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2019年7月28日 (日)

『老子―もう一つの道』 五十九 根本

【自由訳】
人民を治め天に仕えるには、倹約し無駄なものを使わないことである。そうすれば天の道理にしたがえる。天の道理に従えば行うこと行うことすべて徳を積んだに等しく、徳を積めば敗けることはない。負けなければ弱みは分からない。こうしてこそ一国を保持できる。根本を得れば、永遠を得ることができる。それは生きる道とて同じこと、根本を押さえれば長生できる。

 

【解説】
長く生きるための生の治め方、養い方、それは個人に当てはまることが、国や政治にも当てはまる。

 

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2019年7月27日 (土)

kutoo運動

職場でハイヒールを強制されるのが苦痛だと声を上げた女性がいる。声を上げた女性に強調する運動がある一方で、その女性を貶める声がある。

 

例えば、その声を上げた女性がアイドル活動をしていたこともあって、「女を売り物にしている人が、男の目を引き付ける仕事をしていたくせに」とか「いやなら職場をやめたらいい」というものだ。

 

声を上げた勇気ある女性に共感する人たちの行動は頼もしいが、彼女を批判し、貶める人たちに、今の日本らしい特徴を感じる。それは、例えば、性被害にあった人に対して、そんな誘うような恰好をしていたあんたが悪い、という声が日本では大きな声になるのと同じだと思う。

 

それはさらに、兵士の慰安所で働いていた人に、他の仕事もできただろうに、自分から希望してきたのだから売春である、とか、強制労働に徴発された人に対して、他の仕事もできたのに、高給にひかれて来たのだからお前が悪い、という考えが、いま日本では、政治勢力的にも大きくなっていて、喜んで国民がそれを喝采していることに表れてもいる。

 

生きる土台が壊されていたら、人間らしい判断も選択できない。でも、それは個人が決して悪いのではない。だが、今の日本では、すべて「自己責任」に引き付けて、みんな自分が悪いと思っている。だから、他人も自己責任で全部自分で行為を引き受けるべきなのだという、社会の土台の堀崩しが起きている。

 

しかし、希望は声を上げる人自体が出てきたことだ。特に女性で声を上げる人が出てきたことだ。男女平等教育で、自分で考える力は両性平等についてきているわけだ。しかし、声を上げる女性を一番嫌うのが、戦前のような権威主義がまかり通り、生意気な口をきく人などがいない社会にノスタルジーを感じ回帰を求めている人たちだ。そういう人たちの、土台こそを掘りくずのが、自分で考えたことを自分の声で語るという人たちの出現だ。

 

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2019年7月20日 (土)

選挙まであと1日

やはり安倍さんがすごいと思うのは、話をすり替えるのが巧みだということだ。

 

自民党と公明党を選べば「安定」で、それ以外は「混乱」だという話にいつの間にかなっている。そしていつの間にかNHKのニュースでも「今度の選挙は、有権者が「安定」を選ぶのか、そうでないかの選択になっています」という話になってしまっている。

 

心理学の実験で、こういうのがある。(概略で話はかなり端折っているが)「成功率90%の手術Aと、死亡率10%の手術Bがあるけど、あなたはどちらを選びますか」

 

医師のような専門家でさえ、手術Aを選択するのだそうだ。実は、AもBも同じ成功率と死亡率にもかかわらずだ。だとしたら、安倍さんの恐るべきすり替え理論と、それを垂れ流しにする国営放送は本当に罪深い。

 

安倍さんは、野党のことを「野合」と馬鹿にするけど、自民党と公明党の野合ほど野合なものはないはずだ。

 

自民党員や支持者の本当に保守主義の方々に訴えたい。心の中では、変な新興宗教だと思っているはずの人たちと組めますか。本物の保守主義の誇りに訴えたい。

 

逆に真の学会員の方々に訴えたい。教祖が治安維持法で捕まるような苦労をして運動をしてこられたあなた方が、安倍さんのようなカルトで固執した考えの人を支持するのですか。平和の党の誇りに訴えたい。

