UA-92533382-1 悲しい風景―風景が持つ価値: よつば農場便り

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2017年10月21日 (土)

悲しい風景―風景が持つ価値

今日、選挙の期日前投票に行って驚いた。300メートルくらの長蛇の列ができていた。仙台駅前の便利な場所ではあるが、ばかにエレベーターに乗って同じところに向かう人が多いなと思っていたら、みな投票所に向かっていたのだ。もしかしたら、久しぶりに投票率が上がるのだろうか?これはどんな意味があるのだろうか?政権党に動員された業界団体の人なのだろうか?それとも、宗教団体の動員か?安倍さんと自民が勝利するとぼくは思ってはいるが、おかしい安倍さんや自民党と声を上げ続けることが大事で、それがきっとわたしたちの敗北の後でいい形でつながってくるのだと思う。

 

 
(以下は、昔の記事の再録です)
その昔,宮城県大郷町の,農産物生産者と交流する機会を持つことができたことがある。大郷町は,仙台市の北隣に位置し,町名ぐらいは知っているものの,実際に立ち寄ってみたこと事が,それまでなかった。著名な観光地や史跡があるわけでもなく,多くの人にとっては,わざわざ目的地として足を向ける場所ではないというのが本音のところだろう。私も,仙台からは,どれくらいの時間でつけるものやら見当もつかなかったが,車を走らせること3,40分で,豊かな田園地帯の風景が広がり始めたことに,これまでこんなすばらしい場所を訪れる機会のなかった不運を悔いた。自然のままの景観を人工的に作り変えることにあまりに熱心な仙台市から,目と鼻の先ほどの距離に,緑豊かな山々に囲まれた田園都市の往時の景観が心ある人々の努力おかげで,存在していることは奇跡のようにありがたかった。

 

生産者の田で稲刈りをすることで交流を図ったのだが,その圃場の回りの環境もすばらしかった。道路からさらにわき道を登って入っていくような地形になっているので,大型店の出店のような開発がなかなか及ばないようになっている。細い道路はふだん地元の人しか通らないようなところで,行きかう車の姿も音もない。圃場の左右を囲むのは,鬱蒼と茂る見事な雑木林で,まさに貴重な里山の景観であった。

 

この里山が多くの動植物をはぐくみ,田に水や養分をそそいでくれ,われわれに命を恵んでくれているのである。地元の生産者の方に聞くと,見える範囲のあちらこちらの山林は全部この方の家の所有にかかるとの事である。このような数少ない貴重な里山は,個人的な努力によって保持されているのである。ところが逆に言えば,貴重な地球環境が,個人の意志や善意にかかって守られているとは,なんと脆弱なことであろう。

 

この地元の生産者の方は,生協の組合員と交流し,無農薬米作りも実践されて,相当意識の高い方だから,貴重な雑木林を,ゴルフ場やリゾート開発や大規模商業施設に売ったりすることはないだろうが,全国各地では里山がどんどん消えていくのは,里山を所有していても何も経済的利得を生まないからであり,公共工事や開発業者相手に売却すれば,一時的にせよ,それなりの金銭を手中にできるからである。

 

この国には,雑木林や里山のような貴重な空間をただ所有し,ただ保全していることに対する経済的利得が何も保障されていない。もちろん,多くの人が里山の,経済的な価値に換算できない価値に気がついて,関心を里山に寄せるということも大事だろう。だが,そのような精神論も,里山所有に対する固定資産税や相続税の減免,里山売却に対する重加算税的な措置といった経済的な手法により強化されて,持続され実行されていくのである。

 

日本中どこもかしこも,大型商業施設や大型宅地開発といった似たり寄ったりの風景を見る必然性は少しもないのだ。

 
(再録はここまで)

 


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