UA-92533382-1 民主主義について考える: よつば農場便り

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2019年11月23日 (土)

民主主義について考える

安倍首相が私的に税金を使い有権者を買収していたことや招待客名簿の様な公文書を早々に破棄してしまうことは、何ら問題はないという、架空の「読捨新聞社説」を2回掲載したが、この社説を自分はパロディーのつもりで書いたが、この内容はもう笑い事ではなく、多くの国民が「なぜこんなことを問題にするのか?やっていることは全然問題にもならない」と考えるに至っては、本当にこの国の民主主義にとって憂慮すべき問題だと考える。

 

関連することを藤原帰一氏という政治学者の講演から考察してみたい。世界の方向性としては、国民国家が自国の権利を強く主張する時代に入っているという見方を藤原氏はしている。つまり中国やロシアの様な強権国家だ。日本の政治支配層、特に安倍さんは、本音では中国やロシアがうらやましいのではないかと私は思う。国民の自由を規制して、政府への批判を許さない。そのような政治的体制も情報管理も行うことができる国家である中国やロシアが日本の目指す方向であると考えているのではないだろうか。だから、トランプさんやプーチン氏と個人的な相性も良いのだろう。きっと習氏や金氏とも仲の良いお友達になれると思う。

 

こんな強権国家で暮らす国民はさぞかし苦しい生活を送るだろうと思いきや、民主主義国家の国民は自らそれを求めることがある。それは「民主主義」という言葉や起源に2重の意味があるからだが、私たちは普段「民主主義」という言葉を1つの意味としてしか考えないから混乱が生まれ、私のようなものには、安倍さんの支持率が高いという矛盾したように見える状況が納得いくものとして見えないのだ。

 

藤原氏によると、民主主義=デモクラシーの第1の意味は「自由主義」で、これは法の支配とか三権分立のような制度に代表されるものだ。これはヨーロッパで貴族が中心となって作り上げた、君主の恣意的な権力を制限する制度である。なるほど、裁判所が政権のやることにストップを書けたり、公文書を残して後からプロセスを検証したりして恣意的な権力発動を防ぐというのは、どこか貴族的なエリート臭がして、民衆が本能的な反感を招くもととなっているのだ。藤原氏が言うように、こういう「民主主義」は、貴族的=エリート的であって、国民が代表されているという概念を含まない。

 

もう一つの「民主主義」は、民衆による政治権力の奪取と確立である。これは、古代ギリシャの政治思想と関連するが、実はギリシャでは民衆による政治権力奪取である「民主政治」は政治の混乱と独裁の始まりと考えられていて、最高の政治体制とは考えられていなかった。なるほどプラトンが「哲人政治」を主張したというのもうなづける。さて、この意味での「民主主義」は、選挙でえらばれたのであればそれは民衆の意思の体現であり、民衆の代表なのだから、権力は制限されない。なぜなら、彼は民衆の代表で、民主政治で選ばれた人には、民衆の思いや権力が大きく移譲されるというわけだ。だから、彼はどんなことをやっても許される。このタイプの首相が安倍さんなのではないだろうか。もちろんこれは、ポピュリズムや大衆迎合政治、そして国家の大いなる迷走を生む危険をはらんでいるわけだが、いま世界的に人気があり、大衆が求めているのはこういうタイプの政治家であるというわけだ。

 

藤原氏は講演の中で民主主義と平和の関係についても考察していて興味深かったが、これはここでは省略する。そして、民主主義の現地点と彼の評価について述べている。それは、「デモクラシーを過剰に信頼したり、デモクラシーをイデオロギー化してはならない。他の体制に比べてはよりましな体制であるデモクラシーへの信頼を失わないという態度を取りたい」ということだ。私も、言論の自由など民主主義の恩恵を受けているものとして、民主主義を守りたいと考えている。だから、民主主義を壊す恐れのある安倍首相に反対しているのだ。

 

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