、イベントなんかよりも自分たちの生活の方が大事だと、主張したって全然ばちは当たらないと思う。もう私たちは十分すぎるくらい我慢して犠牲を払っているのだから。

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2020年2月26日 (水)

結核菌と人間との共生

“Evolving Ourselves”を読んで、興味深く感じたことを紹介する。

結核と言えば、戦前では不治の病。とても恐れられた。一方で、この病気のあることで、戦前の「結核文学」は不滅の輝きを放ったともいえる。療養所にいる本人を投影したと思われる主人公は枚挙にいとまがない。さらには、作家本人もそれで命を落としたという事例は多い。そういう意味を含めて、結核文学と言えば、梶井基次郎、堀辰雄などが思い浮かぶ。

世界文学に目を転じても、トマス・マンの「魔の山」は偉大な結核文学だ。

あれやこれやで私には恐ろしい不治の病というイメージが強い「結核」だが、その病原菌の結核菌は、人間と共生してきたという。

結核菌は人体で死なない。われわれの免疫機能は、彼らを完全なる敵とは見なしていないのだ。結核菌は肺などに潜在し、深刻な致命的な病気になるのは10%程度だという。ではなぜ、結核菌は人体とともに存在するのか?

人間は大きな脳を持ち、脳は多大のエネルギーを必要とする。その脳の栄養になるのがビタミンB3であるが、ビタミンB3は人体で作れず、肉などから摂取する。もし、栄養状態が悪くなり、脳の成長や機能にとって危機的な状況となると、潜在していた結核菌が働きだし、人体にビタミンB3を産生し供給するという。もちろん、深刻な病状により人を死に至らしめる場合もあるのではあるが。そして、栄養状態が改善すれば、再び結核菌は人体で休眠状態に入る。

ということは、人間が、途中で種としての「絶滅」の憂き目にあわず、このように人間らしくなれたのは、結核菌のおかげということもできる。“Evolving Ourselves”という本は、人間の進化の要因に、従来の遺伝子とその変異に加えて、後天的に獲得されて子孫に伝わる「エピジェネティクス」、そして結核菌などの細菌が作る環境である「マイクロヴァイオーム」、ウイルスが作る環境である「ヴァイオローム」の4つを挙げている。細菌が作る膨大な世界というのは、われわれの腸内に存在しているということが認識され始めているが、病原菌と人間との闘いでもあり共存でもあり、共進化でもあるというわけだ。

 

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2020年2月24日 (月)

人工甘味料が環境中に発見される

Evolving Ourselvesという本を読んでいる。情報や事実の紹介という側面が強い本だが、気になる研究結果などが紹介されている。

カナダの研究家チームによると、人工甘味料であるチクロ、サッカリン、スクラロース、アセスルファムが、下水中から発見されたということである。それは当然、人間が大量の人工甘味料で味付けされた食べ物を食べて、トイレに行くからだ。(下水の研究というのは、そこから病原菌が発見され、感染病の流行を予想できたり、そのほか大変有用な研究が近ごろ行われているというのを読んだことがある)

これらの人工甘味料はこうして大量に環境中に流れ出て、下水処理場で処理されてもそれをくぐり抜け、川や湖に大量に蓄積・濃縮されていく。そしてそれは巡り巡って、また人間が飲む飲み水になる。カナダの研究チームは、家庭の上水道からも、人工甘味料を検出したという。

この話が、恐ろしい気がしたのは、たとえ自分が、コンビニなどで売っている添加物がたくさん入った食べ物を避けていたとしても、皆が食べていたら、自分だってそれらを体内に取り組むことは避けられないということだ。当然、「環境」というのは一つにつながって、その循環の外に立つことはできないのだ。

このEvolving Ourselvesという本は、私たちが環境を改変していること自体が新しい環境になり、人間がその環境の中で適応・進化・変化していく未来について考えることをいざなう本である。当然、私たちの子ども・孫さらにその後の世代は、進化論的観点からは、私たちと同じ「種」と言えるかどうかわからないほど、変わっていくことになるのだろう。

