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2018年4月20日 (金)

雑感―企業は公器だ

(過去の記事の再録です)
1月11日付で朝日新聞で紹介されていた企業は公器だというドラッガーの考えはあらためて新鮮だった。企業は利潤を追求するのが第一の仕事だと,誰もが頭から信じていて口にするが,そもそもそんな前提は誰が言ったことなのだろうか。絶対にくつがえしえない前提なのだろうか。そんなことはない。そもそも企業はそこで働く人々を幸せにし,企業活動を通して地域や社会に豊かさと幸せをもたらすものであるはずである。利潤は企業がそのような活動を持続し人々や社会を幸せにし続けるためのひとつの前提であって,それ自体が目的ではないはずである。もちろん利潤を生み出すのが第一の目的だと言う経済学派の言いぶんもわかる。市場に任せていれば常に最適・最善なものが選択され,無駄は省かれ,利潤が次の革新を生み雇用を増やし,富の絶対量が増えればそのおこぼれは社会の下層にも行き渡る。しかし,これは現象の一面のみをとらえて絶対視するものである。今後,何が淘汰されるのかと言えば,それは人であってはならない。人を人扱いせず,利潤のために非正規雇用者を物のごとく扱う企業である。こうした企業は公器としての役割を果たしていないのだから,公的な場所からは退場すべきだろう。それにしても,すでに,商売の道徳なるものを考えていた江戸時代の大阪商人たちや彼らの文化,かつての日本はすごかったのだと思う。
 
 


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2018年4月15日 (日)

(第5話)オキナワ,ふたたび

(過去の記事の再録です)

 

那覇と名護(なご)の間は,高速道路を使わない普通の路線バスで片道2時間の道のりである。那覇を出ると宜野湾の市中を通り,嘉手納(かでな)基地の延々と続く金網を横目に見ながら北上すると,やがて景色のよい恩納(おんな)村あたりの海岸沿いを,しばらくは走ることになる。このあたり一帯は,国立公園に指定されていて,車窓からは沖縄らしい青い海が眺められ海岸沿いにはいくつもの大型リゾートホテルが立ち並び,本土からの観光客も多数出入りしている。一年前の私たちの旅といえば,ちょうど沖縄サミットの直前で,沖縄全体があわただしく浮き足立っているようだった。特に名護は普天間(ふてんま)の代替基地の問題もあり,ヤマト政府も特別の配慮を厚くして,公共工事用の資金が湯水のごとくつぎ込まれていた。当然,各国の首脳がお通りになるはずの名護に通じるこの国道も,道幅を広げ,立派な遊歩道を整備しなければならなかった。そこで,今を盛りの土木工事の真最中であった。私は,山が削られ,海が埋め立てられるこういう悲しい風景を見るのがつらい。沖縄のような亜熱帯のやせた赤土は,土木工事をして緑の地表を剥ぎ取ってしまえば,いとも簡単に海へ流れていってしまう。名護で出会った元漁師のタクシーの運転手さんが言っていたが,ここらへんの海はだめになったとのことだった。昔はたくさん取れていた魚やタコが,取れなくなったということである。しかし,沖縄の海は表面だけを眺めている限り,本土の人が憧れるとおり,静かな青さをたたえて光っている。リゾートホテルに泊まる観光客は,自室の窓から海を眺めて,「まあ,きれい」と感動して帰ってゆくにちがいない。誰も海の中まで,見ようとしないのだから。私だって,同じことだ。沖縄で生活しているわけでなく何の利害関係も有していない私などが,公共工事にどっぷり漬かって暮らしを立てざるを得なくなっている沖縄の人をとやかく言うことなどできない。沖縄の人々の抱える苦悩を本当の意味でわかることはできない。せめて,物言わず苦しんで滅びゆくものあれば,そのものの抱える悲しみを自分の悲しみとして感じることのできる心を失わないようにするだけのことだ。
 

