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2018年11月30日 (金)

『老子―もう一つの道』 十八 なぜこうも規範が多いのか

【口語自由訳】
「道」をひとが見失なった時、人は道徳の教えがこの世に必要だと言い始める。人のさかしらが進めば、偽りも多く、人々の間の親和が乱れると、孝の教えが盛んとなる。同じように国家の秩序が乱れると、忠の教えが盛んとなるのである。

 

【解説】
道家の儒家への対抗意識。

 

政治のとらえ方、理想の政治が違うのだ。規範とは人を縛るものなのだ。

 

では、不羈とは。天衣無縫とは。素朴で真なものなのである。


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2018年11月28日 (水)

『老子―もう一つの道』 十七 最上の存在

【口語自由訳】
最尊の存在について人々は、これが存在するのだということを知るのみである。存在の程度が下る(くだる)につれて、人々はその存在に親しんで誉めるようになったり、次は、畏れるようになったり、ついには侮るようにもなる。自らに、誠実・真実が足りなければ、人々は信頼を寄せない。悠然として迫らず、普段軽々しく口を聞かず、いざという時の一言の重みがあれば、功は成り事は成し遂げられる。しかも、周りの人々はその自然な成り行きに、もっともなことだと思うのである。

 

【解説】
老子が理想とする最上の存在、それが内に「信」を抱えていること。「信」とは何か。言(こと)が実行されることにより、その人に備わる徳のことである。「信」を持つ存在に、人々は「信」を寄せる。そうすれば、無為自然でありながら、事は成る。天・地・人の、「信」に基づく、おのづからなる協力のもとである。


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2018年11月27日 (火)

『老子―もう一つの道』 十六 静(せい)なるもの、常(じょう)なるものを体得せよ

【口語自由訳】
心を虚しく静かに保ってみる。すると、身の回りの自然界の動静があなたの心に映ってくる。春夏、万物は盛んに成長する。秋冬、すべてのものは成長をおさめ、もとにかえる。天命のなすがままの運行に従うものは、そのものの内に常(つね)なるものを抱えている。あなたのうちの常(つね)なるものを知っていることこそがあなたの明察であり、これを知らなければ、あなたは危うい。おのれのうちに常なるものがあることを知っていれば、みだりに動いて危うくなることはない。おのれのうちに常なるものを抱えた人は穏やかな様子を保つことができる。すべてを公正に判断し、王ともなり天ともなる。天道に通じれば、その人は己の中に道を体得した人であり、一生安泰である。

 

【解説】
意識を内にめぐらせて、変わらないものに出会う。その変わらないものこそが、この世の運行、有為転変をもたらしているものである。しかし、移り変わりにのみ目をとめてはならない。肝心なことは心の目で変わらないものを見ることである。これを静かに観じて、これと一体となれ。これとはすなわち「道」である。


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2018年11月23日 (金)

『老子―もう一つの道』 十五 理想の大人(たいじん)

【口語自由訳】
深さをたたえた真の大人(たいじん)とは、微妙なことすべてに通じている。その人格の深さを知ることはできない。知ることができないものをあえて形容するなら、謙虚で恭しく、物腰は柔らかで人柄は素朴、度量は広くてその果ては見えない。人柄の広大さゆえその底は濁って見えず、静かに落ち着いてしまえばこれを動じさせることもかなわない。うちに「道」を保持しているものは、満つることを望まない。完全・完璧を求めないからこそ、すべてのものを覆い尽くして常に清新でいられる。

 

【解説】
理想の大人(たいじん)とは揚子江のようなものであろうか。悠々と迫らず、泥を掻き上げて濁って底は見えない。大海のごとくに見え、それが流れているとは感じられない。「清らかさ」を追求しないのが老子だ。澄んだ水と濁った水と、多く入れるものはいずれだろうか。内に多くを含んで含んでいったとしても、決して満ちてあふれて壊れることがない。そんな大きな器がこの世の中のどこにあるのか。入れてもこわれない、その大きな器こそが老子の理想の大人(たいじん)。


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2018年11月21日 (水)

『老子―もう一つの道』 十四 とらえどころのないもの

【口語自由訳】
見ようとして見えない、聞こうとして聞こえない、つかまえようとしてつかまえられない。渾然として一つになっている。上方に探っていっても明るすぎることはなく、下方に探っていっても暗くなり過ぎるということはない。はるか永遠に続いていて名づけようがなく、もとをたどっていけば、この世に物がなかった世にたどり着く。形も様もはっきりとせず、初めも終わりも見えない。太古よりあるこの道を体得すれば、現在を自由自在にし、過去とも自在に行き来できる。これが道なるものだ。

