UA-92533382-1 『老子―もう一つの道』 三十二 止まるを知る: よつば農場便り

« 『老子 - もう一つの道』 三十一 戦争は悲惨なものである | トップページ | 『老子―もう一つの道』 三十三 「智」と「明」と »

2019年2月 2日 (土)

『老子―もう一つの道』 三十二 止まるを知る

【口語自由訳】
老子は言う。

 

「道とは、名前を付けて相対化し、人の認識にはっきりとのぼって来るようなものではない。名付けようのない素朴なものを、天下すべての者は隷従させることが不可能なのだ。しかし、その無垢のものを自らのうちに守るもののもとへは、万物が競ってやってきて天と地は和合し、その喜びに甘露を降らす。万物は命じなくても平等に整う。この始原状態を人為によって制しようとするところに、相対的な認識が始まる。そこでとどまるのである。とどまることを知れば、人は危うくない。万物を貫く「道」がたしかに天下に存在する。それを知るには、大海に河川がそそぐさまを想像してみよ。海の水と川の水は一体となる、だがそこにはたしかに海を貫き河川は流れている。この譬えを直観せよ。」

 

【解説】
名前を付ける。そこに相対的な認識が始まる。その相対的な認識の以前にさかのぼることができれば、そして、相対以前の認識と己が一体化できれば、宇宙は和合しそこに歓喜の甘露が降るという。

 

止まることの必要性を老子は説く。直線的に進むことのみ考え、人類は危殆に瀕している。止まることを知ることが安寧の道である。止まることを知る知恵と勇気と、現代の私たちに最も必要なことを老子は教えてくれる。

 

近代があれほど愛した「進歩」「進化」は、はたして本当に必要なことだろうか。歴史の必然として、この二世紀間、地球上の多くの人が「進歩」「進化」を善きものとして、信奉してきた。「恒常」「繰り返し」の世界には逆戻りできないと思っている。だが、次元の高い「恒常」と「反復」の世界は、はたして本当に不可能なのだろうか。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 社会思想へ
にほんブログ村

follow us in feedly

|

« 『老子 - もう一つの道』 三十一 戦争は悲惨なものである | トップページ | 『老子―もう一つの道』 三十三 「智」と「明」と »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『老子―もう一つの道』 三十二 止まるを知る:

« 『老子 - もう一つの道』 三十一 戦争は悲惨なものである | トップページ | 『老子―もう一つの道』 三十三 「智」と「明」と »