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2019年8月30日 (金)

余剰トウモロコシの購入

安倍さんが、トランプさんから、余ったトウモロコシを購入してあげるのだという。

 

保守的で「愛国」だと思っている私は、この政策には納得できない。

 

第1に、国富の流出である。余ったトウモロコシをわざわざ買ってあげるお金は、教育奨学金を充実させるなど国内でもっと有効に使えるのでないか。それに、安倍さんは、近隣諸国との対立をいたずらにあおることで、すでに経済交流がもたらす国富を失っている。とすれば、二重に国民の生活を犠牲にするものではないのか。

 

第2に、国民の命を差し出すことになるのではないか。このトウモロコシは、直接人間が口にすることはないとしても、農薬の基準などをどんどん日本よりも甘くするよう、も止まられるままに受け入れている阿部さんは、国民の命をないがしろに考えているのではないか。

 

私たち、国民も自己責任論の呪縛から解放されよう。生活が楽にならないのも、実質賃金が上がらないのも、決して自分の働きが悪いからでもないし、自分を責めるのをやめて、「政治」が悪いのではないのか、アメリカの代理人として統治することを許されている人たちが、国民を犠牲にしてでも自分たちの利益をはかっているのではないかと、声を上げても、それは決して罪深いことでも何でもない。

 

 

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2019年8月28日 (水)

ロイヤル・オペラ・ハウス / プロコフィエフの『ロミオとジュリエット』

英国ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスで上演されたバレエ『ロミオとジュリエット』のライブ公演が映画館で見れる。お手軽な疑似体験かもしれないが、この傑作を見ることができて本当に良かった。

 

まずは、シェークスピアの悲劇である。バレエ作品であるので、セリフ回しはないが、ストーリーはわかる。対立する敵同士一家の、若者と娘が恋に落ちる。ロミオが、キャピュレット家の舞踏会に忍び込み、ジュリエットと運命的な出会いをする。一家どうしの乱闘の場面もある。ロミオの親友が斃れてしまう決闘の場面もある。ジュリエットが「なぜ、あなたはロミオなの」と言ったはずの有名なバルコニーの場面がある。ジュリエットが神父に相談して毒薬を手に入れる場面がある。死んだように見えるジュリエットを囲んで皆が嘆き悲しむ場面がある。ジュリエットは死んだと思い込んだロミオが毒を仰ぐ場面がある。そして、息を吹き返したジュリエットが、死んだロミオを見て、絶望して死に至る悲劇の最高潮がある。偉大な演劇に触れあえる幸せがある。

 

そして、プロコフィエフの傑作の音楽だ。重厚で、そして不安が漂う音楽は、暗い社会主義・独裁体制の抑圧を反映しているのだろうか。いや、むしろ体制を賛美してないと言って、銃殺とかシベリア送りにならなかったのだろうかなんて考えてしまったが、このバレエ『ロミオとジュリエット』にはぴったりの傑作音楽だ。これを全編、聞くことができた喜びがある。

 

そして、傑作の演劇と音楽を上演する、踊り手たちの力量やすばらしい舞台装置や衣装。最高の演技や演出が見れた喜びがある。原作では、ジュリエットは中学生ぐらいの年齢と驚くべき若さというか早熟ということらしいが、ジュリエット踊ったヤスミン・ナグディがその少女像を見事に踊っていた。ロミオ訳のマシュー・ポールは若々しいし、敵役のティボルトの憎々しさは超一品だった。そして、息子を亡くしたキャピュレット夫人の痛々しい心情を、クリスティーナ・アレステスがよく表現していた。ここは、振り付け・音楽とも素晴らしく胸を打つシーンだった。ロイヤル・バレエ団には日本人もいる。彼女たちを見ることができるのもうれしいし、このグローバル時代に地球人として活躍している彼女立ちにエールを送りたい。

 

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2019年8月24日 (土)

『老子―もう一つの道』 六十三 怨みに報ゆるに徳を以てす

【自由訳】
無為(むい)を為(な)し、無事に事(つか)え、無味を味わう。この極意がわかるか。簡単・微細なところで、大きく難しいことをすでに計っているのが、大人(たいじん)たるものである。

 

というのも、大きなことは微細に始まり、天下の難事は易きところから始まる。だから大人は、大きなことは為さない。始原である微細を治めるから、大なることを為すことができる。

 

そもそも安請け合いをするものに、信用できるものは少なく、簡単そうに見えることが多ければ事業は難しい。ゆえに大人は慎重に難しいところを治め、難事を成し遂げる。

 

【解説】
怨みに報ゆるに徳を以ってせよ、は老子のこの章に登場する。しかし、この句、文脈上どのように整合するのだろうか。唐突のように思える。


だが、怨みに報ゆるに徳を以ってせよの思想は深い。実践することがとても困難に思えるほどの思想である。だが、「弱いものが強い」「柔らかいものが強い」「何もしないことですべてを行う」「混沌から道が生じる」などの代表的な逆説と背理の老子の思想と同じく、老子の中核的な思想であり、現代の社会が抱える問題を乗り越える智慧となる可能性がある言葉である。

