一強礼賛 その2
安倍さんや自民党が、この国の政治舞台でこれほどまでの強さを発揮しているのかを考えていた。もし私が、政治学者であれば「自民党、その強さの秘密」というような実証研究にぜひとも取り組んでみたいくらいだ。
前回、外に敵を作り「うち」の結束を高めるという点に、国民からの多くの支持を見たのだが、それに伴い、私は、危険や危機から、あなたたちを守ってあげる、慈父のような存在なのですよ、というイメージ戦略の巧みさも、国民からの支持の高さにつながっているのだろうと考える。以下で見ることができる、宣伝映像や、侍姿に美化された安倍さんを、頼もしい、自分たちを守ってくれると若者たちも、引き付けられていくのだろうか。
https://www.jimin.jp/news/activities/139465.html
こういうのは、ばからしい、噴飯ものだと笑うのは簡単だが、私は、背筋が寒くなるほど恐ろしい。ナチスが登場してきた時だって、あの制服や行動は滑稽で、ばからしいものであり、誰もが、これは大したことにはならないだろうと思っていた。しかし、もう数年後には、誰も笑うことができる人はおらず、心を偽ってでも、「総統、万歳!」を称呼しなければ許されなくなったのだ。
このままの政治潮流が続き、安倍さんや自民党を国民が支持し続け、さらに大きな力を持つような世の中は、どのような社会になってしまうのか。気のせいか、性犯罪に対して寛容な判決を耳にするようになった気がする。「拒むことができたのに、拒まなかったのだから、犯罪ではない」。大きな政治勢力に忖度したものだろうか。「そんなところに一人で行くのが悪い」「他にする仕事があったのに、それをしたのであるから、政府からの強制ではないし、彼女たちは売春婦だ」というような、理論や見方が、世の中に広まっていくのは恐ろしい。奪われた人たちや状況では、選択肢はないのだ。選択肢があるのは恵まれた人たちだけだ。奪われた人たちが多くなっている今の状況は、安倍さんや自民党に本当に有利な追い風が吹いている。
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