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2017年8月 7日 (月)

相模原殺傷事件を考える

2016年に起きた相模原の障害者施設殺傷事件。実行者の元施設職員は「重度障害者は生きていてもしょうがない」と主張している。彼のこうした主張にどう反論すべきだろうか。彼の主張は現在の社会の在り方が多いにかかわっているような気がするし、ネット上では事実彼の支持者も多いと聞く。それを考えるヒントが新聞記事にあった。以下は、困窮者支援団体理事の大西連氏のインタビューをまとめたもの。(参考:『河北新報』2017.7.29)

 

・生きるのが困難な人に「生きなくていい」と言い放つ感覚は、ホームレスを襲う少年と似ている。誰もが生きていい、すべての命に意味があるとする近代社会の大前提が覆された。

 

・大西氏は困窮者の支援団体の活動を通じ、「ただ生きること」が肯定されにくい世相を痛感し、その背景を考察して「過酷な競争社会で生活が揺らぎ、将来に希望を見いだせない人が増えている。労働市場で「活躍」して社会の生産性に寄与する人間でないと、生きる価値がないとみなされている」と現在の社会の在り方に批判的な見方をする。

 

・そのような社会の在り方を象徴する事例として、「行政の財政難の理由に福祉が切り詰められ「救われない人」が続出しても「しょうがない」で済まされてしまう。人権を掲げて社会を変えようとすれば「自助努力が足りない」と非難される」と挙げている。

 

・この相模原殺傷事件が、「生活保護にしても奨学金にしても、制度からこぼれ落ちた人の生をどう支えるかが問われているその時に起こった」ということに重大な意味があると、大西氏は言う。

 

・背景に人々の視野が狭まっているという問題を挙げる。「日本の貧困率は16%だから、向こう3件両隣に貧困世帯があってもおかしくないし、近所のコンビニの客の中にも、生活保護や児童扶養手当の受給者がいる。精神疾患や障害のある人もすぐ隣にいるのに、気づいている人が少なく、特殊な人の遠い問題だと思い込んでいる」

 

・こういう狭い視野の社会状況生んでいる背景として「価値観の近い人が寄り集まり、内輪ネタですべてを語るような社会状況」と氏は説明する。核家族化が少子化でさらに縮小し、夫婦や親子が同じ考え方をするようになり、学校や職場も所得水準による「すみわけ」が進み、SNS(会員制交流場)の普及により、興味や関心の近い人が結びつく傾向が強く、自分との異質な他者が消えてしまった。

 

・今の社会の危うさを氏はこう指摘する。「社会という枠組みの中で支え、支えられている他者を見ない生き方は、何かの事情で「内輪」から逸脱した時は危うい。別の生き方を選びなおすことができず、絶望して自分や他人を傷つけ、命の否定に走る。」

 

・解決策として氏はこう示唆する。「世の中は広く、多様な人が多彩に生きている。自分の人生もこの先どうなるかわからない。リスクだけを見るのか、可能性も含めて考えるのか。人間力が試される」


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