 

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2019年7月19日 (金)

国民は代表されているのか?さらなる続き

統計の教科書には(必ず書いてあるらしい)有名な話として、アメリカの大統領選の当選予測がある。ルーズベルトが当選した大統領選で、当時3回連続して予想を的中させていた有名な世論調査会社は、敵対候補の当選を予測した。しかし、意識調査をしたサンプルが経済的に豊かな人に偏っていたため、ルーズベルトの当選を予想できなかった。

 

反対に、アメリカ社会のうまく縮図となるようなサンプルによる分析でルーズベルトの当選を予想したのは「ギャロップ社」だったそうだ。(まあ、トランプ大統領の当選のときには、また予想が外れてしまうのであるが)。

 

こういう教科書のからのエピソードで思うのは、日本の選挙は、半数の人が選挙に行かないし、行ったとしても大量の死に票で意見が反映されないとすれば、大統領選で予想を外した世論調査会社と同じで、国民の中の偏った階層のからのみ、代表者が選ばれていて、その代表者の考えや行動は結局、国民全体の願いを反映したものになっていないのではないかという疑問だ。

 

自分たちの声はいくら上げても、届かない、となると、自然と、政治に対して無力感が生まれ、投票からも足が遠のく。投票率の低さは有権者だけを責められない気がするのだ。

 

そういう有権者の気持ちを盛り上げ、選挙の争点を知らせる働きがあるのは、マスコミ、特にテレビの役割ではないかと思うのだが、国民全員から税金を頂戴しておきながら、その役割について怠慢なのはNHKだと私は思う。

 

選挙の前では、1日9時間ぐらい、各党が争点だと言っていることを紹介したり、その信憑性を実証する特殊番組組んでもよいと思うのだが、驚くべきほどに選挙の話題を言わない。私はよくNHKFMのニュースを聞いているが、FMのニュースなどでは、選挙について一切触れない。

 

安倍さんに忖度して遠慮しているのだろうか。よく言われているように、国民が選挙に無関心で、投票率が低いのは、自民党と公明党に有利であると。もちろんこのことは、科学的に本当にそうであるか実証して見なければ真実を知りえないわけだが、「日本はこんあに平和です。選挙で争われるべき争点は何もありません」的な番組を、NHKからなぜこれほどまでに見せられ聞かさられなければいけないのだろうか。強制的な税金の徴収により、視聴を拒めないからこそ、これには憤懣やるかたない。

 

無投票信任というのは、自然と悪いほうへ連れていかれる。自分で紛争の種をまいておいて、自分から戦争を仕掛ける国に盲目的についていくような末路でいいのだろうか。自分に与えられている1票は、しょせん何も変えられない1票なのかと、悲しくなる。

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2019年7月17日 (水)

『老子―もう一つの道』 五十八 光をつつむ

【自由訳】
政治家がうすぼんやりしていれば、かえって人民は純朴で、逆に、政治がやたら黒白を付け、はっきりしていると、人民に不満が高まり、人民どうしで争いだす。


不幸のどん底に幸いがすでにきざしているものだし、幸福の絶頂に不幸はすでに存在している。幸福と不幸と、禍(わざわい)と幸(さいわい)と、その変転を人の目で見極めることはできるのだろうか。どこに変転のない常道を見出すことができるのか。正は邪となり、善は悪となる。そこで、理想の聖人は突出しないこと、極めないことにした。方直・廉直であっても、その角で人を傷つけたりしない。

内面に光があっても、それを隠し外へは現わさない。

【解説】
ここでまた、光をつつみ隠すことの重要さを強調。また、幸・不孝の変転をどう見極めるか、どう人生に処するかを指南。

 

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2019年7月16日 (火)

国民は代表されているのか?をさらに考える

世帯当たりの平均貯蓄はいくらなのだろうか?