 

【解説】
なぜ、老子を訳そうとするのか。言葉に表すことのできないものを言葉で表そうとするのか。老子は短い直観の言葉に「それ」を表し、荘子は寓言の形に「それ」を託す。

 

道を体得するには、今までの認識の方法は捨てよ。それを自分の内面からつかまえよ。忘れるまでに一体となれ。


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2018年11月20日 (火)

老子 ― もう一つの道 十三 わが身を惜しむ

【口語自由訳】

人生にはいい時もあれば、わるい時もある。その一々に反応するのが諸君なのだ。わるい時、ついていないとき、落ち込んでいる時、体が病気になった時、こんな時こそが大事なのだ。その瞬間に向き合えば、いかに自分自身を大切にし、愛すべきかがわかるだろう。

 


身を大切にする、つまり身命を惜しむ人こそが、人のうえに立ち天下を託するに足りる人だ。

 

 

【解説】

この章は政治的な章である。だから政治のこととして考える。

 


愛国的と言われる政治家がいる。お国のために身命を惜しむなと、民を駆り立てる。だが、歴史を繙(ひもと)くまでもなく、こんな政治家に率いられた国と人民には、破滅の道が待っている。

 


自分のことも、相手のことも、大切にできる人こそが、国のリーダーになれるという。これも老子の大いなる逆説である。


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2018年11月18日 (日)

『老子―もう一つの道』 十二 静かに感覚の門を閉じよ

【口語自由訳】
音の洪水、色彩の洪水、美味飽食は人の感覚を鈍らせる。ここにないものをはるかかなたのどこかに追い求めることは、心身を疲れさせるだけである。富を追い求める過度の心が人の行動を狂わす。至高の人は、自分の外部にあるものを追い求めず、自分の内なる声を聞こうとする。

 

【解説】
大きな音に慣れると、小さな微妙な音は聞き分け難くなり、派手な色彩に周りを囲まれていれば、微妙な色遣いの違いに気付かなくなる。味付けの濃いものを食べつけていれば、淡白な微妙な味の差異には鈍感になる。感覚は大きなもの、強いものの刺激に引かれすぐに慣れてしまうが、それは感覚が鈍ったのである。

 


老子は私たちの感覚を守ることを説く。感覚の門を閉じて静かな環境に身を置くことが必要なのではないだろうか。そうすることによって人は自分の内部にあるものを破らずに済む。内面を大事にすれば、今まで聞こえてこなかった声が新たに聞こえてくる。


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2018年11月15日 (木)

外国人労働者受け入れ

いよいよ日本は外国人労働者受け入れ政策へと、公式にかじを切ることになった。実は今までも、隠然と、外国人労働者を受け入れてきたが、知らんぷりをしてきただけだ。

現代の「人身売買」とも称される「実習生制度」などがあり、建前上、彼らは「労働者」でないから、人権や保護に値しないとして見捨てられてきた。しかし、多くの人が外国人が身近に働いていると実感してきているのではないだろうか。外国人労働者は、私たちの社会に確実に増えている。

外国人に接する機会がある私は、この時代の証言として、思ったことをここに書いておくのも価値があることではないかと思う。労働者の隠れ蓑は「実習生」だけでなく「留学生」もだ。

私たち多くの日本人にとっては「海外留学」は夢をかなえるもので、外国の大学で学び、より良いキャリアを切り開くものだ。ノーベル賞を受賞した科学者も、多くが若い時に海外留学を経験している。しかし、ここで言う「留学」は、「出稼ぎ」のことだ。日本で正式に「労働ビザ」が出ないから、「留学生」というビザを取得して、日本で働くのだ。

「実習生」ほどではないのかもしれないが、「留学生」の境遇も大変だ。搾取もあるし、日本語もわからないし、日本での生活を支援してくれる人たちもいない。企業ももちろんしない。企業は、利益を上げることが目的であって、福祉やボランティアで、彼らに接しているわけではないからだ。かくいう私も、彼らの力に十分なってやることもできない。住む場所ひとつとって見ても、外国人お断りのところも多いし、日本独特の「保証人」という制度もある。

