UA-92533382-1 石牟礼道子『苦海浄土』: よつば農場便り

« ローマ帝国衰亡史 | トップページ | 『老子―もう一つの道』 四十一.大器は晩成す »

2019年2月19日 (火)

石牟礼道子『苦海浄土』

この有名な作品を、やっと今になって読んだ。しかし、人生50年を過ぎて、しかも、フクシマ核発電所が核物質をまき散らす事故のあとに読むことになったのは、やはり全てにはそれをすべき時というのが、その人にとってすべて決まっているからなのだろうか。

 

水俣病についてのこの有名な作品は私が改めて語ることはもうないだろう。しかし、講談社文庫からの新装版は、渡辺京二さんの行き届いた解説があり、作品への理解が深まる。さらに原田医師の、当時の状況や医学的な見地からの解説は,「苦海浄土」新装版のためだけでなく、今の時代のためにも書かれたのだと錯覚させられるほどだ。

 

石牟礼さん、およびこの「苦海浄土」という作品の凄さは何だろう。渡辺さんも解説されたが、これは「聞き語り」のドキュメンタリ文学でもなければ、激しい告発の書でもない。(もちろん、企業・私たち人間・行政の業の深さや罪深さは、読後に、撥ね退けられないどんよりとした重さとして、伝わってくるが…)

 

渡辺さんによると、石牟礼さんは「巫女」なのだという。石牟礼さんは、決してすべての話を漁民から聞き取って書いたのではないという。もちろん、活動家としても水俣に携わった石牟礼さんはこの場所に出入りしていた。石牟礼さんは、漁民たちや患者にあい顔を見れば、その人が話すだろうことを、語りだし、筆に留めることができたのだという。漁民は時に無口で、こんなにも語っていることはないだろう。だから、石牟礼さんに憑依して語らせたのは、当事者の漁民たちだけでなく、水俣湾や不知火海の石や水や風や光も含めた生きとし生けるすべてのものだ。それらの声が聞こえ、自分の体の中を通して声を与えることができた石牟礼さんという人がいたからこそ、「苦海浄土」という作品が残された。もし「苦海浄土」がなければ、フクシマ核発電所爆発事故、沖縄美ら海強制埋め立てと、繰り返し行われる悲劇に、私達は一切の言葉なしで立ち向かわなければならなかっただろう。

 

渡辺さんは新装版「苦海浄土」の中で、「ゆき女きき書き」「天の魚」を進めている。確かに、当事者の語りは圧巻だ。しかし、私は同じ語りである第7章 昭和四十三年が心に応えた。日本政府もいよいよ(初発から何十年後に)病気の原因がチッソからの水銀だと認めた。チッソの方もそういう決定が出るというのは薄々わかっていて、政府の決定が出たら、社長が主だった患家に戸別訪問して謝罪するという段取りになっていた。石牟礼さんは、金を何とかやりくりして、会社の御一行のあとを、タクシーを借り切りついて回ることにする。ご本人も、社長たちが出てきた後に、その家に入ったと言っているのに、石牟礼さんは、その人の顔を見て、その人が社長に向かって何と言ったかを語りだしている。記録文学ではない。だから、社長に言ったその語はもちろん正確ではないだろう。相手は大企業の社長だし、御一行様、こちらは貧乏で何も持たない。そのような威圧に気落とされ、もしかしたら何も口に出せなかったかも知れない。だから、茨木妙子さんがチッソの社長に述べたというこの語りは、この水俣という土地全体の声を、石牟礼さんが憑依して語ったもののように思えるのだ。

 

「よう来てくれなはりましたな。待っとりましたばい、十五年間!」

 

「水俣が潰るるか潰れんか。天草でも長島でも、まだからいもや麦食うて、人間な生きとるばい。麦食うて生きてきたものの子孫ですばいわたしどもは。親ば死なせてしもうてからは、親ば死なせるまでの貧乏は辛かったが、自分たちだけの貧乏はいっちょも困りゃせん。会社あっての人間じゃと、思うとりゃせんかいな、あんたたちは。会社あって生まれた人間なら、会社から生まれたその人間たちも、全部連れていってもらいまっしゅ。会社の廃液じゃ死んだが、麦とからいも食うて死んだ話きかんばい。このことを、いまわたしがいうことを、ききちがえてもろうては困るばい。いまいうことは、わたしがいうことと違うばい。これは、あんたたちが、会社がいわせることじゃ。間違わんごつしてもらいまっしゅ」

 

「さあ!何しに来なはりましたか。上んならんですか。両親が、仏様が、待っとりましたて。突っ立っとらんで、拝んでいきなはらんですか。拝んでもバチあたるみゃ。線香は用意してありますばい」

 

「苦海浄土」は人間の声を載せているだけでなく、当時の状況や考察も載せてある。そういう意味では記録文学なのかもしれない。水俣では、「チッソ」という会社の存在があまりにも大きすぎて、「水俣病、水俣病」と言って騒ぐな、騒げば騒ぐほど有名になるのは困るという、当事者が声を上げづらい状況や、住民が住民を抑圧し、住民同士が無益に対立させられる構造が描かれている。それと同時に、「チッソ」という大会社の源流を探り、それが朝鮮半島の一漁村を買収・立ち退きして始めた工場建設に端を発することを述べている。自慢気なチッソの社史の中に、買収に警察官を立ち合わせたという記述を見逃さない石牟礼さんだ。植民地支配で、朝鮮半島の住民から暴力を使って取り上げた土地によって始まった国策会社が、戦後に起こした事件が水俣病だ。原点や源流を、私達は反省もしないし顧みないから、電気の国策会社も、アメリカの下請けの国策政府も同じことを2度3度繰り返すことになる。しかし、「苦海浄土」がある限り、まったく同じ2度目、3度目ではない。「苦海浄土」と同じく、すべての生きとし生けるものの声をとどめた「原発文学」も「沖縄文学」も、今後出てこなければならないが、「苦海浄土」が日本文学にある喜びを私は抱きしめている。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 社会思想へ
にほんブログ村

follow us in feedly

|

« ローマ帝国衰亡史 | トップページ | 『老子―もう一つの道』 四十一.大器は晩成す »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 石牟礼道子『苦海浄土』:

« ローマ帝国衰亡史 | トップページ | 『老子―もう一つの道』 四十一.大器は晩成す »