UA-92533382-1 『老子』口語自由訳及び自由解釈への序: よつば農場便り

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2018年10月 4日 (木)

『老子』口語自由訳及び自由解釈への序

東洋の智慧の宝庫である先人たちの思想は、すでに学者の労作で精緻な字句解釈・逐語訳が世に流布しており、私たちはそこから大いなる益を受けている。学恩とも言うべきである。

古代の哲人がどのようにものを考えていたのか、それを後世にありのままに伝えるのは大事なことで、それでこそ現代人はいにしえの思想家たちとつながっていける。

 


しかしながら、専門家でない私たちが古の智慧を生かす道はどうあるべきであろうか。もちろん、古え人がどのようにものを考えていたのか正確に知ることが前提になる。今を生きる私たちの常識を当てはめて彼らを推し測ることをしてはいけなかろう。しかし、「死者のことは死者に任せよ」との言葉もある通り、昔の遺物をやたらありがたがることは、結局、それらをカビくさい祭壇に祭り上げ、命なき干からびたものにしてしまうだけである。

 


古の智慧を生かすには、今生きている私たちが、その智慧を今、内側から生き抜いてみることではなかろうか。私たちは古の智慧から生きる力をもらい、私たちが今生きている力は古の智慧に光を与える。常に智慧は命を吹き込まれ新しくされなければ、やせて枯れ細ってしまう。

 

私がここに、字句解釈や逐語訳にこだわらず、話の精髄を咀嚼した口語自由訳を世の人々の眼に触れる形でおいたのは、現代の私たちの命で古の智慧を輝かそうとし、そして古の智慧により現代の私たちが豊かな生を達成しようとの試みである。例えばキリスト教などを見るに一つの古いテキストを時代や地域に合わせて様々に改変・翻訳・翻案するなどして、常に命を吹き込もうとしている。そのような試みは東洋思想を体現すべきわれわれも見ならうべきであろう。ともすれば、伝統の智慧が失われ断絶しがちな今日の日本で、今日のアジアで、私たちの祖師たちが何を思い何を考えどう行動してきたのか、それを伝え、それを私たちのものにし、それを内面から生きることが今日特に必要なのではないかと考え、ここに現代に生きるわれわれが納得でき、そしてそれを生きることのできる自由な解釈を試みるものである。


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