 海岸線に林立する掘削機と,無数のショベル・カーの横をバスは走りぬけ名護市内にはいる。町の中心部でバスを降り,私たちは本部(もとぶ)半島回りのバスに乗り換える。目指すは,本部(もとぶ)という港だ。ここでフェリーに乗り換え,伊江(いえ)島へ渡る。伊江島の「土の宿」に宿泊するのが私たちの目的だ。「土の宿」葉,脳性まひの障害を持った女性が始めた宿で,その方は,いま宿の近くに自宅を建てられ,宿の実務上の運営からはしりぞかれて,実務は車椅子の青年に引きつがれている。私たちが「土の宿」へ昨年とまることになったきっかけは,この車椅子の青年,喜屋武(きゃん)さんに出会ったことだった。喜屋武(きゃん)さんには,名護にあるまた別の宿で,お互い客人同士として出会った。名護の宿も宿泊者同士が集まって一緒に食事をし交流ができるところで,隣席になった喜屋武(きゃん)さんから,ぜひうちにも泊まりにきて下さいと誘われたのだ。「土の宿」に着くと,私にとっては初めて体験して驚き,そして感心させられることばかりだ。宿は,木造で天井が高く,沖縄らしい赤瓦の一軒家なのだが,車椅子の生活でも不便がないように工夫がいたるところにこらされている。段差や障害のない廊下,広々としたトイレ,車椅子の高さでちょうど使える洗面台や台所の流しなど,ここらへんまでは素人の私でも設計できそうだが,家中の伝統のスイッチや戸のカギも,低いところに設置してあり,こういうことは,実際に車椅子で生活してみた人でないとなかなか気づかないことだ。家内の戸がすべて引き戸になっているのも,車椅子の出入りに不便がないようにとのことに違いなく,街中の普通の建物がいかに体の不自由な人にとっては冷たくできているのかが,かえってよくわかった。車椅子でも不自由なく暮らせる「土の宿」が,いわゆる健常者といわれる人たちにとってもいかに快適かということが,この宿に泊まるたびによくわかる。このことを直感的に感じ,体で素直に喜びを表すのは小さい子供で,我が家のチビちゃんも「土の宿」の板間を気持ちよさそうに走り回っている。


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2018年4月14日 (土)

読書ノート「データ分析の力 因果分析に迫る思考法」伊藤公一朗

光文社新書で出版された伊藤氏の著作を読んだ。きっかけは3点ある。

 
1.以前、宮城県の地元紙し河北新報で伊藤氏が宮城県ゆかりの人だと著作とともに紹介されていたこと。

2.データ分析をしなくてはいけないことに迫られており、データ分析の概要をつかみたかった。この本が、数式を使わない、というところにひかれてしまったが、本当はいつまでも数式から逃げていてはだめだと、自分ではわかっていて、もう少し本格的に勉強しなくてはいけないが、しかし、この本は、その題名通りデータを用いるということの大事な、思考法などがつかめるのでお勧めの本だと思う。

3.福島の核発電事故のことを、もっと自分なりに考えたい。政府や核発電推進の立場の方々は、事故で放出された放射能の影響はないとするが、それが本当に科学的に正しいことなのかということが、私は疑問に思う。この本は、伊藤氏の専門のこともあり社会科学系の統計やデータを扱っているので、直接は理系の物理、医療の統計やデータは扱っていない。

しかし、数字やデータだけ集めても、因果関係を証明するのは難しいという伊藤氏の考えは理解できた。私たちは、やはり数字や数学に弱いので、数字やデータや統計を出されると、それがあたかも原因と結果が証明されているように思ってしまい、それで説得された気になる。もしくは、専門家にそういう数字を出されると、それ以上は考えるなと言われているようで、思考が停止してしまう。そうならないように、これからはごくごく一般の人たちが、読み書き能力=リテラシーを持つべきなのと同じように、統計についてのリテラシーを持つべきで、そういう意味では、一般の人が統計リテラシーを持つための読むべき分かりやすい良書だと思った。

