老子「もう一つの道」 三 聖人の治
【口語自由訳】
自分こそが一番頭がいいなんて思うな。そう思うから、人より抜きんでようと争いが生じる。みんなが欲しいと思っているものを、欲しいと思うな。欲しいと思うから盗んででも手に入れたいと思うのだ。見たい、見たいとみんなが争っているものを、見たいと思うな。見たいと思うから、心が乱れるのである。心が発動するのを押しとどめ、虚心のままでいる。そして、きちんとしたものを食べて体を動かせば、おのずと身の回りは治まる。
【解説】
「治」という言葉を政治、つまり人民の支配の方法とだけとらえることもない。『老子』という書物は確かに一面、政治的ではあるが、「治」を、わたしたち自身の心身の治め方と、とってもいいわけだ。
人間を動かすものは、物に対する欲望であるわけだが、もし欲望するものが手に入らないとしたら、そこには欲望を遂げられない苦しみが存するだけではない。欲望の対象を手に入れられない惨めな自分を経験する哀れな自分という、二重の苦悩が生じるのである。だから、賢くなろうとするな、欲望を遂げようとするな、外へと行くな、上を目指すなというのが、老子の「治」なのである。
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