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2017年7月14日 (金)

私たちの中に生活をとりもどす―電子辞書で失ったもの

(過去記事の再録です)

私が教えている私塾の生徒は今ほとんど電子辞書を持っている。英文を読み,知らない単語に出会ったとき,日本文を英語に翻訳しようとしてふさわしい表現を探るとき,昔のように紙の辞書をめくっていくのではなく,必要な項目をキーボードで入力し,求めている情報へひとっとびでたどり着く。



電子辞書を使用することの是非についてはここでは論じない。電子辞書の使用には良い面もあれば悪い面もあるだろう。そして,それを使う人によって,よくもなれば悪くもなることもあるだろう。ここでは,紙の辞書を使わなくなったことによって,何が失われたかということを指摘するのにとどめたい。紙の辞書しかない時代を経験し,紙の辞書を使ってきて,現在電子辞書も使うことのできる時代を生きている者が体験的に考えたことである。



紙の辞書では,目的の情報には一発でたどり着けない。情報の大きな枠組みがまずは全体的に目に入ってくる。そうした枠組み・背景を意識しそこに目を配りながら,必要な情報がどこにあるのか,その情報の全体の中での位置づけを確認しながら,目的とする情報へとたどり着いていく。そのたどり着く過程で,情報がどのように整理され,どのような順で並べられ,記述されているのかを自然と目にし,自分でも身につけていく。なるほど,電子辞書の検索は便利であるが,人類がこれまで苦労して作り上げてきた考えて分類する行程をはしょってしまう。



このように,技術の進歩で常に問題となるのは,人間としてのその全体性の喪失なのである。


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