UA-92533382-1 新潮45の休刊を考える: よつば農場便り

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2018年9月27日 (木)

新潮45の休刊を考える

杉田議員の投稿をきっかけに新潮45が休刊するということになったとの報を聞いて、残念に思うことがある。1つはこれが、左翼の言論弾圧ということで、左翼やリベラルを憎悪し、杉田さんたちを支援したり共感する多くの人たちを勢いづけてしまうことだ。

 

もう一つは、議論したり考えを深めたりする場や機会そのものが失われたのではないかということだ。杉田さんのような人は、考えを改めもしないだろうし、インターネットがあるので発言の機会そのものはあるのだろうが、杉田さんや氏に共感する人々の思想があって発表されるからこそ、それを乗り越えようとして、そのどこが違っていて、事実誤認があったりという指摘ができたり、それをきっかけに考えを深めていけたりできると、私は思うのだ。

 

私自身の思想や信条の自由が保障されていてほしいように、杉田さんでも安倍首相個人でも、自由に考え、基本的にはどんな思想でも持っていて良いと私は考える。問題は、若い人たちや態度保留の人たちそしてこれからこの社会にやってくる人たちに、どの思想が受け入れられていくかということだ。思想や主義・信条の問題は決して小さくはないと思う。社会全体の雰囲気や住みやすさそのものを決定する。少数者や異質なものを排除する思想が力を得れば、そのまま社会もそういう社会になる。

 

思想も政治も人気投票だから、暴力的でない手段で、支持者を多く獲得していき、その結果多数者が社会の雰囲気を決める。押し付けられる思想でなく、その人が選び取り勝ち取った思想こそが、行動のもととなるという点から言うと、すべての思想に発表の機会があり、それを基に議論が出来て、支持者を獲得していく思想というのが、健全な社会には必要かと思う。


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