今度、公式に「外国人労働者」を受け入れるにあたって、受け入れ企業に日本語教育などの外国人への支援を義務付けるということだが、私は、そんなことやる企業などいないと思う。まず、企業は、労働者を利益を上げるために使うのであって、労働者の福祉を増進するために彼らを雇うのではないから、おのずから彼らに接する態度は決まってくる。

さらには、人手不足で外国人労働者が欲しいのは中小企業だ。中小企業に、労働者支援などやるほどの財政的余裕や人材的余裕があると、制度立案者の人たちは、本当に思っているのだろうか?現場のことを知らなすぎるのではと思う。

国連難民高等弁務官フィリッポ・グランディ氏のコメントが配信され11月14日付の『河北新報』で読むことができた。彼のコメントを引用する。「外国人が増大する状況に付け込み、不安をあおる政治家は欧米にもいる。だが、国境を閉じたり、壁を作ったりするのは法的にも道義的にも間違っている。目先の選挙の票になるかもしれないが、結局は密入国などの犯罪を生むだけで、問題解決には役立たない」

「外国人の増加自体が摩擦の要因ではない。彼らが社会に溶け込めず、隅に追いやられ、排除されたと感じるときに問題が生じる。職業や語学訓練を通じ、社会の一員として定着すれば、日本の発展にも寄与できる」


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2018年11月14日 (水)

『老子』―もう一つの道  十一 違った発想をしてみよ

【口語自由訳】
器を手に取ってみる。器の、水を入れたり料理を盛ったりすべき、そのなにもない空間こそが器を器として有用ならしめているものである。形のあるものは、私たちは直接手に取って利用することができるが、しかし、その働きを生み出した根源のものは「無」なのである。

 

【解説】
「有」と「無」があれば、私たちには「有」はたやすく理解できるが「無」を捉えることはむずかしい。私たちは目に見えるもののみを追い、目に見えるものだけを信じがちであるが、実は目に見えないものこそが重要なのである。私たちの認識に映ってこない欠落の部分の「無」こそが、この世の存在のすべてを成り立たせているとしたら、私たちがこれまで後生大事としてきたこの世の常識、しがらみとは、一体何であろう。


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2018年11月13日 (火)

『老子』もう一つの道 十 力を抜いて赤児のごとくなれ

【口語自由訳】
精神を内に抱いて統一して離れることがない。気を専一に、かつ柔らかくして、赤児のようである。迷いから離れて欠点が見えない。民を愛し、国は治まっているが、誰の仕業で何のおかげであるかはわからない。天地創造の始まりでは女性的原理となり、すべてを生み出した。世界の隅々にまで行き渡っていながらも、積極的に作用を働きかけることもない。万物を養い育てても、それを自分のものだと主張せず、自分の働きを大したものだとも思わない。この世の生成の初めにあったが、この世の働きを支配しない。これが目に見えない微妙な徳である。

 

【解説】
言葉で説明することができないものを、説明するむずかしさがここにはある。赤ん坊は案外怪我をしにくい。とっさ危急の時に、構えず体が小さく丸く柔らかいからである。

 


宇宙を成り立たせているものは何であろう。私たちの存在、地球や宇宙にありとあらゆる存在は、そのものに由来することは明らかであるが、そのものは何も語らない。そのものを、私たちがふつう認識するように認識することは不可能である。なぜなら私たちの認識というのは、私たちの存在と対立する外部のものが存在して初めてそこに成り立つような種類の認識だからである。

 


そのものを認識するためには、そのものと全く同一の認識に溶け込む必要がある。そのためには、そのものの働きをまねることだ。自己に対する矜持を捨て、自己の内部意識を柔らかく専一に保つ。


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2018年11月10日 (土)

老子『もう一つの道』  九 満つれば欠けるならひ

【口語自由訳】
いっぱいに満ちた器をいつまでも手に持っていることは難しい。そんなことはやめたほうがいい。いくら刀を研いで鋭くしても必ずにぶる。富をいつまでも手元に置いておくことはできないし、高い地位もいつまでも保つことはできない。物事を成し遂げ終わったら静かに身を引くことだ。

 


【解説】
老子の処世術。世間智。世俗智。このように生きよということ。

 

人間はとかく完全を追い求める。もちろんそのような生も美しい。だが、完全の一歩手前で止めて、不十分な個所を一箇所残しておきたまえ。そこからこそ、無限の展開が望めるのだ。

 