この本を読んでも、福島の核発電事故に関するもやもやは晴れなかったが、人が電気を節約するのに影響を与える要因はどのようなものかの社会実験とそのデータには、興味を持った。個人的には、このようなデータを有効に使ってゆくゆくは核発電に固執する電力会社の電気よりも、違う会社から電気を購入するように、人々を無理なく誘導できる政策作りというような方面にも応用を広げっていく実戦や仕組みができていってほしいと思う。証拠に基づく政策、というものが統計手法を使えばできるし、やるべきだと思う。そこにこそ社会科学という学問の出番があると思うし、やはりこうなれば文系や理系という学問間の区別は、今の時代あまり意味がない。

この本は、政策を証拠に基づいたものにしようという流れを促しているし、その点で参考になる。以前から費用対効果というような考えもあったが、これからは統計分析に基づき、本当に効果がある政策なのかということや、統計から得られた結果から人々の行動をやさしくちょっと政策目標が達成できるように促していくという方向へ変わっていったほうがよいと、納税者の立場からは考える。お友達や同じ思想なので莫大な税金を優先的に投入するという政治から、科学的な証拠に基づく政策ということが考慮されていい。


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2018年4月13日 (金)

英国ロイヤル・オペラ・ハウス『トスカ』 歌に生き、愛に生き

『トスカ』第2幕の「歌に生き、愛に生き」はオペラアリアの傑作として、ラジオから流れることもあり、聞けばたいていの人はああ、あの音楽かとわかる。私は、全幕を見たことがなかったのでかねがね見たいと思っていた。ちょうど、ちょうどメトロポリタン歌劇場のライブビューイングを見逃していたので、今回ロイヤル・オペラ・ハウスの『トスカ』を見れてよかった。
メトロポリタン歌劇場では、演出が現代風となっていたがロイヤル・オペラ・ハウスでは設定どおり1800年代のイタリア・ローマなので、初めて見る『トスカ』なら、牢やル・オペラ・ハウス演出が良かったのかもしれない。しかし、演出家の工夫や演出もオペラを見る楽しみの一つ。いつか現代を舞台にした『トスカ』も見てみたい。

しかし、プッチーニの音楽は本当に聞いていて幸せ。すべて、時間的にも空間的にも甘美な音楽で満たされている。日本文化なら、間や空白を大事にするが、ヨーロッパはそういう空白を恐れるのだろうか。ゴシック建築のように、すべてを装飾や文様や彫刻で埋め尽くさないと気が済まないのだろうか。でも、プッチーニの音楽ならそれは心地良い。

一幕最後の悪役スコーピオが、テ・デウムに合わせて,己の欲望の成就を語るのはすごい場面だと思った。音楽も圧倒的だが、聖と俗との対比というか、聖も俗も同じなのだということなのかもしれない。フローリア・トスカ役はアドリエンヌ・ピアチェンカ。表情が良かった。

映画館向けの配信では、ライブの合間に、インタビューなどが見れるのがお得である。ピアチェンカがインタビューに答えて、トスカは永遠の作品であると言っていたが、それは第2幕でトスカがスコーピオに乱暴されそうになり、そのような女性の被害は今も絶えないからという趣旨の話をしていた。首相のお友達ということで、女性への乱暴の捜査から免れたとインターネット上で噂されている人もいたなと思いだす。

オペラの女性登場人物の中にプッチーニの実生活がどれくらい反映されているのか、専門家へのインタビューもあった。見えを張り字幕を見ないで理解しようとしたが、イギリス英語は手ごわく、ほとんど聞き取れなかったことが残念。イギリス英語のリスニングが今後の課題だろうか。


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2018年4月12日 (木)

旅する葦―(第4話)オキナワ,ふたたび

(過去の記事の再録です)