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2019年8月22日 (木)

日韓関係 少数意見でも絶やさずに

安倍自民党政権の国民の大きな支持が続く。それは、韓国への強硬な態度も支持されていることだとも思う。

 

安倍さんや自民党、そして国民の大多数の意見とは、例えば、読売新聞8月18日付の1面に掲載されていたように、

 

「いま日本にとって大事なのは、日米関係、日中関係であって、日韓関係は放っておいてもよいような小さな関係」

 

というようなことに代表されているのだろうし、

 

「戦後生まれで、戦前のことに一切責任がない、私たちがなぜ謝らないといけないのか」

 

というところだと思う。

 

多数意見が常に合っているとは限らない。そして、長い年月の先を見据えてという視点からも、多数意見が正しいとも限らない。

 

1920年代から始まった日中戦争・日米戦争のときに、「この戦争はおかしい」「この戦争は負けるよ」と命を賭していったごく少数の人が、結局は正しかったのであり、誰もが、核発電所は安全と信じていた時に、核発電の危険性を言い続けていたごく少数の勇気ある慧眼の人たちも、正しかったのである。

 

「どうでもいい関係」と言って見捨てていい関係はないと思うし、結局、日本自身にとっても、不幸なことだと思う。豊かで、実りある、隣人・地域関係を失い、日本国民の生活に負の影響が出るだろう。

 

そして、戦後生まれの人の責任論については、論点が違うと思う。問われているのは、戦時性暴力や労働条件が守られない非人道的な意思に反する強制労働に対して、「あなたは、どう思うか」と聞かれているのであって、私は、そう聞かれれば、「あっては、ならないことだと思うし、もし、それが過去にあれば、大変遺憾なことだと思うし、今後、世界のどこでもそのようなことがないようにしていきたい」と答える。そして、聞かれるたびに、何度でもそう答えればいいだけだ。

 

もし、そう答えないのであれば、日本の国内でも、女性や労働者の基本的権利は守られないし、声を上げた女性や労働者に対して、「抵抗できたのに、しなかったあんたが悪い」「いい会社で働こうと思えばできたのに、ブラック企業で働いたお前が悪い」といった、望ましくない、不幸な社会へ自縄自縛していくことになる。

 

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2019年8月19日 (月)

『老子―もう一つの道』 六十二 道の貴さ

【自由訳】
道は事物の最奥にあって善・不善を問わず、すべての人を貫き存在する。だから不善の人とて見捨てるべきでない。「道」こそすべての物に先立つ。「道」は求めれば得られるし、「道」によってすべての罪は許される。だから、この世で最も貴きもの、それは「道」である。

 

【解説】
「道」によって罪が除かれ、「道」が善人・悪人の分け隔てなくすべての人の罪を許すという思想。

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2019年8月16日 (金)

暴力を危惧する

表現の自由のような民主主義の根幹にかかわるようなことに対して、自分の考えと違うからと言って、脅迫や暴力を用いて、表現をとどめようとすることも、この国の民主主義が行くべき方向にとっては憂慮すべきことであるが、さらに憂慮すべきは、政府がそのような暴力に対して、反対することで暴力の抑止に走るのではなく、むしろ積極的に、暴力を容認することで、自分の気に入らない考えの人たちに対して、暴力や暴行を加えてでも、沈黙させて良いのだという積極的なメッセージを送っていることだ。これが、安倍さんの政権の本質的な性質なのだと思うし、改めて恐怖を感じる。

物理的な暴力だけでなく、こんなインターネットで書き込みをしただけでも、ものすごい攻撃が来るぞと委縮させること、それが安倍さんの政権の望むことでその本質だという方向に、この国の民主主義は向かっているのではないだろうか。それを憂慮する。

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2019年8月14日 (水)

『老子―もう一つの道』 六十一 静かなる者の・受身の者・下にあるものが制する

【自由訳】
大きなものはすべてを受け入れる。受け入れるからこそ大きくもなる。その点からすると大国とは、大河の下流、すべてが交わるところとも言えるし、天下を養う母なる存在だとも言える。牝と牡とは、牝は静かなことで牡に勝つ。だから「静か」で「下にある」ならば、その国は小さな国々を従えることができる。小さな国々は大国の中に入り、幸せな一部分となり、大国に奉仕する。大国は天下の人民・財貨をすべておのれの中に取り込みたいのであるし、小国は大国の中に入り大国に仕えたいのであるから、両者はそれぞれ自分の望みを達成することができる。だから、まず大国が下るべきなのである。

 