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2020年2月19日 (水)

子どもの権利条約

新聞記事を読みそれに触発され、つれづれをつづってみる。

2月18日付の『河北新報』に、国連で採択された「子ども権利条約」が30年になるとあった。日本でのこの条約の認知度の低さや問題点を伝えていた。

条約の根本にあるのは、「差別されず、搾取されず、暴力を受けない権利を子ども自身が知り、エンパワー(力を付与)される」という人権に関する思考であるが、日本では、「子どもに権利を教えるとわがままになる」という意見があるように、(それが支配的なのか?)この条約は知られていないし、この条約の精神も根付いていない。

よって、日本は子どもの虐待のことで、しばしば国連から勧告を受けているが、多くの人は知らないだろうし(私も恥ずかしながらあまり知らなかった)、「日本は世界に誇る素晴らしい国」と思っている多くの日本人は、知りたくもない事実だろうから、知りたくないことはこの世に存在しないと同じことなのだ。

子どもの権利意識が低いことや、女性の地位が国際比較で異常に低いことは、どこかで根がつながっているのかと思うし、日本が「自分は素晴らしい、素晴らしい」と自分で思い続けているうちに、まったく変化できず、出口の見えない停滞につながっていく暗い未来が思い浮かぶ。

恐竜は劇的な地球の環境変化に対応できず滅んでしまった。代わって繁栄したのは、恐竜たちが闊歩する中で、細々とその隙間で生きていた哺乳類。こう考えると、若者や女性が、今度は日本を支配している「恐竜」たちに代わって、新しい世界を作っていってくれそうだが、こうも抑圧されているとその望みも薄いのではないか。

だとしたら、恐竜が滅んだような「環境変化」だ。しかし、「東日本大震災」が起こっても、それで何も変わったことは起こっていない。あってほしくはないが「首都直下大地震」も必ず来る。しかし、来たとしても、その後はまた、復活の公共事業で「大林組」とか「鹿島」とかのゼネコンが、大恐竜時代を謳歌し、原発は相変わらず運転し、誰も人為的ミスの責任は取らず、石炭をガンガン燃やして電気を作って、「化石賞」を毎年受賞する栄誉に浴するのだろう。

いっそのこと、「ガラパゴス島」みたいに、あの島国に行けば、500年前の人々の暮らしや価値観を垣間見ることができますよ、というキャッチコピーで世界中から観光客を呼び寄せて、その中で見世物として暮らすというのもよいのかもしれない。

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2020年2月14日 (金)

歌舞伎「阿弖流為(アテルイ)」

歌舞伎の舞台を映像に編集し、全国の映画館で見れるようにしてくれるシネマ歌舞伎で「阿弖流為(アテルイ)」を見た。

これは前から気になっていて見たいと思っていた作品だ。まずは、私自身が「まつろわぬ民」として東北に住んでおり、その東北のヤマトからの侵略の歴史が描かれ、民族の英雄である「阿弖流為(アテルイ)」が描かれるこの作品に、私たち「まつろわぬ民」がどのように描かれているのかがとても気になった。

私たちは、2回ヤマトに征服された。まずは、坂の上田村麻呂征夷大将軍が、東北の蝦夷(えみし)を打ち従え、阿弖流為が破れた時。もう一つは、会津藩が、薩長藩閥明治政府に蹂躙された時。そのような歴史を持つ東北の民として、阿弖流為や蝦夷がどう描かれるのか、侵略する側のヤマトがどう描かれるのかがとても気になった。

脚本は複雑で深く考えさせる内容で、かつきわどかった。朝鮮半島から渡ってきた天孫降臨族のヤマト朝廷が、この日本列島は1民族1国家だとして全国の統一を図る。皇軍は雪深いえみしの地へと兵を進める。皇軍は、勝つためであればどのようなことでもする。食料に毒を入れわざと蝦夷に渡したり、川に毒を流し、無辜の女性や子供を殺す。そして、1945年には、アメリカに対して物量で皇軍が敗北したように、皇軍は物量で圧倒して蝦夷を破る。(こういうきわどい内容が、「言論の自由」がいつまでも保障されて上演可能であることを願う)

