わが家にまさる場所はない
どんなに質素であろうとも、わが家に勝る場所はない、というのは私のような年代のものには、大学入試用の英語の例文でおなじみのフレーズで、詳しい出典はわからないが、おそらくいい古された半ばことわざじみた格言なのだろうと思うのだが、これはもちろん、「我が家は一番安心できるいいところだ」という意味の解釈だと私などはずっと思ってきたものだ。
ところが、今の若い人はこれをかなりの確率で、「我が家ほど貧乏なところはない=わが家はとても貧乏だ」と解釈するのだ。私は若者を責める気はなく、むしろ、私の話は若い人に通じてなかったのかと、かえって自分に自信を無くすのだ。
ある世論調査で、50,60代の安倍首相の支持率は20~30%なのに対して、20,30代の支持率は60~70%ということだそうだ。これはどういうことだろうと、知り合いと話したとき、政治の教科書的には、自民党=保守、共産党=革新なのだが、若い人は、自民党=革新、共産党=保守と思っているのではないか、つまり若者は昔も今も、新しいものが好きで、世間の価値に反抗的なのには変わりがないという話も出たが、でもどうなんだろう。
私が安倍さんのことを支持しないのは、自分のことはさておき(おそらく、自分などはいまさら徴兵にとられることはないと高をくくって)、このままでは若い人がかわいそうと思ってそうしているのだが、例えば、格差が広がり、非正規雇用でしか仕事がなく、ふつうの家庭では払えるような額でなく教育費が高騰し、軍隊に行くのが一番安定した仕事になるというようなことにならないためにそうしているのだが、もしかしたら若い人たちには、私の思いは通じていないのかもしれない。
| 固定リンク
コメント