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2018年6月 6日 (水)

千年希望の丘

東日本大震災の津波が宮城県の沿岸部を襲った。その復興や自然災害に向かい合う姿勢に差がある。5月に京都から知り合いが宮城県を訪れたことを機に、岩沼市の「千年希望の丘」に行って見た。ここは、もともと防潮林の見事な松林が植わっていた。巨大津波は、松林を押し流してしまった。しかし、松林があることで、波の勢いが弱まったことは確かで、これは昔からの人々の知恵だ。

この岩沼市の沿岸部には、雑木林を植え直して将来必ず再びやってくる災害を弱めようとしている。植林された雑木はまだまだ小さいが、20年、30年後には立派な林になるだろう。そして、津波の勢いを弱めてくれるだろう。ここには、自然災害を完全に払いのけるという発想はない。そもそも人間には、自然の動きを完全に封じ込める力はないのだ。自然と共生して生きていくという発想だ。

一方、宮城県知事の強い指導力のもとで、宮城県北部には、コンクリートの巨大防潮堤が建設されている。防潮堤の高さをどうするかというのは、地元の住民にとってはとても大事な問題だ。地元の人は海とともに暮らしてきた。その海が防潮堤にさえぎられて見えないのだ。さえぎられて海が見えなければ、再び巨大地震が来た時、海の様子を見て高台に逃げるという行動もとれないのだ。だから、防潮堤に対して反対運動も起き、県と地元住民の間で高さについてどうするか話し合いがもたれて、高さが決まったところがある。

ところが、その話し合いは全くなかったのも同然、防潮堤は初めから県の予定した通りの高さ(=知事を支援するゼネコン業界が最大の利益が得られる高さ)に建設されてしまった。県は、工事のミスだと認めているが、高さはこのままでいくと地元に押し付けている。ここに見られる発想は、災害は人間が封じ込めることができるという人間中心の傲慢な考え方だ。そして、政権党が支配しているこの国の「民主主義」の在り方だ。この国の政権党が主導している民主主義は、話しあいの積み重ねという民主主義のプロセスを重視するものではないし、人々の気持ちに寄り添うという政治でもない。宮城県の政治が、国全体の政治ととてもよくリンクしている。


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