UA-92533382-1 『孔子』 井上 靖: よつば農場便り

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2019年4月 3日 (水)

『孔子』 井上 靖

読みたい本は読んでおこう、やっておきたいことはやっておこう、悔いがないようにと思い、時間をうまく使って前から読みたいと思っていた井上靖の『孔子』を読んだ。今、改元祝賀ムードで、中国を離れての日本本来の文化だけを目指す愛国心徴用が高まっている。しかし、こういうのは、「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」 と同じで何の反省もなく日本民族は優れているという陶酔に終わってしまう。愛国を声高に叫ぶ人ほど、しっかりと孔子や孟子の言行録を読んで知っておくべきではないかと思う。

孔子が中国人なのがいけないのだろうか。本家中国で、もう見当たらなくなり、すたれたしまったものでも、日本で大事にされているものがある。その一つが、愛国者たちが大好きな、天皇制だったり元号だったり京都や奈良の街並みだ。孔子の思想や言動も素晴らしいし、まさにトランプ氏やプーチン氏や習近平氏など覇権を争う乱暴者や、トランプ氏におもねる阿諛追従者もいるこのような国際情勢でこそ、孔子の思想は輝くし、日本こそが孔子の思想を本家よりも大事にしてきてそれを生かそうと努力してきたと誇りに思ってもよいのではないだろうか。

と書いてはいるが、実は私も、「われ 十有五にして学に志し、三十にして立つ、四十にして迷わず…」というのが、自分には偉すぎて敬遠していた。自分は、いくつになっても迷ってばかりの情けなさで、とうてい孔子の足下にすら及ばないと思ったからだ。しかし、実は、孔子は実人生としては「失敗者」だったと言えるかもしれない。仕事は長続きできず、評価して雇ってくれる人もない、事情で故郷を離れて遠くに行かなければならない、その途中で死にそうな目に合うといった。しかし、そんな中で孔子はやはり素晴らしい人生を生き、弟子たちに慕われ大きな影響を周りの人たちに与えた。どこに孔子の人間的魅力があったのだろう。それを探るのが、井上靖の『孔子』だ。

井上靖の『孔子』は、孔子の一番苦しい時代、故国を追われ、放浪に出て、途中で飢え死にそうになる時代に焦点を当てる。この放浪の旅に、使用人というような身分で加わり、そのまま何となく一行に居ついて、それで孔子の言行を目の当たりにすることができたという架空の蔫薑(えんきょう)という弟子を語り手として、人間・講師の魅力を探っていこうとするものだ。架空の弟子の直接的な経験と孔子の死後30数年後の彼の思い出と孔子の言行に対する思索によって、孔子の人間味が明らかにされていく。

何と言っても「天命」という言葉が、思索されている。私も、この年になり「天命」という言葉が気になる。「運命」とは違う。天がその人に命じたやるべきこと、それが「天命」だ。それは、この世でうまくいくのか?孔子を見ても、それはうまくいかないこともある。しかし、うまくいくか、いかないかというこの地上のことはさておき、それをやらないといけないこと、それが「天命」だ。そういう孔子や人の生き方も含めて「天命」という言葉が、この本では考察されている。

もう一つ、私が感心したのは、実際に孔子が亡き後、言行録が残ったのは、直接の弟子たちをはじめ、多くの人たちが孔子の言行を書き留めようと努力したからに違いない。小説の中では、「孔子学会」というような形で出てきて、各地の各種団体が、資料収集、資料の真贋の検査、孔子を直接知る人への審問などの、ものすごい努力をしたということが分かる。もちろん井上靖の創作だが、実際にこのような努力があって、いま私たちは孔子の言動を知り、その人や思想を知ることができる。学恩や陰徳のありがたさである。

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