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2017年7月 4日 (火)

生の哲学―仕組みの中で生きること

(昔の記事の再録)

私は、今まで、仕組みの中でまともにお金をもらったことがない。この社会にうまく適応できず、はみ出しもののような気がしていた。

組織や仕組みは予算を組んでそれをいつも定期的に消化していくだけである。中にいる人間にとっては一定の分配が常にもらえることが当たり前となり、既得権となり、やがてそれは手放せなくなり、個々の人間よりも、仕組み自体を維持しようと必死になる。



生きていくということはもっと違うこと、もっと原始的なことではないか。原始の時代にまでさかのぼらなくても金銭を得て暮らしていくということはもっと違ったことなのではないか。その直接性を、仕組みの中にいる人間は味わったこともなければ、想像したこともない。そこでは、どの仕組みに入るのか、入れるのかが重要なことで、生きるという本源的な意味を体験することは重要なことではない。



生の意味をさぐるのはなぜか。それは生が無意味なのではないかという疑念が私たちの心にわいてくるからだ。私たちが直接性と格闘し、例えば斧で木を切り家を建てたり、簡単な農具で土を耕し食べるものを得たりして感じる腰や背中の痛み、これが生の直接の意味かもしれないのだ。


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コメント

甲子園の試合のテレビ中継で、解説者が、「この選手は、いつも笑ってますね。」と言っていました。三振しようが、凡打になろうが、ショートの近くを打球が抜けようが、いつも笑って、楽しむというのが、大切なのかもしれませんね。

コメントありがとうございます。いま、目の前のことを楽しんで生きていたら、時間もたつのも忘れてここまで来た、というかんじです。

今は、仙台在住なので野球は見るのが専門で、もちろん「楽天」の優勝を信じて試合がある日は毎日ハラハラドキドキを楽しんでいます。

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