 

これはよく、統計の教科書に出てくる事例だ。平均値で言うと2000万円近くになる。そんなにあるのか、というというのが、私のようなものの感覚だが、この平均値という値で、国民を代表させるのには問題があるということが、教科書に書いてあって、なるほどと思った次第だ。

 

平均値は、高いほうの値に引っ張られる性質がある。だから、世帯別貯蓄では、とんでもないお金持ちがほんの一握りいれば、平均の値が高くなってしまう。平均値で国民を代表させるのは問題があるということだ。

 

そこで、国民を代表させる値として、もっと別の値がないかと言えば、最も度数の多い階級を代表させる「最頻値」というのもある。世帯別貯蓄で言えば、最頻値は100万円未満だ。これなら、私の感覚とも一致する。

 

こんなことから、日本の政党政治は本当に民主的なのか?つまり国民の姿をありのままに代表させているのか、という疑問がわく。この世帯別貯蓄の例のように、金持ちの値である上の方に引きずられているのではないのか?100万円未満だとか貯蓄ゼロのもっとも、国民を代表する値は、議員さんの割合に反映されているのか?

 

反映されているかどうかは、本当にそのような世帯の人たちが投票に行っているのか、行ったとして彼らの投票が死に票になっているのかどうかなど、実証的に調べて見ないことにはわからないだろう。しかし、投票率の低さや世界でもまれに見る供託金の高さや世襲制や選挙制度のゆがみによって、ある特定の階級の人の意見しか反映されていないのではないか、と疑う余地は大いにあると思う。

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2019年7月14日 (日)

国民は代表されているのか?

選挙と関連して、本当に今の議会制政党政治は、国民を代表する、つまり民主的な政治なのだろうか、ということに考えをいたすようになったきっかけは、神林博史先生の「一歩前から始める「統計」の読み方・考え方」という本を読んだことだった。神林先生の考えの受け売りかもしれないが、一応私自身の執筆責任で例を出して考えてみる。

 

「だって、みんなそうなんだもん」理論

 

これは子供が(そして、大人が)物を買ってほしかったり、自分の行為を正当化する時に使う理論で、「だって、みんなケータイ持てるんだよ。だから、ぼくにも買って」のように使う。しかし、これ、「じゃあ、みんなって誰?」と突っ込んでみると、みんなというのが、実は自分の周りのたった2,3人だったりする。だから、「みんな、そうだ」は、みんなを代表していないことがありうる。

 

韓国に対する自民党政府の報復的制裁を「多くの人が支持している」という。多くの人って誰だろう?統計でだまされないためのリテラシー(きちんと判断する能力)と同等のものが、政治の世界でも必要だ。「みんな」や「多くの人」というのが、内閣調査室の方々が、地下室でコンピューターに向かって熱心に入力しているSNS上の投稿かもしれないのである。そもそも、性暴力や人権を無視した強制労働に対する倫理的責任を認めないという根本的な話の食い違いからスタートしている問題を、問題は存在しないという主義・主張の人たちには解決できないと思う。日本と韓国が対立することで、国益を得る国や、その国に服従することで仲間内の利益だけを得ることができる人たちは、多くの国民の利益と相反すると思うし、彼らが本当に「国民を代表している」のか、大いに疑問である。

 

 

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2019年7月11日 (木)

国民を代表するとは?

国会議員は国民を代表するとは言うけど、本当にそうか?ある意味ではそうだろう。参議院の比例代表などは、医師会や連合など業界団体の代表が一人選ばれて名簿の中に入っている。業会及びその背後にいる人たちの多さを考えれば、こうやってある国民の一部が代表されているともいえる。

 

しかし、私が言っているのはこういう形での「代表」というわけではない。これを考えるきっかけとなったのは、国民=有権者側の投票率の低さ、そして訳あって今勉強している「統計」。神林博史先生の「一歩前から始める「統計」の読み方・考え方」という本が面白かった。勘が也氏先生のあとがきを読むと、何と先生は東北学院大学で教えていると言うことで、自宅から見える学院大のあの校舎のどこかで、こんな面白い授業が展開されているなんて、学生さんがうらやましい、と思ったところだ。さて、これから書くことは神林先生とは一切無関係で、私自身の考えである。

