UA-92533382-1 「いのちの文化人類学」波平恵美子: よつば農場便り

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2019年3月14日 (木)

「いのちの文化人類学」波平恵美子

波平恵美子さんの「いのちの文化人類学」を読む。きっかけは、質的研究の入門書を読んでいた時に、波平さんの著作が紹介されていたのをきっかけに、波平さんが研究しておられることに興味を持ったからだ。

「質的研究」とは「量的研究」の対になる言葉だ。現在の研究はデータを取りそれを数値で表現し、数値を統計処理して客観的な事実の裏付けとなす。それに対して、「質的研究」とは、数値にするデータが集めにくい分野の研究で、主に人間の言説などを対象にする。「質的研究」は歴史的経緯からして医療現場における、人間の振る舞いなどを多く研究対象としてきた。波平さんも、日本の医療の現場における「穢れ」の概念の研究など、大変興味深い研究をされているのを知り、その著作を読んでみたいと思って購入したのだ。

波平さんは文化人類学者だ。文化人類学的視点から、日本人の死生観を研究している。文化人類学的ということは、現地の置ける聞き書きやインタビューなどがその学問上の根底にあるということだ。「命の文化人類学」の後書きを読むと、これは新聞に連載されたエッセイをもとに書籍にまとめたということだそうだが、だから大変読みやすくとっつきやすいのだが、しかしその裏にはきちんとした学問的な裏付けがあるのだろうなと感じさせた。

生と死とは一体だ。だから日本人の「いのち」感は日本人の「死」に対する考え方である。命や死に対する考え方がどのようなときに現れてくるのかを、医療問題と絡めて説明してくれる。出版されたのが1996年だから、医療の進歩を考えると、もうずいぶん前という感覚を受ける。というのも、「体外受精」や「脳死」を人の死と認めるかという議論が盛んにおこなわれていた時だからだ。しかし、波平さんも言っているが、科学技術はどんどん進歩するが、それと同じように人の考えも変わるかと言ったら、もちろんそうではない。日本人の死生観が、なぜ脳死を死として認めがたくしているのかなどを波平さんは考察する。

私が印象に残ったのは、日本人の死生観では、死んだ人はカミであり、死んだ人が子孫である私たちを守ってくれるという素朴でもあり連綿と私たちに根付いている観念だ。だから、中日戦争、太平洋戦争で若くして死んだ人たちはカミなのであり、子孫である私たち繁栄の礎となったという考えが何の違和感もなく日本人に抱かれてしまうということだ。日本人の軍事行動が他国民に対してどれくらい被害をもたらしたかということとは別次元の話となってしまい、他国との関係を難してしまうのが、この死生観だ。だが文化人類学の学問としてのすばらしさは、すべての民族の考え方を相対化できるということだ。日本人の死生観は文化人類学的には、特別なものでもないし、なにか優・劣をつけるべきものでもない。学問的に、日本人の死生観を客観視していく試みはとても興味深く、面白くこの本を読んだ。

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