UA-92533382-1 大沢 真幸氏の「論考2019」を読む: よつば農場便り

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2019年6月 9日 (日)

大沢 真幸氏の「論考2019」を読む

『河北新報』5月23日付に掲載された社会学者・大沢 真幸氏の論考を読み解いてみる。非常に興味惹かれる良質の論考だが、大沢氏が、黙して言い難かったところを補遺してみようと思うのだ。

表題は「平成の終わりと令和の課題」。内容を要約してみると、日本人は「平成最後の…」と大騒ぎしたが何も成し遂げてはおらず、成し遂げた方は、上皇となった平成の天皇・皇后だけだ。お二方は、「平和」をはじめ、戦後憲法に謳われた価値を明確に支持した。災害の犠牲者のもとに駆け付け、ハンセン病患者の様な社会的弱者に寄り添った。さらには、戦争の傷跡に向かいあい、戦後を終結させようと努力した。

ところが平均的日本人は、平成天皇のように、素直に迷いなく憲法の平和主義を支持したわけでなく、社会的弱者との距離を縮めようと努力したものもいない。天皇が行ったことは過剰ともいえるが、誰もやりすぎたと非難したものはなく、日本人が平成を通じて何かを実現したような幻想を持った時、お二方を自分たちの代理人として自分たちが行動したかのような気分になってしまった。

こうして日本人は、お二方が示したことを本当に実質があるものとして実行に移したいと思い、そうすることがよいと思っているのだが、そういう行動に移せないのは、無意識のうちでは罪を認めているものが、それでも言い訳をしてしまうのと同じだ。令和の課題は、無意識が真実だと言っているものに従うこと、願望しながらできなかったことを政治的に実質のあるものとすることだ。以上が大沢氏の論考の要約である。

さて、大沢氏が言い難かったことは、日本人の戦争への向き合い方だろう。大沢氏は、このようにたとえている。「私が何か過ちを犯したとする。だが、私はそれを認めたくなない。ああするほかなかったとか、私にはそうする権利があった、と私は言い張るだろう」これは、戦争責任のことだ。人権や人道に対する罪は、どう言いつくろっても消えるもので話し、何年たとうと時間が浄化してくれるものでもない。それを、「日本を貶める」という大きな声が、下記消そうとする。そのような政治勢力も平成時代は大きく伸長した。まさに、そのような政治勢力にとっては、平成天皇の行動は目障りだったことだろう。大沢氏の言うとおり、今度は国民が行動する番だと私は思う。

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