蝦夷の魂は、この東北の地の山川草木そのもの。そして蝦夷の悲しみもまたこの東北の地の山川草木そのものだ。東北の山川草木が踏みにじられるから、神が怒り、神が死んだのだ。東北の地は、核発電所からの放射能をばらまかれることにより、ヤマト政権によって3度目、踏みにじられたが、私には、そのような悲しみと、阿弖流為や蝦夷と蝦夷の神の悲しみが重なった。

こんなふうに、脚本はとても深いと思うのだが、歌舞伎というのは、本来理屈なしに、面白いもの。もちろんその面白さの裏には、芸事の精進が隠されているのだが、そういうこと抜きで本当に面白い。

今回は特に若い役者さんの力をとても感じた。それに歌舞伎役者はどうして皆あんなにも、ほれぼれするくらい「顔」がよいのだろう。見とれてしまう。阿弖流為役の染五郎、坂の上田村麻呂役の勘九郎。染五郎を見ていると、宝塚のファンはみなこんな感じではまっていくんだろうなと気持ちがわかる。勘九郎は、だんだんお父さんに声も似てきた。彼の出演作品を見てきたが、どんどんうまくなっていく。七之助は、一人二役。女形として本当に良くなってきてほれぼれしてしまう。女形と言えば御霊御前役の市村萬次郎さんは、どう見ても憎々しい老婆にしか見えない。すごい。こんなふうに、主人公たちも脇役たちもすべてすごい演技で、理屈なしに歌舞伎の凄さと楽しさが味わえる。

 

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2020年2月11日 (火)

抗生剤使用の問題点

今、仕事の関係もあってJuan EnriquezとSteve Gullansが書いた”Evolving Ourselves”という本を読んでいる。バイオテクノロジーの発達のおかげで、人間は、自分が好きなように植物や動物たちの遺伝子を改変し、人間の思ったように作り替えているが、もちろんそのような遺伝子の改変は、病気治療という名目から始まり人間自身にも及び始めている。

このような技術が発展する前は、人間自身も「進化」の力にもてあそばれ、環境に最適なものだけが生き残る「適者生存」によりふるいをかけられ、後世に己の遺伝子を伝えることができるものだけが、その形質を伝えてきた。もちろん遺伝や環境への適応や形質の変化はこんな単純な話ではないのであるが。

ところが人間は意図的にか、もしくは自分たちがやっていることのその大きな影響が分からず偶然にか、自分たちが「進化」の対象になるのでなく、自分たちでさえ「進化」させよう、もしくはさせることになってしまうというところにまで到達した。現在までに到達した遺伝子工学的な技術の紹介や、これから近未来へ向けての予想される変化を紹介し論じているのがこの”Evolving Ourselves”(己自身を進化させる)という本だ。

いろいろと面白いことというか、ぞっとするようなことも紹介されているのだが、ここからいくつか話を紹介したい。1つは、「抗生物質」だ。

抗生物質は病気治療のために、人間にも投与されているが、実は家畜に対する投与ははるかに人間への投与量を超えるという。家畜に対してなぜ投与するかというと、病気予防ではなく「太らせる」ためだそうだ。腸内のある細菌を殺すと、栄養の吸収率が高まり、家畜は効率よく太るという。経済的にはもうかるわけだ。しかし、大量に投与された抗生剤は、家畜の糞尿や雨水などに交じって環境中に放出される。

ここに、こういう現象があるという。実験室で飼われている実験動物の体重が増えているのだという。実験動物だから、30年とか40年というスパンで記録がある。実験室の予算が増えて、気前よく餌を与えるようになったのであろうか?しかし、変わらず牧草を食べているような馬でも増えているということだ。

