『老子―もう一つの道』 四 正しいことでも大きな声で主張すべきでない
【口語自由訳】
逆説の多用により真実にたどりつこうとする方法が老子には特徴的である。恐らく老子がおそれたのは、私たちの常識であり、常識の思考の範囲から抜け出せない私たちを揺さぶるため、逆説的言辞を多用したのである。
「道」とは虚ろなものでありながら、汲めども尽きない中身の充実がある。「道」は深い淵のようであり、この世のすべてのものが寄り添い、それによって立つものである。「道」は才気走ったところが見えず、穏やかで、自分の優れたところを露わにせず、万物の地上での歩みに合わせ、自らもこの地上の生を歩む。深々たる水に似て、常にこの世に存在する。「道」が何から生まれたのであろうかなどという詮索は止めたほうがいい。すべての存在に先立って存在したのだから。
【解説】
逆説の多用により真実にたどりつこうとする方法が老子には特徴的である。恐らく老子がおそれたのは、私たちの常識であり、常識の思考の範囲から抜け出せない私たちを揺さぶるため、逆説的言辞を多用したのである。
「道」とは、中身のないものでありながら、とてつもない充実がその中にある。そのようなものを科学的に立証することは、困難であろう。そのような存在は、全宇宙を貫いて流れる生命現象の中にこそ見出される。それをつかむのは直観である。
またここでは正しいことでも大きな声で主張すべきではないという謙抑の精神が見られる。真実に対する老子の姿勢を私たちは見る。
正義は小さい声でこそ行うのが良かろう。本当の正義であればなおさらである。
| 固定リンク
コメント