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2017年5月 4日 (木)

新ナニワ金融道

作家青木雄二さん。ぼくが尊敬してやまない人だ。あまりにも早い死が残念だ。青木さんはマルクスを尊敬していてそれを公言してはばからなかった。おそらくそれはマルクスが「銭」の面から科学的に世の中の仕組みを解明したからだろう。そう、どんなにお高くすましていても、世の中なんといっても「銭」なのである。そういう本音を隠して生きているようじゃダメだというのが、青木氏の作品を読んで感じる。「聖職」と呼ばれる教師だろうが何だろうが、青木氏の作品の中ではみんな「銭」で堕ちていくのである。氏の作品の、人間の本質をかくもグロテスクに、かつ大阪の笑いで表現しているその深さは、ドストエフスキーやバルザックのような偉大な作家にも匹敵すると思うのだ。

さて、青木氏が亡くなってもう「ナニワ金融道」の続きが読めないとがっかりしていたのだが、青木さんの遺志を継いだ青木雄二プロダクションから「新ナニワ金融道」が出た。この中では、某政権党がモデルと思われる政治家さんたちが登場し、銭になりそうな事業に口利きをしたり、ライバルを蹴落としたり、やり手の秘書に農家に現金を持たせたり息子の就職の世話をさせたりで利権をものにしていくところを描いていく。政治資金パーティーを開いたり、女体盛りをしたりと、本音丸出しで生きているが、そういうことを単に「批判する」のは浅はかだ。すばらしい文学作品には、その現実をそのまま受け入れさせる力がある。

というのも、どうだろう、正論を説く某革新政党よりも、某政権与党の方が日本人には絶対人気があり、この70年にわたってほぼ一度も政権の座を渡したことがないのだ。日本人には、やはり、「ねえちゃん、ええやろ、さわったて減るもんやないやろ」というさばけたおじさんの方が、人間味があって信頼されるし親しみを持たれるのだ。晶子の歌を思い出す。「柔肌の熱き血潮の触れもみで寂しからずや道を説く君」

新ナニワ金融道では、某政権与党をモデルにしただけでなく、正義や人権を説く対極にいるはずの人たちも登場する。その名もずばり「左浴田」なる人物だ。実際にある貧困ビジネスなるものをモデルにしたのだろうが、ホームレスの人権救済の名目の正義のNPOが、ホームレスを寮に集めて生活保護を申請してやり、寮費や食事費の名目で集金し利益を上げるという話だ。これについても「善悪」の判断や批判をしろというのではない。優れた文学作品は、現実をそのまま受け入れるしかないのだ。正義や理想を述べるのは勝手だが、その正義や理想を実現するのにも金が要る。そういう本当のところを見ないふりをしたり他人任せにして、正義や理想を語っても、世間は直感的にそれは胡散臭い、信用できない、信用できるのは、銭が大事だとわかっているあのおっちゃんたちだと思うのだ。


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