そこで、犯人は「抗生剤」なのでないかというのが筆者の見立てだ。人間も、世界的に見て「肥満」が増えているし。

しかし、こういうと、放射性の危険性や公害問題では必ず、業界を代弁する専門家が、「証拠がない」「安全である」という。

だが、個人的には、こういう抗生剤があふれる世の中から、自分が食べるものや子どもたちが食べるものは「安全」を守りたいと思う。だから、抗生剤を大量に使う外国の畜産物を輸入するようにその国から脅迫されたら、日本は厳しい規制を守りますと拒否してほしいと思うのだ。エゴかもしれないが、「国民を守る」「国家を守る」ということはこういうことではないか。

ただし、この本はこんなふうに大量に抗生剤があふれ出している人間が作り出した環境さえもが、新しい環境として人間の進化に働きかけ、これまでにない新しい進化を人間に作り出すと言っている。圧倒的に長い歴史上の時間、人間は環境から影響を受け続けてきたが、いま、人間は環境を自分の力で改変することができる。でも、その作り出した環境から逃れられるかと言えばそうではなく、人間が作った環境が人間を改変する。それは人間をいいほうへ導くのか?それとも?というのがこの”Evolving Ourselves”という本のテーマだ。

 

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2020年2月 7日 (金)

認知のゆがみ

先日、安倍首相の国会答弁が都合よく切り取られたものをNHKのラジオニュースで聞いた。彼は、自衛隊の駆逐艦が中東に派遣されるのを見送りに行ったときに、「自衛隊は憲法違反だ」とプラカードを掲げて抗議する人たちを見て、これはむごい、自衛隊を憲法にぜひ明記しなければならないと、改憲への誓いを新たにしたということだ。

安倍さんは、計算してこういう発言をしているのではなくて、本心からこう言っているのだと思う。安倍さんには、世界が私たちとは違って見えるので、そこから導き出される結論も違うのだ。同じものを見ているはずでも、人間の物事を捉える認知機能はそれぞれ違うし、影響を受けたり歪められたりする。

駆逐艦派遣の出発の際の、客観的世界は、「安倍さんが憲法を無視して、米軍と協力できるよう安全保障の在り方を勝手に変えてしまった。それに基づき大事な自衛隊員を中東に派遣する、しかも国会で彼らの安全性などをしっかり確認・議論もせずに。そのように自衛隊が中東に派遣されることが憲法違反なのであり、安倍さんのこれまでの存在ややり方が憲法違反だ」という抗議なのだ。

だが、安倍さんだけが認知のゆがみを持っているわけではない。安倍さんを支持し支える強力な力を持ったグループの人たちも、みな同一のバイアスがかかった認知の仕方をしているのだ。彼らから見れば、自衛隊員の海外出発は、「お国のために己を犠牲にして海外に出向く人たちが、港で家族との悲しい別れをしている。この厳粛で美しい光景に、彼ら自衛隊員の存在を汚すような発言や行為は許されない」というものだろう。

だが、そもそも自国のためというより米国の国益のために、大切な自衛隊員を危険にさらすようなことをせず、もっと自国の国益を追求する、つまり自衛隊員の命を守る方策を考え、極力戦争に巻き込まれないことを画策すれば、こんな悲しい家族の別れという場面はそもそも起きないのではないか。やはり安倍さんたちは単に「血を流す」ということを浪漫的なことと考えて憧れているだけなのではないだろうか。

安倍さんや彼を支持する人たちの認知では、対アメリカ戦争の特攻攻撃も、国家のために自ら若い命をささげた「散華」という名の浪漫的なものになる。そもそも、人間ごと体当たりするなんていう無茶な作戦を指導者が考えなければ、隊員たちの苦悩も家族との悲しい別れもなかったはずではないだろうか。アメリカ艦隊に打撃を与えるだけであれば、爆弾を投下したほうがよほど加速度がつきアメリカに打撃を耐えることができたはずなのに、そういったそもそもという事象や戦争指導者の責任を一切捨象して、隊員たちが意を決して死ぬとわかっていても愛する人を後にして飛び立つという場面だけを取り出して、そこを神々しい美談に仕立て上げるのはそれこそ、亡くなった方々に対する冒とくだ。