 

まず、投票率の低さ。いま国政選挙の投票率は5割前後で、おそらく今回の参院選もそのようなものだろう。しかし、今の選挙制度では、5割の投票率のうち3割を獲得している自民党が全議席の3分の2を確保している。これで、堂々と、わが党は民意を反映していると言えるのだろうか。(もちろん、「立派に反映している」という反論もあるだろう)

 

そこで、よく統計の教科書に書いてある「世論調査」だ。「世論調査」は本当に国民全体の意見を反映しているのか?理論上、「反映している」のだそうだ。それは、「スープ」の理論だそうで、スープの味見をする時に、全部飲み干して味見する必要はなく、よくかき混ぜで、スプーン1杯分取り出してみれば、全体の味の加減もわかるというのと同じことだという。つまり、うまく国民全体を代表するように人を選んできて、その人たちに意見を聞いてまとめれば、それはほぼ国民全体の意見を集約したことになり、その真の意見とのずれは、誤差の範囲なのだ。

 

ということは、「世論調査」で意見を集約してそれを、選挙に反映するようにすれば、うまく国民全体の意見を反映させることができ、そうなれば国会議員は多様な国民の意見を代表する真の代議制民主主義に近づくのではないだろうか。

 

各社の世論調査で少し違いが出るのは、読売新聞が、有権者が「よくわからない」と答えた時は、重ねて質問して自民党や安倍さんに有利になるようにしているといった多少の差はあるそうだが、今の世論調査で支持第1党は、自民党ではなく「無党」だ。有権者が、自分の意見が政治に反映されないからと、無力感を抱き選挙を棄権させないためにも、世論調査で5割を占める無党派の議員を国会の議席の半数近く配してはどうだろうか。この議員たちは無党派なので、当然、どの政党にも所属しない。何かの議題ごとに、例えば「憲法を改正しますか」「消費税を上げますか」「NHKの予算を承認しますか」と問われるごとに、いいと思う方に、あっちについたりこっちについたりして決めていけばいいのではないだろうか。その国会での投票行動は、自分たちを選んでくれた「無党派」の思いや心情を忖度して代表するようにするが、もしかしたら生身の人間に議員さんをやってもらわなくてもいいかもしれない。無党派の考えや気持ちがわかるようにAIを訓練して代表させてもいいかもしれない。

 

このように政治改革をすれば、低投票率も改善されるし、望ましい民主主義にも近づくのではないだろうか。今回は、まじめな提案と受け入れられてもらえないような内容になってしまったが、次回(があれば)、また「統計」と関連させて考察してみたい。

 

 

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2019年7月10日 (水)

『老子―もう一つの道』 五十七 技巧を捨てよ

【自由訳】
戦の時になれば奇抜な作戦で相手の裏をかき勝ちさえすればよい。だが、国を治めるには正道が必要だ。私の言ふ正道とは「無為」のことだ。なぜ、何もしなくても国が治まるのか。天下に禁止事項が多ければ、それだけことは煩わしく民は貧しくなる。武器を貯え軍備を増強すれば国家は傾く。小賢しい知恵を働かせ、小手先の技巧を操れば、珍奇なものがたくさんできあがるが、人々の生活必需品はなくなる。法律・規制でがんじがらめにすれば、その法を破ろうと盗っ人が増える。

 

「無為」とは、為政者が何もせずとも人民が自然と教化され、為政者は静かに動かないのを好んでいても、人民の行ひが正しく、上はやることを少なくして下々が富み、上に立つものの貪りの心がなく、人民の心が素朴であるということだ。これが、理想の政治だ。

 

【解説】
国家が何にも介入しない政治というものが果たしてこの現代に可能なのだろうか。物資の絶対量が乏しかった古代中国では、王朝の専横により人民の物質的窮乏がはなはだしかったことは確かである。老子が反対したのは、このことだ。

