UA-92533382-1 ソクラテスが用いた対話という手段(ソクラテス・メソッド): よつば農場便り

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2017年9月28日 (木)

ソクラテスが用いた対話という手段(ソクラテス・メソッド)

ソクラテスを読んだのはもう35年近く前だ。正確には、ソクラテスは著作を残していないので、弟子のプラトンがソクラテスを主人公として書いた対話編を岩波文庫で読んだのだが。昔のことなので細かいところは覚えていないが、ソクラテスの対話によって生み出される、偉大な思考過程や成果のその本質的なことは、私の頭や心にしみついて、何かおりがあるたびに、やはりソクラテスってすごい、すごかったのだということを思い至らせてくれる。偉大な作品や思考とは、そういうものだと思う。もしかしたら、残された時間は少ないのかもしれないので、いい本だけを読みたいとつくづく思う。

さて、その対話法は教育の分野でも、そしてあらゆる分野でも、職場でも参考にできる、そして実践するとよい素晴らしい方法だと思う。ソクラテスの対話の特徴は、一方的にこちらの知識を伝えるのでなく、自分も相手も実は何が問題だかよくわかっていないというところから始まり、前提として当たり前だと思っていることが本当に合っているのか二人で検討していくことから始まる。ソクラテスがこの方法を「産婆術」と呼んでいるように、最後に何が生まれるかは、その途中経過にかかっているが、善意の人たちが真摯に対話していけば、よきものが生まれるのだ。

この方法は、彼の「無知の知」、つまり「本当は何もわかっちゃいないのさ」という彼の謙虚さから来ている。だから、対話の相手を下に見ることはせず、二人で真実の高みを目指す。その過程で、対話の相手は、自分自身のことや、なにがわかっていて何がわかっていない事なのかに気付き目覚めていく。この気づきこそが相手の可能性を引き出す、素晴らしい効果のある教育方法でもあると私が考えるところだ。

教育関連の仕事をしていて、「質問を受ける」という形で生徒と対話をすることがある。ソクレタスのことを書いておきながら、なかなか彼の「対話」のように生徒を気づかせ伸ばしてやることができていない。生徒の頑固な思考の癖があるのはわかるが、それがあると伸びないということはわかるのだが、それを柔らかく解きほぐしてやることがなかなかできない。だが、先日、少しソクラテス・メソッドが実践できたのかなという場面があったので、記しておく。

辞書にこういう表現があったのでという質問にきた生徒がいた。
be associated with deat「死と関連する」
だが、辞書をさらに引いたら形容詞のassociatedもあったからとか何とか言って、聞きたいことは何なのか要領を得ない。自分が質問したいことが何なのか、それが本人にもわからない。これはよくあることで、「もう一度、どこまでわかって、どこからわからなくなったのか、よく考えてごらん」といったん生徒を返してしまうというのも一つの方法だが、ソクラテスだったら待ってましたとばかり、こういう生徒を離さないだろう。こちらから質問して、なにがわかって何がわからないかを明らかにして、二人で新しい段階に進むだろう。

こちらからいろいろ角度を変えて質問していくと、どうやら最初の辞書の例文はassociateという動詞がもとになっているということ、そしてassociateという動詞はassociate A with B「AをBと結びつける」という語法を持っているということまではわかっているということはわかった。そこで、『君が「死」と結びつけて連想することは何?』と質問した。本当は「黒い服=喪服」とか答えてほしかったが、「病気」と答えたので、「じゃあ、病気を死に結びつける、という例文を作ってごらん」と言って、associate sickness with deathという文を作った。そしてその文の主語を「私」として、I associate sickness with death.という文を作り、ここまでは本人も納得した。

そして次に、「じゃあ、その文を受身文にしてごらん」というと、しばらく考えて、I am associatedまで書いて、立ち止まった。そしてしばらくすると「わかりました」と言って、晴れ晴れとした表情になった。日本語には「私は雨に降られた」とか「私は親に死なれた」という受身文があるので、多くの英語学習者が、こういうタイプの人を主語にする受身文でつまずくのだ。 I associate sickness with death.の正しい受身文を考えているうちに、最初の辞書の例文の成り立ちに思い至り、自分がこの例文に抱いていた違和感=もやもや感=質問したかったこと、が消えたのだ。私は、ソクラテスのように「産婆」の役目を果たせただろうか。そしてこの生徒は、学習において一つ上の段階に進めただろうか。そうあってほしいと願う。

ソクラテスの「対話法」は教育や心理学のカウンセリングなどには特に有効だろうが、職場でも、政治の場でも、すべての場で実践してみる価値があると思う。日本の場合、支配政党の自民党と、その国民的リーダーである人が「対話」を拒否しているのは、私の意見としては残念なことだと思う。私は、そういう残念な日本の状況を少しでも草の根から変えるためにもソクラテスの「対話」のすばらしさを伝えていきたいし、近々ある選挙では、対話を拒否する政党や政治家に、投票しないようにと呼びかけたいと思う。


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