こういう認知のゆがみは、薩長藩閥明治政府が作った「神話」を安倍さんが引継ぎ復活させようと、もしくは安倍さんを担いで復活させようとしているものだ。薩長藩閥明治政府に逆戻りというのも笑い事ではない。そういう危機感を持っている。

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2020年2月 2日 (日)

吉田裕『日本軍兵士』(中公新書)

吉田裕先生の『日本軍兵士』(中公新書)が多くの人に読まれている。そのことがとても喜ばしい。本当の戦争、リアルな戦争とはどのようなものかを知りたい市民の方がこの時代に、こんなにもいるということが、日本の「民力」(これは、民主主義度、だとも思うのだが)も、大したものだと思うのだ。この時代、国会議員が、「紛争は、戦争で解決すべき」という時代であるし、「お国のために身を賭す」ことがいかにもロマンチックに憧憬を持って語られる時代であるし、戦争はかっこいいものだと思う人が他民族やアジア人に憎悪をあおる時代でもあるし、緊急事態条項で自由な言論を押さえ、憲法を変えて戦争ができる普通の国を目指す人たちが国政をリードする時代である。

昨日の吉田先生の、大学での最終講義は一般にも開放され、兼松講堂にたくさんの人が聴講に訪れた。ここにも、大学関係者やゼミ関係者以外の市民の方々と見受けられる人たちが沢山いた。平和を希求する人たちのこれほど多いこと心強いことだ。

さて、戦争がかっこいいことだと思う人、日中戦争や英米などの連合国に対する日本の戦争が善意の戦争、正義の戦争だと思っている人は、ぜひこの『日本軍兵士』を読んでほしい。そもそも、日本軍や政府・官僚たちは1945年の敗戦時に、国内・国外で大量の公文書を焼却処分している。だから公式な戦争の姿はわからないようにしている。これは今の安倍さんのやり方と同じで、「公文書はないのだから、戦争犯罪や人権侵害は一切起こっていない。中国・朝鮮をはじめアジアの人たち、日本の民間人や兵隊で戦争で苦しんだということはない」と、これも安倍さんと同じで、ただ主張を言い募るだけしかしない。

そこで吉田先生は、戦争のリアルを描くために何をしたか。これが、画期的で、そしてこの『日本軍兵士』という著書の素晴らしい点だ。徴兵された兵士の身長や体重のデータを集めたり、従軍兵士の証言や手記を収集・分析したり、軍医たちの著作から証言を拾ったり、戦前は一般人が見ることができなかった軍関係の雑誌の記述から拾ったりして、戦争というものがどういうものかまざまざと、読む者に思い描かせてくれる。

「戦争がかっこいいものだ」と思うものは、戦争になれば、自分が机上で作戦を立てるほうに回れると思っているのだろうか。『日本軍兵士』は机上の無謀な作戦が、どれほど日本軍兵士を苦しめたかを理解させてくれる。兵士たちは、心を病み「拒食症」となって死んでいったという。殺し・殺されという場面に遭遇し、心身ともに極限の疲労に追い込まれると、人間は自ら生きることを拒否するというのだ。

『日本軍兵士』の吉田先生の後書きも気になった。先生の御祖父は「鬼盾」で「しこたて」というお名前だったそうだ。これは万葉集に由来する。み国や天皇のために、醜い盾となって命を投げ出しお守りするという歌が万葉集にある。日清・日露戦争以来、そして先の大戦の時まで、この歌は強調され、国民の思想を縛ってきた。この後書きを読んで、なぜ安倍首相が「万葉集」にこだわったのかということに気づいた。男女の恋愛に夢中の「古今和歌集」、わびさびの新しい美意識の「新古今和歌集」じゃなぜいけなかったのだろう。東京オリンピックも「令和」も改めて、安倍さんが推奨することには、背を向け、平和や民主主義を守りたいと思う。

 

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