 

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2019年7月 8日 (月)

『老子―もう一つの道』 五十六 和光同塵(わこうどうじん)

【自由訳】
本当に知恵あるものは誇らしげにしゃべったりしない。よくしゃべる人にはほんものの知恵はない。ほんとうの智者は、外からの騒々しさにかかずらわず静かに目を瞑(つむ)り、鋭くぎすぎすした感じはなく、それでいて物事のもつれを解決する。人の目にまぶしい光をつつみ隠し、衆人の中にまぎれ住む。そういう衆人の中で人がほんものの知者に出会ったとしても、親しむこともできず、かといって疎んじることもできず、利することも害することもできず、尊くすることも卑しくすることもできない。こうなってこそ本当にこの人は貴いのだと言える。

 

【解説】
本当に偉い人はこの世の人々の中にまぎれ住んで光を包み込んで生きる。

 

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2019年7月 7日 (日)

徴兵制を考える

国際政治学者の三浦瑠璃さん。人気のコメンテーターとしてテレビやインターネットで活躍なさっている。その三浦さんが新著「21世紀の戦争と平和」で、「徴兵制が平和を導く」との主張をなさっているという。『河北新報』(2019年5月2日付)の記事を参考に、三浦さんの考えを要約してみたい。

 

徴兵制が平和を導くというのは、人を瞠目させる主張だが、自分が現実に戦場に送られると思えば、人々は政府に安易な軍事行動を許さなくなる、すなわち、国民一人一人が「血のコスト」を「わが事」として考えるようになれば、慎重になるというのが三浦さんの真意だという。

 

三浦さんの、考える原点は以下のようなものだという。

 

・自ら選んだ仕事だからと言って特定の人を戦場に送る仕組みは道徳的に正当なのか。
・国民が戦争を望んだときに押しとどめる方法はあるのか。
・そもそも「正しい戦争」はあるのか。

 

このようなことを突き詰めていって、論理的必然から、徴兵制を提案し、徴兵制が平和を導くと結論付けたという。ただしこの徴兵制は、素人を前線に送っても、軍事技術が高度化した現在では利点があまりないので、「象徴的徴兵制」だという。

 

「象徴的」というのは、国が対価を払い、国土保全や郷土防衛の予備役に幅広い世代を持ち回りで収集する。こうして皆が当事者意識を持つことが、平和にとっては重要なのだというのが三浦さんの主張だとのことだ。

 

さて、ここからは私の意見だが、当事者意識を持つのは私も大切だと思うが、徴兵制には反対だ。私も当事者意識を持っている。だから、アメリカ軍とともに行動させられ戦地に派遣される自衛隊の方たちが、わがことのように心配だ。彼らを守るためには、アメリカの戦争に参加することに対する反対を唱えたいと思うし、そもそも戦争が起きないように、何か素人だってやれることがあるはずだ。そもそも政治家だって、戦争と平和の問題を解決できないのだから、素人なんて引っ込んでろとなるのでなく、逆に言ったら、素人が力を合わせ、知恵を出し、行動したら平和を作れるかもしれない。

 

例えば、隣国への恐怖や憎悪をあおるものがいれば、憎悪に反対し、恐怖の振幅に同調しないように呼びかけるのだって、戦争を防ぐことになる。そういう意味では、誰だって平和を望むものは、「象徴的志願兵制度」に参加することができる。

 

また、アメリカに支えられてこの国で地位を保っている政治家や政党に投票しないことだって、平和構築に参加する一つの手段だ。三浦さんが提案する「象徴的庁へ壱成」も興味深いが、「徴兵制」ができたら、それは和やかな民主的な団体にはならず、鉄拳制裁で上官の命令は絶対、というような組織になりそうで、怖い。そうならないように、いろいろ対策や手続き、法律は作られるのかもしれないが、公文書をきちんと保存しておくといったそういう民主的手続きを軽んじて、アメリカのために血を流すことにうっとりするような、現政府では、やはり信用できないという不信感もある。

