UA-92533382-1 満開の桜の木の下: よつば農場便り

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2019年4月14日 (日)

満開の桜の木の下

シネマ歌舞伎「桜の森の満開の下」を見る。歌舞伎の公演を録画し、見やすいように編集して劇場公開してくれるありがたい企画で、歌舞伎鑑賞のハードルが下がる。「桜の森の満開の下」は古典作品ではなく、坂口安吾の原作を野田秀樹さんが演出したもので、「野田版」と銘打ってある。なるほど、言葉遊びなどが巧みな作品だった。

もっとも、作品自体は不思議な作品で、決してわかりやすい筋とは言えないが、鑑賞後に不思議な感慨を残す作品で、わかりやすいということ自体が決していいというわけではない。

作品は、安吾の「滅びの美学」が色濃く反映されているのではないかと思った。また、彼が戦中派の作家として、戦後にも生きて、「国家」と対峙したこととも大きくかかわっているのではないかと思った。

作中に「ヒダの国」が出てくるが、これは、天孫降臨族の大君(おおきみ)、大海(おおあま)が天下国家を統一する過程で滅ぼされる。国家統一の際に、ヒダの国だけでなく、有名・無名の数々の国々や民族が滅んだことだろう。国家が領土を確定し、東西南北の国境(くにざかい)を区切るということは、そこで戦争が起こり無数の民が死んだということだ。

この滅びを見守り、滅びを誘うかのような不思議な姫が夜長姫演じる中村七之助だ。姫の狂気や捉えどころがなくそれでいてぞっとするような役柄を七之助はとてもよく表現していた。

主人公の耳男(みみお)は、襲名した中村勘九郎だ。勘九郎も熱演していたが、ダイナミックな動きの良さは、某国営放送の金栗四郎を思い出してしまった。エンマの坂東彌十郎、赤鬼の片岡亀蔵、ヒダの王の中村扇雀、大海を演じた松本幸四郎など、脇を固める人たちも見ごたえがあった。中村芝のぶ演じる奴隷のエナコも不思議な役だった。歌舞伎は、もともと伝統ではなく、革新。現代劇への若い役者たちの挑戦も大いに歓迎だ。

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