永遠に絶えず続くもの、それは老子では流れる水のイメージである。常にやまず、常に流れていれば、古びることはないということ。


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2018年11月 9日 (金)

『老子』-もう一つの道 八 水

【口語自由訳】
理想は水のようなものであろう。水はすべての存在を生かし、すべての存在にとって役に立つ。水は他とは争わない。そして、人がさげすむような低い所にいても、自足している。だから水は「道」に近い。水は庶民と同じで、存在の混沌にいる。水の心は深々とした淵。水は良き人と常に伴にいて、その言動は善である。世事・実務でも能力を発揮し、時節を見極め、適切に動く。でも、水は争わない。だから罪せられることもない。

 

【解説】
水。世界を経巡る水の存在に老子は注目し、水の動きが「道」の働きと似ていることを喝破する。

 


争わない、柔軟である、しかし、遍在し、そのいくところ常にある。水の心は明鏡のごとく澄み、しかし、汚れもいとわず、宇宙とともにいく。


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2018年11月 7日 (水)

『老子―もう一つの道』 七 無私

【口語自由訳】
天地は永遠に存在する。天地がなぜ永遠に存在するのかといえば、天地は自ら求めないからである。理想の人である聖人も、天地にならひ、自らを消し、ひとびとの間で永遠の命を持って生き続ける。「私(わたくし)」がないからこそ すべてのことを成し遂げられるのではないか。

 


【解説】
ここでは老子の一種の処世術が述べられている。

この世で、事業を成就したくば、私心を捨て、そうしたいと思う欲望を捨てることだ。
無私であることで多くのことが成就できる。

 

私心を持って求めれば求めるほど、欲望の対象は手に入らず、ますます遠ざかる。

 

ここにも老子の好む「逆説の論理」が見られる。

 

多くの世の常識人は老子の言説を信じないだろう。その逆説で常識や彼らの観念が揺さぶられるから。


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2018年11月 1日 (木)

知らずしてわれも撃ちしや

歌人の永田 和宏氏が今上天皇の御製を解説してくれている。私の場合、『河北新報』に配信されている新聞記事を読んでいる。永田氏の意図のひとつは、今上天皇の御製を通じて平成という時代を振り返ろうとしていることであろう。

 

10月16日付の記事は美智子妃の「知らずしてわれも撃ちしや春闌(た)くるバーミアンの野にみ仏在(ま)さず」という御製の解説だ。

 

この歌の背景を簡単に要約する。バーミアンの石窟仏教遺跡はアフガニスタンにある。偶像崇拝を否定するイスラム教徒により顔をそがれた大仏像が残っていた。昭和46年皇太子・皇太子妃はアフガニスタンを訪問しこの顔のそがれた仏様を見て、歌を残されている。

 

そしてそれから30年後の平成13年に、タリバンによる大仏の爆破は私自身も記憶している、世界中に衝撃を与えた事件であった。

 

表出の美智子妃の歌は、この事件直後に読まれたものと思われるという。

 

永田氏のこの歌の解釈が大変優れていて、私は教えられること大であった。

 

「タリバンを批判することはたやすい。しかし、一方で自分たちはアフガニスタンの民のために何をしてきたのだろう。子どもを含め飢えに苦しみ命を落とした大勢の人々がいるが、世界はそれらに対して十分な援助をしてきたと言えない。仏像破壊に世界は騒いでいるが、その破壊に手を貸したのは、一人一人の「無関心」ではあるまいか、と美智子皇后はこの歌で自問されたのではないか」

 

 

政府主催の明治150年記念式典に出席しなかったのは、天皇ご夫妻と共産党の志位委員長だったというのは、この時代の象徴的な出来事だと思う。靖国神社の宮司もくしくも今上天皇を批判して、「天皇が慰霊の旅を続ければ続けるほど、靖国はダメになるんだよ」といったのは本当に的を射ていると思う。

 

 

戦争で亡くなった人たちというのは、アジアで日本軍の犠牲になった人、そして沖縄で日米両軍の犠牲になった人も含めて、こういう人たちが「お国のために犠牲になった人たち」だ。無謀な作戦を命じて、部下や民間人を死に追いやった人ではあるまい。「寄り添う」ことを考えている今上陛下と、安倍さんや自民党政治のやり方は、まったく正反対のところにいると思う。安倍さんや菅さんが押し進める強権を押し付ける政治に反対の声を上げ続けなければいけないと思う。

 


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