 

 

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2019年7月 4日 (木)

『老子―もう一つの道』 五十五 長生

【自由訳】
徳を厚く積んだ人は、赤子のようだ。何物もその人を害することなどできない。柔らかくしなやかな体でありながら、力が強く、精が充実し、一日中声を出していても嗄れないのは、和の至りだからである。和を知れば心身が常体を保ち、この常なるものを体得する人こそがほんとうの智者である。


この生に余分なものを付け加えるな、それは不吉になる。心が気を使い果たせば柔らかさは失われ、盛んなものほど衰え老いる。道に沿って生きていないのだ。こういうものは天寿を全うできない。それでは、いけない。

【解説】
盛んになればなるほど衰え老いるのも早い。長く生きて、生を全うするための老子の戦略は、柔弱に生きるということ。柔弱と言っても、その中には老子の考える本当の強さがある。長く全き生を生きるための老子の智慧を聞くべきである。

 

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2019年7月 1日 (月)

日米安保は破棄すべきだ

アメリカのトランプ大統領から、日米安保は破棄すべきだという提案があった。日本の支配層は、トランプさんは変人なので彼の発言は一端脇に置いといて、日米安保は不変だと、政府間では確認しているなどと極めて冷静を装わないで、いい提案をしてもらったいい機会だと捉えたらいいのではないだろうか。

 

トランプさんが破棄すべきという真意は、日米安保が片務的で、一方的にアメリカが日本を守ってやっているからで、その逆がないという意味だ。日本政府が、いや、そんなことはない、という反論の内容としてあげるのは、基地を差し出しているし、滞在費まで負担してやっている、今後はアメリカの要望に従って、中東などでアメリカが戦争を始める時は、自衛隊が先兵となるというものだろう。

 

私のトランプさんに対する反論はこうだ。アメリカは時代時代に合わせて自国の利益のためだけにやっているのであって、日本は片務的だとかという義務感を感じる必要性はない、ということだ。安保条約を日本に押し付けた時は、アメリカは自国お国益のために、共産主義諸国への防災壁のために日本を軍事利用しただけで、しかも極めて有利に利用している。時代が変わった今も、自国の利益のために日本は利用価値があるし、地位を保証してやっている支配層からの貢ぎ物も入る。中東で、イスラエルの利益を守ってやるためにアメリカが戦争を始める時、日本の自衛隊を先兵にすれば、自国の損害は少なくなる。決して片務的ではなく、一方的にアメリカの国益のために行動しているだけで、そういう意味では、世界には「理想」なんてものはなく冷徹な国益最優先の国際政治があるだけだ。

 

私は、せっかくトランプさんがそう言ってくれるのなら、日米安保はやめた方がいいと思う。国民の立場から言えば、空から米軍の飛行機が落ちてきたり部品が落ちてきたり、米兵の犯罪があれば、安心・安全な暮らしが脅かされる。中国・韓国・北朝鮮の脅威を言い立てる意図がいるが、それを言い立てている、本人がその脅威を作り出しているのであって、私は、周辺国が脅威だと思わないし、多くの人が戦争を望んでいないのは、隣国も日本も同じだろう。もちろん問題もあるが、戦争の脅威は、国民に自由な考えを表明させない、独裁的な政治・政策プロセス、報道管制によって国民に情報が伝わらないと言った非・民主的なことから生まれるのであって、非・民主的なことにかけては、日本社会にだって戦争を推し進める脅威は周辺国と同じくらいある。兵器をそろえて安全を作り出すのでなく、相互理解と民主的なプロセスの広まりで、東アジアが平和的に安定すれば、に日米安保は不要だろう。もちろんそれを望まないのは、アメリカとアメリカによって支配層の地位についていられる日本の人たちだろう。安倍さんが、せっかくイランに行っている間に、日本のタンカーを攻撃する動機と利益が一番ある国と言ったら、アメリカだろう。

 

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