UA-92533382-1 東電・福島第一原発事故「見える化」プロジェクト: よつば農場便り

« 民主主義について考える | トップページ | 第3夫人の髪飾り »

2019年11月27日 (水)

東電・福島第一原発事故「見える化」プロジェクト

この世の中にあったことがなかったことになってしまう、丹念に記録されていたことがいとも簡単にシュレッダーで裁断されてしまう。これは「民主主義」の危機というよりか、「史記」や「三国志」など読んでいると、記録をしようという人類の本能にも逆らう愚挙が、今この日本で行われていることに暗澹たる気持ちになる。

 

無かったことにされようとしているものとして私が懸念していることは、福島の発電所で起こった核爆発事故の被害だ。この事故を防ぐこともできその地位にもいた安倍首相が、事故の責任を問われないのだから、当然それ以下の人の罪は問われない人災であるのみならず、その被害や事故そのものはなかったということにされようとしている。

 

それどころか、プロパガンダ手法を洗練させてきている核発電推進派は、核事故や核・放射能がまるで良いものであるかのように物語を紡ぎあげようとしている。戦争体験もそうだが、核事故を直接経験している私のような世代がどんどん年を取り、いなくなっていけば、あとから生まれてくる者たちは、もはや記憶も体験も無いのだから、新しい神話、「素晴らしい核・放射線」を若い世代に刷り込んでいくのは、赤子の手をひねるがごとく容易だ。フクシマに「コミュ譚」なる神話伝承施設が建設され、子どもたちが参拝を強制されている。JRの新幹線に置いてある広報誌にも巨額の宣伝広告費を使って、施設の案内が掲載され、その施設を訪れる母と子のにっこりと笑った姿が映っていた。

 

だが「史記」の原稿のもととなる資料を人々が命懸けで守ってきたように、そして司馬遷自身が命懸けで歴史的事実を書き留めて生きたように、核推進派と比べれば資金力など見る影もないが、非政府組織が、核事故の事実を伝えようとの事業を始めた。国家の「歴史」は当てにならない。これからは「市民」が、つまり私たちが、私たち同士や国家の枠を超えて連帯して事実を残していかねばならない。FoEという非政府組織が伝承プロジェクトに協力を呼び掛けている。私も、ささやかな協力をした。

 

 

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

|

« 民主主義について考える | トップページ | 第3夫人の髪飾り »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 民主主義について考える | トップページ | 第3夫人の髪飾り »