那覇から始まったわたしたちの旅は名護方面へと道を北上する。名護バスターミナルから,本部半島方面への交通機関へと乗り換えたいと考えているのだ。その途中で宜野湾にある小さなカレー屋さんに立ち寄る。その店は私たちのちょっとした知り合いによって営まれていて,食べる楽しみとともに,人に会うことがまたこの旅の楽しみの一つでもある。その「パッタル・ナディ」という名のカレー屋を開いている人々は,正確には私たちの知り合いのいとこに当たる人たちであり,その知り合いからぜひ立ち寄ってみるようにと紹介されていたのである。昨年沖縄を訪れたときは,最寄りだと言われたバス停で降りても,すぐには場所が分からず,雨降りの中をベビーカーを押して,人に道を聞き,行きつ戻りつしてようやく,建物1階のひと間を占めるしゃれたかんじのそのカレー屋の門前にたどり着いた。開店まぎわの店にはいり話をすると向こうもすぐに分かってくれた。知りあいの人が連絡してくれていたのだ。店は兄妹によって営まれている。二人とも本土の出身だが,兄さんが沖縄の大学に進学し,そのまま沖縄で本格インドカレーの店を開き,妹さんがケーキやデザート部門の担当として協力している。店を構えてまだほんのわずかの月日しかたっていない。継続して事業を営んでいくことの困難さは傍で見ていても推測できる。私たちなどに,たいした協力などできるものではないが,せめて来沖の際には店に足を運び,売り上げにわずかな貢献をすることだ。本格的な香辛料を入れ仕込みに時間をかけた兄さんが作ったカレーと,妹さんが作ったかわいらしいデザートをいただく。スパイスのきいたカレーを食べた後に甘いデザートは組み合わせもよい。二人の協力で店がさらに発展して欲しい。そう祈って,私たちは旅を続けるために,仲のよい兄妹と別れる。
 

 そして,1年の後ふたたび沖縄。二度目に兄弟のカレー屋をおとずれるときは,見知った場所へいくのだから,どのバスに乗るのかも,どこのバス停で降りるのかも,そして,バス停で降りてどちらのほうへ歩いていくのかも,すべて物知り顔に,私たちは,旅行バッグを背負いながら歩いていた。1年前と道端の建物の様子などは変わらない。しかし,あの兄妹の店はどうなっただろうか。商売は好不調もある。とにかく続けることだけでもたいへんなことだ。若い二人もきっと楽しみの中に苦労を重ねているにちがいない。店の場所に近づくにつれて,とにかく二人が元気でかわらずにやってくれていたらと,私は考えていた。ついてみると,昨年と変わらずしゃれた店先に営業中の札がかかっている。喜んで店内に入りランチを注文する。注文をとりにきてくれたのは,昨年はいなかった人で,どうやらアルバイトを雇うくらい店は順調に客足も増えているらしい。そのうちに奥の調理場のほうから妹さんの声が聞こえてきて,本人がカウンターのところへ現れた。私たちがあいさつをするとすぐにむこうも思いだしてくれて,この再訪をたいへん喜んでくれた。わたしたちのことは,子連れの旅人だったことが印象に残っていたみたいで,1年前はまだ赤ちゃんだった子供が,大きくなったと言って驚いていた。子連れのたびは制限されることも多く苦労もするが,子供を通してきっかけや人との交流も生まれ,旅を一味違った豊かなものにしてくれる。開店まぎわで,ランチの時間としては少し早めだったので,他のお客さんが少ない間,妹さんはあれからのことを話してくれた。このしゃれた店は,流行に敏感な地元の雑誌に取り上げられることもあって,客を増やすことができたという。いっしょに働いていた兄さんは,もともと離島での教育に興味があって沖縄に来たという経緯もあり,この春から臨時の教職に採用されて店を離れるとのことだが,まったくやめてしまうのではなく,協力できる範囲で仕込みなどを手伝うということである。店は,今後しばらくは妹さんが中心に切り盛りすることになるが,そのためにいま本土の友人が手伝いに来てくれているとのことだ。それが私たちの注文をとってくれた人で,カウンターやホールを担当しているらしい。明日から店を少しの間閉めて体制を新しくするので,今日来てくれて本当によかったと言っていた。ランチを出してくれた後で,「ゆっくり食べてください」と言って,妹さんはまた奥の調理場へ行ってしまったが,奥から電話で,私たちにこの店を紹介してくれた本土のいとこに電話をかけているのが聞こえてきた。「沖縄に来てまた寄ってくれたんだよ」と嬉しそうに話している声が私たちにも聞こえてきた。
 