【解説】
大国と小国との幸せな交合。それにしても、静かなる者の・受身の者・下にあるものが制するというところに、老子の何かおそろしいほどまでの思想の深みを感じる。

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2019年8月10日 (土)

『老子―もう一つの道』 六十 人を傷つけない

【自由訳】
大国を統治するにあたっては、小魚を煮る時のようにする。つまり、あまり突きまわしてはいけないということだ。
「道」によって政治を行えば、祟りをする悪霊はいないし、目に見えない精霊たちは人を傷つけることをしない。理想の大人(たいじん)たるや、人を傷つけない。うまく国が治まっているのはなぜか。聖人も精霊たちもその功績を互いに譲り合っているからだ。

【解説】人を傷つけない、功を誇らない、それが老子の教え。

 

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2019年8月 4日 (日)

フクシマ・アクション・プロジェクト

フクシマ・アクション・プロジェクトは、フクシマの現状を正しく伝え、核発電所の事故による悲劇が今後繰り返されないことを願って作られた団体で、県外の人も含めて会員になることができる。

 

私も会員で、残念ながら総会に出席できなかったが、総会で催された2つの記念講演の資料を送ってもらった。どちらも大変優れた内容で、市民たちがこのような質の高い活動をしているということは、本当に素晴らしい。もちろん、核を推進する政府や大企業の前では、資金力など比べるべきもない規模の団体と活動なのであろうが、市民の協力と連帯で、今後も長く活動をつづけ、実績を確実に作っていけないものだろうか。

 

さて、講演の概略だけでもここに記し、多くの人がフクシマ・アクション・プロジェクトに興味を持ってもらえればと思う。

 

1つ目は、文科省が全国に配布している「放射線副読本」が2018年に改定版が出た。それがどのように「改定」されているのか、つまり削除されたところや新たに加わったところはどこかについて、丁寧に追跡したものだ。要は、「放射線は自然にありふれた存在なので、怖がることはなく、フクシマは今立派に復興中であり、放射線による健康被害はないのに、それを言う人はいじめなので、みんなで「いじめ」を克服しましょう」という内容になり、もちろん、事故を起こした政府や電力会社の責任については一切言及がない。(私の要約は、乱暴だが、講演した後藤さんはもっと実証的な研究なので、信頼できる)

 

2つ目は、1つ目とも大いに関連するが、福島県内の核発電所事故関連の記憶伝承館的な施設の内容を検討し、それとドイツのホロコーストの展示と比較していることだ。電力会社や自治体が設置している伝承館的なものが福島県内にはいくつかあるが、だいたい、事故を起こした加害者の責任は一切言及されず、今いかに復興していて、私たちは頑張っているのか、という内容になっている。これはもちろん、ナチスが行ったホロコーストの記憶を伝承する施設ややり方と鋭い対比をなす。国家や電力会社の「記憶」は、それがなかったというところが出発点だから、加害の反省もなければ記憶の伝承もない。戦争責任や水俣病などの公害事件に相通じるものが脈々と流れている。私たち市民が、記憶を伝承していかなければ、いつかこの国の核発電事故はなかったことになり、それが第2、第3の加害を引き起こす。

 

記憶の伝承を模索している、フクシマ・アクション・プログラムに興味を持っていただき、全国から少しでも助力が得られればありがたい。

 

フクシマ・アクション・プログラムのホームページ

 

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2019年8月 3日 (土)

基本的人権の問題

意に反して、低賃金で強制労働させる、または、意に反して、性行為に従事させる。これは、重大な人権侵害だ。もし、重大な人権侵害があった場合、どのように対処すべきなのだろうか。

 

まず、被害者は、どれくらい時間がたったとしても、その被害を訴えることができると、私は考える。侵害があった時点では、暴力的な力で、声を上げることができなかったという場合もあろうからだ。また、基本的な人権に対する侵害は、「時効」などはないと私は考える。それだけ、重大な懸案であるからだ。

 

被害者の救済と正義の回復はどのように行われるのか。被害者本人への謝罪と補償も必要だろうし、人権侵害の重要性にかんがみて、「記録・記憶・伝承」も特別に必要なことだと考える。そして、これが、現在の国際社会で基準になりつつあるのではないか。もちろん、数多くの人権侵害は、過去に、そして現在も行われつつあるのだろうが。

 

日本が加害者である人権侵害そのものを認めようとしないことが、韓国に対しての大きな問題点だと私は考える。日本政府の高圧的な態度を、支持する社会の雰囲気は、結局この国で、抵抗できたはずだからと言って女性の性被害を認めないとか、不正や不正義に対して声を上げる人自体をたたくという、結局窮屈な社会を生んでいるのではないだろうか。相互依存しある、日本と韓国との関係が、絶たれてもいいのだという日本の安倍さんの態度や、それをこんなにも多くの人が支持していることに対して、懸念の声をあげておきたいと思う。

 

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