UA-92533382-1 『老子 - もう一つの道』 二十二  一に帰せ: よつば農場便り

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2018年12月19日 (水)

『老子 - もう一つの道』 二十二  一に帰せ

二十 一に帰せ

【口語自由訳】
曲がったような見向きもされぬ不完全なもの、それこそが己が生を全うできるのだ。曲がっているということは真っ直ぐなことであり、欠ければ満ち、古びてくれば新しくなり、足りなければ満たされ、満たされすぎれば迷いが生じる。そこで、心の中に不変なもの、そこからすべてが生じるものを持て。目立とうとはするな、そうすれば自然と世にあらわれる。功を誇るな。そうすれば事はうまく運び、しかも長く続く。誰もお前と争おうとはしないだろう。不完全なものは完全なものである。古えびとの智慧を信じよ。

 

【解説】
地球の表面に直線を引く。われわれの局限された感覚では、まっすぐな線にしか見えない。まっすぐな線をどこまでもどこまでも伸ばしていく。まっすぐにしか見えないが、宇宙の視点から見れば、実は丸みをおびた豊かな曲線なのである。曲線や、円こそがすべてのものを内に孕んで、豊かになれるのである。われわれは、まっすぐなもの、完全なもの、豪奢で壮麗なものを好むが、曲がったもの、不完全なもの、単純なもの、簡素なもの、こういったものこそが本来の豊かさなのである。その豊かさを、お前は自分の内に抱えているのか、お前が帰っていくのはそこではないのかと、老子は私たちをゆさぶる。

 

一を抱くとは何か。自然生成の原理、自然をも人間をも貫いている一なる道理を己の内に自覚せよ、一体となれというのだ。東洋的見方は、すべての物質界・現象界の生成の初めに一つの道理があり、それが全宇宙の存在を貫き流れているというのだ。それを自分の外にあるものとして分析・観察の対象とするなということである。その「一」がわれの中にあることを体得せよ、一つの直観となれ、というのである。ここに東洋的見地の真髄がある。


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