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2018年4月10日 (火)

(第3話)オキナワ,ふたたび

(過去の記事の再録です)

ところで,国内旅行の安宿といえば,ながらくユースホステルがその地位を磐石のものとしてきたのだが,最近は各地にその地位を脅かすものができはじめている。以前のユースホステルは,青少年の教育運動のひとつとして始まったという経緯があり,宿泊者どうしの交流やミーティングを宿側で主催し,半ば強制的に宿泊者(ホステラー)をそれらに参加させていたことがある。時代の風潮,若者気質の変化で,ユースホステルのそういった側面は次第に疎まれるようになった。客足が遠のくのを恐れたユース側は,食事,部屋,風呂などを豪華にしてゆき徐々に一般の旅館やホテルとの明確な区別を失いつつあった。そんなときに,多くの日本人が海外旅行をするようになり,その中でも格安航空券などを利用して海外を放浪してきた旅人が,国内に持ち込んだ宿泊施設が,いわゆるゲストハウスと呼ばれる安宿だ。ゲストハウスは基本的に簡易な宿泊施設で,素泊まり,ドミトリーといわれる相部屋形式が多い。旅人どうしが交流できるサロンやキッチンがあり,雑然とはしているものの,旅の途中の心安らぐ場所でもある。那覇にもついにそんなゲストハウス風の宿が,市場通りや浮島通りの裏手のほうにポツリポツリと現れ始めたのだ。

 

 今年の旅では,那覇を発ち仙台へ帰る最後の晩に,月光荘(ムーンライトゲストハウス)へ宿泊した。お世辞にもきれいとはいえない散らかった雰囲気はアジアのゲストハウスそのものだった。洗濯物が干してあったり,ところかまわず物が置かれていたりする客間には,すでに先客の若者たちが居心地良さそうにしている。話を聞くと,旅行で来ている人たちのほかに,沖縄への移住も考え,アルバイトをしながらここで生活している人たちもいるとのことだ。ユースホステルの客層とはまた違った人種,客層が,このゲストハウスには来ているようだ。ユースホステルでは宿主夫妻のことを一般にペアレントと呼び,宿泊客は門限や共同生活のルールを守らなくてはならず,いわば監視されている良家の子女のようなものだ。ところがこのゲストハウスでは,誰が宿を管理する側の人間で,誰が宿泊客であるか判然とせず,宿泊客は自由を謳歌している放任家庭の子供たちのようなものである。実際,海外旅行帰りで,麻薬などを持ち込んでいる若者もいるらしい。ここはまるでバンコクのゲストハウスだ,というのがわたしの印象だ。そうなると那覇随一の繁華街国際通りは,バンコクのカオサン通りで,カオサン通りには世界中から集まってくるバックパッカーを受け入れる何百というゲストハウスがひしめき合っていて,露天商がでたり,夜遅くまで旅人たちが飲んだり騒いだりしていたものだが,那覇のこのあたりも,あと何十年かすると,バンコクに負けないくらいのにぎわいを見せることになるのだろうか。物価も本土に比べると割安のことが多いし,何しろ,ヤマトの窮屈な体制になじめなかったり,いや気がさした人たちが,どうやら沖縄や,その先のアジアを目指しここへはやってくるらしい。にぎやかな若者たちの騒ぎにはついていけず,このゲストハウスに泊まった夜わたしは,子供と一緒に早々に床についたが,連れはアジアの旅を思い出しうれしかったのか,若者たちといっしょに夜の街に繰り出していった。

 


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