UA-92533382-1 オリンピックと愛国: よつば農場便り

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2020年1月17日 (金)

オリンピックと愛国

2020年1月8日付の『河北新報』に政治学者・将基面氏のインタビューが掲載された。この夏、「東京」で大いに「愛国心」が喚起されるだろうこの状況下で、「愛国」を研究してきた将基面氏の愛国に関する知見には注目すべきものがあった。以下、将基面氏のインタビューの要旨を私なりにまとめてみた。

 

・スポーツにおける選手と観客との非対称的な関係とは?…選手の方が国境を越えて活躍していくのに対し、応援する側は自国の選手を国の代表として、ナショナルアイデンティ―と結びつけて考えてしまうこと。よって、オリンピックはナショナリズムを世界中にまき散らす恐れがある。

 

・「愛国」の歴史とその内容の変容…古代ローマにおける「愛国」は、自由や平等といった市民にとっての「共通善」を重視する共和主義的な思想であった。だから、こういう意味での「愛国」は共通全を脅かす「暴政」こそが敵となる。そして、無批判な愛国ではなく、短所は短所として直視する「愛のまなざし」を向ける姿勢。

 

フランス革命以降は、国民国家の形成過程で国民の独自性に対するこだわりが折り重なった「愛国」となり、さらには、国家という世俗権力が教会から「聖なるもの」を奪っていき、人々の自己犠牲の対象が国家に移っていった。

 

・将基面氏の、日本の「愛国」に対する警鐘…国家に強く関わっているわけでもないのに、素朴に「日本はすごい」と感じるのはなんとなく愛国である「ぬくぬくナショナリズム」。これは、「日本を愛するのは当たり前」と思考停止に陥り、同調圧力がのさばり中立的な人たちまで敵視されるようになる。愛国がどうかは個人の問題であるべきで、他人に押し付けると非寛容体な社会になってしまう。

 

・将基面氏のオリンピックに対する願い…選手がどこの国の出身かはこだわらず、選手個人が秀でた能力を発揮する場として楽しめばよい。国旗・国歌も関係なくあのメダリストはどこの国の人だったんだろう?となればよい。

 

以上が、要約。

 

私も、どうも「愛国、愛国」と騒ぎ立てている人と私の「愛国」が違うようですっきりしなかったが、「愛国」に歴史的な段階や違いがあるという整理の仕方は納得がいった。いいところばかりでなく当然欠点だってあると認識して自分の国を絶対視しなければ、他国との摩擦や憎悪のエスカレートを避けることができる。そして、本来の愛国は、市民社会や民主主義といった共通善を脅かすものに対して「善」を守ることだというのは、まさに現在「愛国者」が立ち上がるべき状況である日本にこれほど当てはまることはない。

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